元カノとバトル中
僕はなぜか裏庭にあるリングの片隅で、マイクを握り立ち尽くしていた。
「青コーナー、石堂凱!」
といっても観客はいない。むしろなぜここにリングを置いているのか分からない。まずこの裏庭自体、僕の家のものじゃない。リングのど真ん中で意気揚々と選手コールをしている鈴宮ありさの裏庭だ。
対角のコーナーでは、一人の女子が、僕を鬼の形相で睨んでいた。
「赤コーナー、浮気な男子によりディストピアへ送られ、現世への帰還を果たしたサバイバー、今は復讐の堕天使、津田~、未央奈~」
未央奈、そう、彼女こそが僕の元カノ。ありさは完全に未央奈をひいきするように、キャッチコピーや二つ名を添え、盛大にコールした。
「これから二人に戦っていただくのは、マイクパフォーマンスバトルです!」
人気のない裏庭で、ありさは大きく手を仰ぎ、彼女に見えていると思われる幻の観衆をあおり立てた。
「それでは早速、両者リングの中央へ」
ありさに促されて、僕はしぶしぶ中央歩み寄った。未央奈の怒りのオーラが、僕に得体の知れない圧力をかけてくる。
「先攻は赤コーナーから、レディー、ファイト!」
何の変哲もない裏庭で、戦いの幕が開いてしまった。
「おい、クソ野郎、よ~く耳かっぽじって聞きやがれ」
未央奈はマイクを口にかざすと、何のためらいもなく僕への罵倒を始めた。
「アンタに6カ月もささげたというのに、お前は何だ? ウチのクラスメートのきららと体育館の倉庫でイチャイチャしやがって。私が陸上部で用具を取りに行こうとしたら、アンタしっかりベタベタしてたよな?」
「待ってくれ、あれは誤解だ。無理やり彼女に連れ込まれて」
「ていう割には、私が風邪で休んでいる間、堂々とA組に入ってきららちゃんと屋上で弁当食べようって誘ってたそうじゃない」
「マズい」
思わず本音をマイクに拾わせてしまった。
「マズいのはどこからどう見てもアンタの方だろうが!」
凛とした顔立ちは、怒ってさえいなければ美少女らしくて愛おしいのに、今ではその透き通った瞳の奥に、怒りの業火が宿っている感じだ。黒目も燃えすぎてそうなっているのかと思うほどだった。
「いや、マズいのは、お前の弁当だ!」
僕は苦し紛れに反撃の声を上げた。
「だって、事実だろ? お前の弁当はマズい!」
「何が!? あれでも一生懸命作ったのよ!」
「屋上でア~ンしてもらったエビフライは油を吸いすぎて、灯油臭い味がした。卵焼きは苦い! 漢方薬みたいだ! 何を入れたんだ、言ってみろ!」
「隠し味に……ベーキングパウダーを入れただけよ」
「そのベーキングパウダーがいけないんだ。大体、卵焼きに使う人だと初めて見たよ! ああ、そうさ、浮気しましたそれはすみません。でもそれは未央奈の弁当がマズくて、きららの弁当が美味しかったからです。だから何も文句を言うんじゃない!」
「浮気されて何で文句も言っちゃダメなのよ!?」
未央奈は大きな一歩で僕ににじりよりながら、怒りの声を間近で聞かせてきた。そうかと思ったら彼女は不敵に後ずさりする。彼女は一体何を企んでいるのか?
