ショート×2集・午後4時10分、桃子がやってくるそうです
STキャナル
午後4時10分、桃子がやってくるそうです
「助けてください」
自宅マンションの敷地に一歩踏み入れたところで、僕は制服のブレザーの袖をつかまれながら、悲壮感に満ちた顔をした少女にせがまれていた。彼女は僕と同じ学校の制服を身にまとっている。
「いきなり、どうしたんですか」
「私、襲われそうなんです」
何のことかわからない一言だったが、その中には得体の知れない恐ろしさを感じた。純朴な目に危機をつのらせて訴えかけるこの少女は、どうやらシャレにならない危機に瀕しているらしい。
「あなた、警察なんですよね?」
「いや、警察官志望なだけですけど」
「ハロウィンの時に見ましたよ」
ハロウィン当日に行った高校の学園祭のコスプレパーティーで、僕が警察官の格好をしながら楽しんでいるところを、彼女は見ていたわけか。でも急にそんなことを持ち出されても、今の状況についていけない。
「とにかく、私の部屋に来てください!アイツに襲われそうなの!」
「何で襲われそうってわかるの?」
僕は面倒に思いながら、率直な疑問を投げかけた。
「こんな手紙をもらったから」
彼女がポケットから出した紙を広げると、そこにはこう書いてあった。
「2019年11月7日、午後4時10分に、またやりにいきますから。
あ、おたくのドライヤー、実に高性能で使いやすかったのでありがとうございます。
というわけで今日もよろしく
桃子」
桃子の正体に頭をひねる間もなく、僕は無理やり手をつかまれ、マンションの棟内まで引っ張られた。
入ったこともない女子の部屋の洗面所に、二人で身を隠していた。
「アイツの予告じゃ、もうあと1分ぐらいで乗り込んでくる」
彼女は洗濯機に頭をもたげ、絶望に打ちひしがれた様子だった。
「玄関の鍵閉めたよな?」
「それじゃ意味がないのよ」
女子が悲観的にそう話した矢先に、洗面所の向こう側では、窓のカギか何かが揺さぶられるガチャガチャとした音が鳴っていた。間違いない、これはピッキングだ。
「ちょっと待って、これ、マジでマズいやつじゃない?」
「そう、アイツがまた宝を奪いにやってきたのよ……桃子。同級生にあんな恐ろしい人がいたなんて」
桃子は出口の向こうを見ながら、悲嘆に暮れた様子だった。犯人が彼女と同級生であることを知るや否や、僕は洗面所の扉に向き合った。
「何する気?」
「とにかく悪いことは止めなきゃいけない。ちょっと様子を見る」
「ダメ、ボコボコにされるわよ?」
「警察官志望だから大丈夫だ」
僕は意を決して引き戸をそっと開けた。玄関前の廊下を素早く横切り、ダイニングに来たところで壁に背をあてながら、足音を立てないようにして端まで動いた。
「おい、鬼。宝を奪いにやってきたぞ」
壁の先にある右奥の部屋から、狙われている人と同い年ぐらいの女子の声で奇妙な台詞が聞こえてきた。どうやら「鬼塚」だけに、彼女を鬼に見立てている。そしてここを鬼ヶ島が何かと思い込んでいるのか。ここはただのマンションの一室なのに。
「とうとうこの桃子の強さに怖気づいて、姿を現す意思さえ失せたか」
「桃太郎」ならぬ「桃子」。どうやら彼女は自身を強大な勇者だという勘違いを通り越し、完全に盗賊そのものに変わり果てたということか。
「ようし、今日はついに、アレいっちゃいますか」
部屋の奥で桃子は意を決した様子で、とんでもない行動を始めているようだった。僕は姿を悟られないように、そっと部屋の奥を覗いた。
ピンクを基調とした、フリル付きのミニスカート型の着物に、白い陣羽織をまとった女子が部屋の引き出しを堂々と開け、取り出した財布に手を突っ込んでいた。まさに桃太郎もどきが、勇者にあるまじき行為に手を染めている。
「7000円か。それじゃあ2000円をもらって……」
僕は何かに突き動かされるように部屋に乗り込み、2000円を取った彼女の手首をガッチリとつかんだ。
「何をしようとしているのかな、桃子さん」
僕の突然の行動に、桃子はハッとした表情でこちらを見た。
「何って、鬼から宝を奪おうとしているのだ。お前は誰だ。まさか鬼の彼氏か?」
「鬼はお前だ!」
僕は怒りにまかせて彼女を一喝した。
「何をいう。ここは鬼がいるから鬼ヶ島だ。私がアイツから何を奪うが自由じゃないか」
「東京都内のマンションの一室だ。だから日本国の法律が適用される。お前がやっていうのは刑法235条の窃盗罪。たとえ鬼のものであろうと、他人の財物を盗めば、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処される。僕は警察官志望だから分かるんだよ」
桃子が唇を震わせ、観念した様子でうつむいた。
「さあお金を放せ。さもなくば今からスマホで119番に通報する」
桃子はやむなしの様子で、2000円を手放した。2枚のお札が力なく、ひらひらと床に舞い落ちる。直後に桃子は腕を振りほどき、僕をにらみ返した。
「覚えてなさい」
精一杯の捨て台詞を吐きながら、彼女は洋室を抜け、玄関の扉から逃げ去った。窓が開きっぱなしのベランダでは、階上からロープが垂れ下がったままである。部屋の主である女子がおそるおそる洋室に入ってきた。散らばったお金を見るなりあわてて拾い集め、財布に戻した。
「アイツ、とうとうこんなことまでやりだしたの」
女子は愕然とした様子だったが、僕の方を向くと、素直に頭を下げた。
「どうもありがとうございます」
「どういたしまして。ところで、君はそもそも誰なんですか?」
「鬼塚美香、みんなからは『鬼ちゃん』って言われているの」
だから彼女は「鬼」だったのか。そう知って、僕は苦笑いするしかなかった。
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