弁当の味見役のつもりだったんだが
「ちょっと付き合ってもらっていいですか?」
「えっ、付き合う?」
女子からの突然の誘いに、僕はうろたえてしまった。目の前の彼女は、このときが初対面だったのだ。
「いえ、そういう意味じゃありません。これを……」
女子は恥ずかしげな様子を見せながら、弁当が入っていると思われる巾着袋を差し出した。
「これが、どうしたの?」
「ちょっと、味見してもらえないですか?」
味見役。高校の廊下のど真ん中で、この僕、篠山翔太は味見役に指定された。
「ここじゃ騒がしいので、ちょっと静かなところに行きましょうか」
女子は随分と照れくさそうだが、みんなが見ている前で僕を特定の場所に連れ込むことに、特段のためらいはないらしい。僕は戸惑いながら、階段の踊り場にある木製ベンチに二人で腰かけた。女子はせっせと巾着袋から弁当箱を取り出しては中身を開いた。
「彼氏のために、自力で作ってみたんですけど、美味しいと言ってもらえるかどうか自信がなくて」
「だからって、いきなり僕に頼るの? そもそも君って誰?」
「イシカリ・ミユです。何でもないあなたに味見してもらい、評価を受けることで、おいしければ自信がつきますし、ダメなら、今後の反省にもできます」
ミユはそう語りながら、黒い箸で卵焼きをつまんだ。
「あ~んしてください」
僕はあくまでも味見役。しかし、ミユの屈託ない笑顔は、まるで友達かそれ以上を見るようなものだった。僕は流れにつられるように、一切れの卵焼きをまるまる口に受け入れてしまった。
そのとき、普通のノリで噛みほぐしているうちに、程よい塩加減と、天使の祝福を受けたかのようなまろやかな味わいが絶妙なバランスで絡み合っていることに気づいた。
僕は他人から卵焼きを何気なくあ~んされただけなのに、どうしてこんなに幸せな気分になるんだろう。この幸せの根拠はどこにあるんだ。
「美味しい……」
僕はため息を漏らすようにつぶやいた。
「本当ですか?」
「うん、美味しい」
「ありがとうございます。おかげで自信を持って彼氏に弁当をあ~んできそうです。ちなみにお名前は?」
「……篠原翔太」
「篠原翔太くんですね。分かりました」
そう言いながらミユはせっせとお弁当を片付けていく。
「じゃあ、また何かあったら会うと思うので、よろしくお願いします」
弁当箱を巾着袋に戻した彼女は、軽く急ぐように階段を上がっていった。その間僕は、ミユの背中に、感じるはずのない卵焼きの残り香を視線で追っていた。
ミユの作るものは何て美味しいんだろう。
ああいう人と結婚したら、どんな嫌なことがあっても毎日の夕食が心を癒してくれるに違いない。ミユの素性を知りたくなってしまった。
---
次の日、僕は購買のサンドイッチを求めて同じ廊下を歩いていた。
「すみません」
再び呼び止められた。
「また、味見してもらえますか?」
「えっ?」
僕は戸惑う反面、ちょっと嬉しくなった。
「い、いいですよ?」
その日も同じベンチで、今度はタコさんウィンナーを一口頂いた。弾力性のある歯ごたえに、香ばしいまでの焼き具合には「美味」の二文字が似合っていた。
「ありがとうございます」
頼まれた僕の方から、ついついミユに感謝の言葉を述べてしまった。
「あっ、こちらこそ。そのウインナー、美味しかったですか」
「もちろん、100点満点ですよ」
「分かりました。翔太君がそこまで言ってくれるなら、私は満足です」
ミユは前日と同じように、安堵の言葉を述べながら弁当箱を片付け、階段を駆け上がっていった。きっと彼氏と屋上であの美味しい弁当を食べているんだろう。僕は目を閉じて、想像にふけった。ところが頭の奥からいきなりサンドイッチが飛び出してきて、自分がこれから購買へ行くところだったのを思い出し、慌てるように階下を駆けた。
あくる日もあくる日も、僕はミユが「初めて試した」というアスパラガスのソテーや、ブリの塩焼きなどを味見し、そのたびに心洗われるような美味に浸っていた。
ついにはある日、僕の方からB組の教室へ入り、弁当の支度をしていたミユに真正面から話しかけた。
「また味見させてくれない?」
「いいよ?」
ミユは不思議そうな顔をしながらも、わずかに純粋な笑みを見せながら快諾してくれた。
この日も早速ミユは弁当箱を開く。美味しそうで、栄養バランスに優れたメニューがぎっしりと詰まっていた。
「今日はどれがいい?」
「そうだな、ええと、再び卵焼きで」
「分かった。それじゃあ」
ミユが乗り気で黒い箸で卵焼きを取り出そうとした瞬間だった。
「おい!」
一人の少年が、僕たちをまっすぐにも指差しながら、怒りの表情でにらんでいた。彼はいきなりミユに駆け寄った。その勢いに、ミユはすごい圧力を感じた様子だ。