「こうなったと本気モードを見せてやるわ。この格好になったら、フルパワー罵倒モードで、誰もがトラウマに倒れるわよ。覚悟なさい!」
未央奈はマイクを置くと、それまで身にまとっていた制服を、ブレザー、シャツ、スカートと脱ぎ捨てていく。中からあっという間に黒光りするボンテージが姿を現した。
僕は未央奈の恐ろしい一面を初めて目の当たりにし、マイクを持つ手が震え、体が強張ってしまった。彼女が容赦なく僕に歩み寄る。
「石堂凱、私を捨てた浮気者。女にしっぽ振るの得意なカブキ者。一時の快楽にしか能のないお前に行ける天国などここにはない。行けるところなら地獄だけ。私がどこまでも苦しめてあげるからさっさと観念して自身の性悪さを白状し、恥を知り尽くしなさい、この豚男!」
未央奈の突き刺さるような罵声のおかげで、僕はだんだんと息苦しく感じるようになった。僕はそろりそろりと後ずさりするが、彼女もそれに合わせるように踏み込んだ結果、僕はロープ際まで追い込まれてしまった。背中に緩くめり込む3本のロープが、どこか冷たく感じる。
「女をオモチャにする恥さらしには物をいう資格などない。現実を直視できず浮き足立つ者が、さあ今なぜリングのキャンパスの上で足を踏みしめている。常識はずれな人間は二本の足で自分の置かれた立場をまともに踏みしめられないんだから、さっさとひざまずきなさいよ」
僕は誰かに操られるかのように、姿勢を低くし、キャンバスにひざまずいた。
「さあ、詫びな詫びな、あとはその小さな脳みそを宿した頭を90度下げるだけでいいのよ。そうそういえば全てが終わるの。さあさあさあさあさあ、何をボサボサしているの」
屈辱の雨を感じながら、僕は頭を下げなければという強迫観念と、惨めな結末を嫌う男のプライドの狭間で戦った。だが、ここまでだと思った。
「す、す、すみ……」
「待て!」
見知らぬ男子の声が響き、僕は高圧的なプレッシャーが霧散するのを感じた。一人の男子が、野生のヒョウのような勢いで下段のロープをくぐり、堂々とリングに入ってきた。
「未央奈、聞いたぞ。こいつは一体誰なんだ?」
その男子もマイクを持っており、憤った声をエコーに乗せた。
「だ、誰って。私をオモチャにした人」
「俺も未央奈にオモチャにされた!」
男子の突然の暴露で、僕はリアクションに困った。
「ちょっと、ショウイチ、何してんのよ」
未央奈が素でうろたえたような声を出した。
「俺はお前との関係に8カ月捧げてきたのに、お前はオレの心にナイフを刺してくれたな。この浮気は凶器だぜ。ましてやこんなヒョロヒョロな男子が相手なんてな」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。彼の方から私に言い寄ってきたのよ」
「関係ねえ!俺がサッカーの試合でケガしたとき、看病してくれたのも本気じゃなかったのか?」
「そ、それは……」
ボンデージが一気に似合わなくなるエピソードが明らかになり、未央奈の威厳が崩れはじめた。
「自分の浮気を棚に上げて、相手の罪を責め立てるなんて、見下げた人だな。それは男でも女でも、醜い所業だ!」
「み、醜い……!」
未央奈はイナズマに撃たれたかのように、リングの中央に立ち尽くした。
「さあ、そこの少年よ、立て。コイツに言葉の鉄槌を下してやっていいぞ」
ショウイチの謎のお膳立てを受け、僕は力を振り絞るように立ち上がった。ショウイチはさっさとリングを降り、戦況を見守っている様子だった。
再び二人きりとなったリングの中で、ひとつの事実が明らかになった。
僕もまた、浮気相手になっていた。彼女には、その事実と向き合ってもらわなければならない。
だから僕は、再び口元にマイクをかざした。
「未央奈、お前とは終わりだ!」
彼女は息を呑み、呆然とした表情で僕を見つめていた。
「僕も確かに彼女をオモチャにした! だが同時にお前も俺をオモチャにした! この場所には、人をオモチャにすることしか能のない人しかいなかった!」
僕の一言一言に、未央奈は胸に針が一本ずつ刺さったかのように、 肩をピクつかせていた。
何もできない未央奈の前で、僕は大きく息を吸ってから、再びマイクに声を当てた。
「僕は自分のことを棚に上げて、お前一人だけを責めようとは思わない。僕もお前も悪かった。これは両成敗だ。だからお互い、別々の道を歩もう」
未央奈は僕の言っていることが今ひとつ分からなかったようで、戸惑っていた。それでも表情は、シリアスに思いつめている。
「……両成敗だ」
僕は念を押すようにマイク越しにつぶやいた。その瞬間、未央奈は、キャンバスに膝をつき、魂が抜けたかのように体が崩れ落ちた。
「カンカンカ~ン!」
空気を読まないハイテンションと、ゴングの音マネとともに、ありさがリングに舞い戻ってきた。
「決着がつきました。勝者は……」
「いないよ」
僕はありさをさえぎり、マイクで現実を告げた。ありさの目が点になって見えた。
「浮気したのはお互いさまだ。未央奈にその事実を告げただけ。僕も反省するから彼女に反省して欲しいだけ。この戦いの目的はそれだけ。さようなら」
僕はそれだけ告げてリングを降りた。未央奈が残ったリングに振り向きもせず、早足で気まずい場所を後にした。
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