Zoomの向こうで歴史上の人物と交信している女子がいる

「Zoomに入って、このIDを入れて」

 小さな紙に書いてあるその一言の下には、3ケタずつをハイフンで区切った9ケタのIDが書いてあり、右下には「伊藤絵里奈」という名前で締めてあった。

 僕は学校でもらった紙の内容に戸惑いつつ、自室のミニテーブルに置いてあったパソコンのスイッチを入れ、Zoomにアクセス。絵里奈に言われたとおりに会議室のIDと自分の名前を入れた。


 画面の向こうは、暗かった。パソコンの故障で画面が真っ暗なのではない。部屋は暗く、円柱で、側面全体が光るLEDライトを前に置いたまま、絵里奈が座禅を組んでいたのだ。

「あの……すみません」

「あら、来希?」

 絵里奈がかすかに目を開き、僕の名を呼んだ。

「何してるの?」

「交信中」


 僕は謎の言葉に戸惑った。一体絵里奈は誰と交信しているんだ。よく見れば彼女は白いローブを身にまとい、いかにも威厳のある聖職者のように決め込んでいる。首元にかけたペンダントの先で、小さな銀色の十字架が怪しく輝いていた。Zoomの向こうで起きているとは思えない、妙に厳かな雰囲気が僕を困らせる。


「誰と交信しているの?」

「不特定多数の歴史上の人物」

「どうして?」

「学校で私に言ってたよね。得意な科目は数学で、苦手なのは社会全般。明日の受験でも社会は日本史Aを選んだけど、地理や世界史と比べて、成績がちょっとだけマシだったからって」

「た、確かに言ったけど」


「歴史上の人物と交信してあなたにエールを送ろうと思ったの」

 絵里奈は強引すぎるまでのマイペースで話を進めていく。

「本当にそんなことできるの?」

 僕は彼女のいうことにピンとこなかった。

「私の力を甘く見ないで。プラスお父さんが進学塾の講師で日本史担当だから、私もこういうのにはもともとうるさいのよ」


「そうか……」

 僕はちょっとムリやりながら納得した。


「あっ、皆様がおいでになられました」

 絵里奈は再び目を閉じ、何かに耳を傾けるかのように、頭を少し下げた。どうやら歴史上の人物が彼女のもとに現れたらしい。


「なるほど、『一握の砂』の石川啄木さん」

 絵里奈の一言を聞いた僕は、かつて日本史のテストで『一握の砂』を書いた人が分からず、体の中心を悶々としたものが走っていたことを思い出した。僕はとっさにルーズリーフの袋から一枚を取り出し、カバンから取り出したシャーペンで「いちあくのすなのいしかわたくぼく」とメモを走らせた。


「なるほど、幕府を廃止させた王政復古の大号令みたいに、私の目の前にいる男子は革命を起こすにふさわしいということか。それには、今からでも類なき努力が必要だが、彼にはその力があると」

 絵里奈はどうやら石川啄木から、僕へのエールを聞いているようだ。とりあえず王政復古の大号令が江戸までの幕府を廃止させたものだというのも分かった。


 その後も絵里奈は次から次へと歴史上の人物から預言をいただいたようだった。

「自分の人生のレールは爆破するな。線路が爆破されるのは満州事変の柳条湖の線路だけで充分だ」

「そうですか、勝海舟さん、無血開城の教訓として納得いかないことがあれば気持ちを落ち着けて話し合う心を持ちましょう、と」

 何やら歴史上のネタを絡めながら、僕に大切なアドバイスを教えてくれているようだった。僕は思わず夢中になって、ルーズリーフの表も裏も、絵里奈の話で埋め尽くしていた。


 次の日、僕は教室にいた。

 自分の学校で授業を受けているのではない。自身の第一志望である大学の入学試験を受けていた。今の教科は、まさに日本史Aだった。


「始め!」


 試験監督の一声で、僕は早速問題用紙を開き、一問目の文章に目を通していく。理恵と美香という二人の女子が近代史について会話を交わす内容だった。下の問題に入ったとき、僕は思いがけない現実を見た。


「本文中の[ア]に入る人物は誰か。


A坪内逍遥

B石川啄木

C徳田秋声

D永井荷風」


 もしやと思い本文を確かめてみたら、こんな一文があった。


「『一握の砂』を著した[ア]も、その大逆事件の影響を受けて社会主義に興味を持ったんだよね」

 間違いない、答えはB。条件反射的にマークシートの一問目にあるBの枠を塗りつぶした。前日の絵里奈は間違いなく、「『一握の砂』の石川啄木さん」と言っていた。


 その後も聞き覚えのある問題が、次から次へと現れた。

「満州事変で爆破された線路の場所は?」

「D柳条湖」


「勝海舟について事実となる記述を答えよ」

「C西郷隆盛との会談の末、江戸城の無血開城の交渉を成立させた」


 このほかにも、前日に絵里奈が歴史上の人物を「呼び寄せた」ときの話が、次々と問題文に現れた。僕は彼女が本当に預言者なのかと疑いさえした。

 こうして抜群の手応えで、日本史Aを乗り切った。勢いのままに他の評価も上々の出来で終えられ、僕は内心満足しながら試験会場を後にした。


 1週間後、僕はスマートフォンで大学のサイトにアクセスし、入試結果が「合格」であることを知った。

 自分以外誰もいない部屋の中で、僕はためらいなくガッツポーズとともに喜び叫んだ。

 すっかり気を抜いた僕は、リモコンでテレビのスイッチをオンにする。


 そこに映ってあったものを見て、僕は目を疑った。

「進学塾講師の伊藤武志容疑者を、大学の入試問題を盗んだ窃盗の容疑で逮捕しました」

 絵里奈の父親も確か、進学塾の講師だったはず。まさかアイツ、お父さんが盗んだ入試の問題を見て……?


 あの日の出来事まで、まさかバレないよな? 最低4年間は。

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