「アツシ?」
少年の名を呼ぶミユの顔は、気まずさにおびえていた。
「こんなところで、知らない男子と何やってる!」
「ご、ごめんなさい。私、自分で弁当を作るようになったの。出来栄えを確かめるために、翔太に毎日味見を頼んでいるうちに、ついついそれが習慣みたいになっちゃって」
「ついつい? 意図的にコイツに熱を上げたんじゃないのか?」
「そ、そんなつもりはないの!」
「黙れ!」
アツシの一喝に、ミユは息が止まりそうな様子だった。
「お前の弁当は、僕にしかあ~んしない約束だったよな?」
アツシの顔を満たす怒りは、僕という第二のあ~ん相手がいたことによる嫉妬からくるものか。
「ごめんなさい、でも、アツシにあ~んさせる前に、料理がマズくて機嫌を損ねるといけないから、先に味見役であ~んする相手として翔太を呼んだだけなの」
「人にあ~んさせた弁当、オレに食わせてたのかよ? お前のあ~んはオレだけのものじゃなかったの? お前だって言ってたよな? 『私のあ~んは、アツシだけのもの』って。それなのに、自分からあ~ん破りしやがって!」
「そこまでだ!」
アツシの詰問におびえるミユを見かねて、僕が立ち上がった。
「ミユがビビッてるだろ」
「いや、むしろ被害者はこっちなんだけど。お前にミユがあ~んしていると知っていたら、こっちはミユのあ~んを受け入れなかったんだ!」
アツシの怒った顔は、「あ~ん」という気の抜けた言葉の連呼とは裏腹に、いたって真剣そうだったので、ここは毅然と対応することにした。
「はっきりいう、ミユからあ~んを受けたのは事実だ。だが、僕が見る限り、お前はミユと健全なお付き合いはできなさそうだな」
「何だと?」
アツシが静かながら、怒気のこもった言葉を返す。
「女子からの『あ~ん』は神聖なる宝だ。ミユは一生懸命弁当を作り、僕に貴重なあ~んの機会を与えてくれた。僕はそんなミユに、多大な感謝を述べている。お前はあ~んを独り占めしたいだけのエゴイズムで、彼女に対し、何の感謝の気持ちもなさそうだな。そんな奴が、ミユと一緒にお昼をともにする資格があるのか!?」
「うるせえ!」
見事に腹へ一発かまされ、僕は床に倒れこむ。周囲で僕たちの喧騒を見ていた数人の高校生たちがドン引きしたようなため息をこぼす。
「もうやめて!」
ミユが弁当箱を持ち、僕たちの間に入る。
「これからアツシにしかあ~んしないから、大人しくして。ほら、一緒に弁当を食べよう」
「今さら何だよ!」
アツシは問答無用でミユを突き飛ばした。その結果、ミユの自作の弁当は跡形もなく床に飛び散ってしまった。
無残に変わり果てた弁当を見て、僕は愕然とした。そして、彼女の美しき弁当を粗末にするという、究極の冒涜を働いたアツシへの怒りが湧きあがった。
「この野郎!」
僕はアツシに飛びかかると、そのまま激しい殴り合い、蹴り合いになった。気がついたら僕は壁際に追い詰められていたが、アツシが飛ばしてきた拳をかわす。彼は壁で思いっきり拳を叩いてしまい、小さな声で「ヤバい……折れたかも」とつぶやいた。
しかし怒りを思い出したかのように、再び僕に向かってくる。
「おおおおおうううううりゃあああああ!」
ワケも分からぬ感じで襲いかかってきた彼を、僕はカウンターの背負い投げでねじ伏せた。丁度前日の武道の時間で習ったことが、早くもこんな形で効果を発揮するとは思わなかった。それよりもミユの弁当がぶち壊されたという無念が、僕の体を神がからせたのかもしれない。
「ま、まいりました……」
アツシは力なくそうつぶやくと、床に叩きつけられた背中をかばいながら立ち上がり、力なく去っていった。
僕は口の端っこからかすかに流れる血をハンカチでぬぐった。ミユは飛び散った食べ物を見つめながら、その場に腰を抜かして、すすり泣いていた。僕は急いで食べ物を箱に拾い集めた。
「大丈夫か?」
僕はミユに目線を合わせながら問いかけた。
「う、うん」
ミユは消え入りそうな声で応えた。
「辛いよな、自分の作った弁当がこんな風になるなんて。僕も君の卵焼きを味わえなくて残念だし、何よりも一生懸命作ったものが一瞬でこぼれちまうなんて、ひどい話だよな」
僕は彼女の弁当箱を巾着袋に片づけてあげると、もう一度彼女に寄り添った。
「今度は僕が君にあ~んしてあげられたらいいな」
それを聞いたミユは、泣き腫らした顔に、かすかな笑みを取り戻したように見えた。
「今日は、僕が購買部で君のぶんも買ってあげるよ」
「……ありがとう。お互いにあ~んする?」
「もちろん」
僕はミユの巾着袋を持つと、彼女とともに階下へ向かった。
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