最終話:田舎町の好天
二年後。
ユナイトの北部にある片田舎。ノソンは復興の兆しを見せていた。痛ましい記憶はあれど、危機の去った町に戻ることを人々は選んだ。
「奥さま、給金の額が契約と違います」
メアリも元あった隣へ新しく家を建て、母と姉と共に暮らす。焼け落ちた跡を見るのはつらかったが、あえてそのままにした。
「不満なの?」
貧困地域からの出稼ぎは、重要な労働力だ。直接的な支援は行われず、今年もグラント家の畑にその姿があった。
「これでは多すぎます」
「収穫が多かったし、あなたたちもお願いした以上に働いてくれたし。お礼よ」
トウモロコシの収穫をし、箱詰めを終えたところだ。ここで死んだ若者たちより、今年はもっと身なりがいい。作業着を持参したし、帰り支度は首都で見たような上等のシャツだ。
明日の出発は早い。中央で泊まらせてもらい、馬車に乗り合わせて機関車の駅に行く。
「できればまた来年もね」
「そうしたいです」
歩み去る若者たちが、二十歩ほど歩いて振り返る。「またね」と手を振って、さらに三十歩を行って振り返る。
あちらの地元がもっと潤えば、こんな遠くまで来る必要はなくなる。それが五年後か、それとも来年かは誰にも分からない。
二度と会えないかもしれない別れを、毎年繰り返すのは悲しい。しかし遠い土地の話を聞くのは楽しい。
複雑な想いだが、いつか来なくとも良くなる日を祈る。
「メアリ!」
置きっぱなしの椅子にかけ、ひと息つく。見覚えのある馬車が、中央のほうからやってきて止まった。
荷台から乗り出して手を振るのは、ステラだ。
「どうしたの、こんな時間に」
まだ夜までは幾ぶんかある時間だ。けれども今から話していれば、すぐに潰れてしまう猶予しかない。
その問いをステラは完全に聞き流し、荷台から飛び降りて駆け寄った。
「ねえ、これ読んだ? 臆病者の英雄メアリの夫、政治の世界へ転身さる――だって!」
「それ今日届いたんでしょう? 読んでいるわけがないじゃない」
苦情を言っても、ステラは手にした新聞を何度も読み返すだけだ。
「とうとう動くのね」
御者席からゆっくりと降りたのは、僧服のアナ。
さも驚いたように騒いでいるが、二人にはロイが議員になると伝えてある。メアリも目処がつきそうと手紙で知らされていたが、正式なところはたった今知ったばかりだ。
「助けてもらえる伝手も出来たって言ってたから」
「ウォーレン牧場だけでは足りなかったの?」
「そうよ。今や馬だけじゃなくて、牛も加工食料品もやってるんでしょう?」
政治をするには資金が要る。それがまた弱い者には厳しい理不尽の元だ。しかし現在がそうであるものを変えるには、乗り越えるしかない。ロイも苦渋の決断だった。
「さあ。牧場のことなら、ステラのほうが詳しいでしょう? 今日は泊まる気? 店員さんに叱られない?」
矢継ぎ早に攻め立てられるので、抑える為に意地悪を言った。いまステラの住む家は、お隣でない。ブレンダ夫妻が営んでいた、メイプルパン店だ。
「う、うるさいわね。彼は関係ないでしょう。店員なんだから、お店のことを一人でやったっていいはずよ」
「バスタイムは二人なのに?」
「ちょっとアナ! 何で言うのよ!」
慌てて口を塞いでも、聞こえたのがなかったことにはならない。ツンツンとした態度のステラが意外なことだと、「ふうん」と相槌にデリケートな抑揚が加わってしまう。
「違うわ、そういうのじゃないの。デニスはまだ、脚がうまく動かないから」
マナガンで重傷を負ったデニスは、軍の病院に入れられた。そのまま書類による手続きが進み、一年の勾留刑を科せられる。
ただ退院したのが半年前で、実際に刑務所へは行っていない。
「それならなおさら帰らなきゃ」
「いいのよ、明日の分はもう仕込んであるから。焼いて並べるだけならできるわ」
突き放す口調の割りに、案じた視線があらぬ方向を見る。きっとデニスが「甘えてしまうから、一人でやらせてください」とでも言ったのだろう。
「それよりロイよ」
「ロイ? そこに書いてある以上のことは私も知らないわ」
「彼女よ、マナガンの。居るんでしょ?」
マナガンの市長は、諸々の責任を負って辞職した。占拠され町が損傷したからでなく、それを黙認したこと。自身の手柄の為に、メアリを排除しようとしたこと。その辺りの理由で。
娘はあの裁判のあと、首都での活動を始めた。最近ではもう、マナガンへは帰っていないらしい。
女性の権限を高める運動を、ユナイト全域に拡げるのだそうだ。
「裁判のとき、騒ぎに紛れてあの娘さんとベンを連れてきてくれなかったら。私は今、ここに居ないわね」
「そうだけど、そういうことじゃないわ」
どうやら嫉妬をさせたいらしい。意図を汲んだ上で、とぼける。
「ええ、お互いにいい刺激になるんじゃないかしら」
「そんな呑気なことを言っていてもいいの?」
ステラが煽るような器用な真似を、ロイにできるはずもない。もちろん疑うのとは別に、寂しい気持ちはある。メアリは離れているのに、どうしてあの娘が傍に居られるのかと。
「そうね。もしそんなことがあったら、また助け出しに行かなきゃいけないわ。その時は手伝ってくれる?」
「また、って。今度は首都で何をする気よ」
エール将軍が父に贈った銃も、発見されて戻ってきた。メアリとロイの寝室に、いつでも撃てる状態で飾ってある。
だがもう、獣が相手でも撃ちたくはない。誰かの命を奪って希望を通すこと。それがどんなに虚しいか、肝に染みた。何より自身が言ったことに反する。
弱い者に優しい国を。銃で撃つなど、その対極に位置する行為だ。
「何もしないわ。これまでが苦しみと共にある人生だったとしても、ここから先もそうする必要はないもの」
女であることに。田舎に住むことに。他のどんなことも、恥ずべき苦境とは思っていなかった。
だがそう思って見る者は居る。わざわざその人たちと同じ場所へ行って戦うことを、メアリは選ばなかった。
臆病者の英雄の名は、ノソンの再建に役立っている。だからとそれを、自分からひけらかそうとは思わない。
「アナも朝のお勤めはいいの?」
「私はただのお手伝いだから」
言葉少なに否定して、アナは両手を合わせる。
「明日を思い煩うことはない。明日は明日自身が悩むのだから」
「――そうね」
メアリとステラとを思い遣ってくれたのか、ジョークなのか。真顔で言われては分からない。仕方なく、苦笑でごまかす。
「あなたたち。泊まるのはいいけど、遅くまでメアリを起こしていては駄目よ」
離れた軒先でずっと小間仕事をしていたマリアが立ち上がる。持っていた折り畳みのナイフを閉じ、柔らかな笑みで歩み寄る。
「分かっているわ、お腹に良くないものね」
「その通りよ」
それぞれの眼がメアリの腹に注がれた。隠すものでもないが、急にそうされては恥ずかしくなる。
「な、何よ」
「どちらがいいの?」
もうはっきりと、小高い丘がそこにあった。幼いころのメアリなら、まだその程度の傾斜では物足りなかろうが。
どちら。と、アナは男女の別を聞いた。そういう問いはステラがしそうなのに、意外なこともあるものだ。
「そうね……」
メアリ自身、何度も考えた。選り好みでなく、どちらであってもそれぞれの楽しみが待っている。
けれどもロイとの子なのだから、できればと思う気持ちも否定はできない。
「最初は女の子がいいわ。苦しい思いなんてせずに、一生を幸せに生きてほしい」
そっと自身の腹に触れるメアリは、二ヶ月後に母となる予定だ。
「あなたたち、夕食の支度くらい手伝ってもいいのよ!」
家の中から先輩の声が響いた。四人は顔を見合わせ、笑う。
大統領になったロイと、その妻メアリの物語が教科書に載るころ。ノソンはやはり田舎町のままだった。グラント農場も規模を変えず、そのまま続いている。
―レディ・デスパレード【淑女達の征旅】 完結―
レディ・デスパレード【淑女達の征旅】 須能 雪羽 @yuki_t
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