終章2

 ケイオスループ社開発ルーム、昼休み。

 瑞希の世話を押し付けられていた綾が、遅れて出社してきた。

 机に座って山積みの朔月物語関連本を開き、続きをハイペースに読み始める。

「さて、綾。これから作るのは朔月テイアが舞台のゲームな訳ですが」

「うん。それで?」

 綾が設定資料を読むかたわらで、悠理はさっき綾に持ってきてもらった手作りマドレーヌを紅茶に浸してから食べている。

「綾にとっての答はなんなのでしょう?」

 悠理の問いかけに、綾は手を休めて

「……朔月テイアを描いた前作『ペイガン・ゴッド』の物語は、朔月と人界の青き大地をつないでいる。『ペイガン・ゴッド』があったから、私はまだはるか彼方にある朔月テイアにまで行けた。万塔祀が『ペイガン・ゴッド』を物語った目的は、この人界と朔月テイアをつなぐこと、なのかもしれない。でも、万塔は朔月テイアを滅ぼし尽くそうとしている」

 悠理はマドレーヌをおいしくいただいてから、

「物語と共鳴した世界はよく物語られることによって成長していくし、世界が成長することによってまた、よりよい物語が育まれていくものですよね」

「でも、続編を物語ろうとしているここは呪縛されている。朔月テイアもまた滅びようとしている」

 紅茶も飲み干した悠理は、さびしそうな顔でティーカップの底に残る滴を転がしながら、

〈誰が呪った クックロビン〉

〈それはわたし〉

〈わたしの物語で わたしが呪った この世界を〉

「……万塔は、朔月テイアを犠牲にこの世界を呪縛しようとしているんだ。だったら私は、逆に物語をつむいで朔月テイアを救ってみせる。このゲームの答は――」

 悠理が指を左右に振って、綾の言葉をさえぎった。

「答はゲームで見せてもらいましょう。綾のお手並み拝見ってね。あたしも力の限りやらせてもらいます」


 塔之原市、昼。

 なぜに自分は、いつも一緒だったカグヤではなくて、かくのごとき中年男を連れて歩かねばならないのだろうか。それもこれも、悠理のせいだ。間違いない。なにが、いつも瑞希はいいタイミングで現れる、だ。後を頼める人がいなくて困っていた、ありがとう、だと。

 思い出してうれしくなりかけたことと、自分が引き受けたことは棚に上げて、瑞希はぶつくさと愚痴を頭の中で言い続ける。

 ケイオスループ社は『ラスト・ティターニア』を開発しているが、その発売は別の出版社からだ。出版社は開発費のほとんどを出資しており、絶大な権力を持つ。万塔と話せば言い負かされてばかりではあるが、出版社にいるプロデューサーこそが『ラスト・ティターニア』の最終的な生殺与奪権を握っているといえた。

 瑞希の連れているのが、そのプロデューサーだ。大変重要な任務なのだからと瑞希は悠理に言い含められ、プロデューサー本人の自由意志をちょっぴり奪わせていただく作戦に加担させられたのだった。

 ケイオスループ社へ近づくにつれ妙な冷や汗が噴き出てくるのを、瑞希はいぶかしむ。戦いを恐れる自分ではないのに、これはどうしたことだ。本能が危険を察知してか、背筋の毛が逆立つのを止められない。

 得体の知れない衝動に思わず叫びを上げそうになり、慌てて口を閉じる。横の鈍感な下僕はなんともないようだ。

 ケイオスループ社のビルが視界に入った。瑞希は心臓を冷たい手でわしづかみにされたかのような恐怖に襲われた。胸を押さえ、体がくずおれそうになるのを耐える。

 これほどの呪縛がこの世にあるというのか。瑞希の使役する鬱霊バンシーやカグヤの精歌どころではない。ビルからは瘴気が立ち上り、死の行進曲デスマーチが響き渡り、終わりなき終わりの呪縛が言霊をブラックホールのように吸い込んでいる。

 かつて天を目指した塔が建てられたとき、呪縛によってこのような有様を迎えたと伝承にある。

 最近、似たようなものに瑞希は接近していた。終わりなき終わりの領域、狭間の彼方にある常若の国だ。そこには始まりも終わりもなく、ただ永遠に停滞するのみ。

 これまで聖なる使命のためとあらば、いかなる困難にも立ち向かってきた瑞希だ。気力を振り絞って足を踏み出そうとする彼女の体は、しかし言うことを聞かなかった。彼女の装備する守語者専用グレートコート『マビノギオン』が、絶対的破滅から彼女を守らんとして動きを封じている。それだけではない。魂の根幹が進むのを拒絶していた。

 鈍感な下僕の松谷プロデューサーは犬のように側で控えているが、その顔を見て瑞希は息を呑んだ。これほど鈍感な男にすら死相が浮かんでいる。

 瑞希は声にならない叫びを上げ、動かない体をそれでも進めようとする。と、いきなり呪縛が解けて前にすっ転んだ。

「い、痛たた…… 呪縛が弱まったのか?」

 よろよろと立ち上がった瑞希の視界に飛び込んできたのは、ケイオスループ社のビルに入っていく綾の姿だった。

 呪縛は中和されたかのように弱まっている。

 だが、銀髪少女から眼を離せない。

 こんなに美しい少女だったろうか?

 体重を感じさせず、風に乗って歩くようなその足取り。たなびく銀髪。透き通るような肌。深い翠色の瞳はなにを映しているのか。まるで妖精のように人間離れした美しさ。昨日とは別人のようだ。

 彼女がビルに入っていってからしばらく休んで、瑞希はようやく気力を取り戻した。

 頭の中でシナリオを反芻する。

 これで間違えたりしたら、ふたつの世界は破滅に突進だと悠理に脅された。悠理はどうでもよいとして、完璧主義の瑞希としては自分に失敗など許せない。

 シナリオを三十回ほどシミュレーションしてみてから、ビルへと足を踏み出す。


 直木先輩は、相変わらず途方にくれていた。

 突然プロデューサーが来訪してくるわ、隣には得体の知れない黒コートの女はいるわ、万塔氏は相変わらず不在のまま。

 権力もないのにこんな応対には借り出されてばかりの自分こそが、まさしく言うところの便利屋か。悲惨の一言だ。

 緊急で机の上だけでも片付けた会議室は、顔がよく見えない黒コート女と妙に無表情な松谷プロデューサー、そして笑いが引きつりかけている自分で息苦しい。

「プランナーを呼んでください」

 機械じみたしゃべりで、プロデューサーが告げる。

 この人、確かに変な話し方ではあったけど、これが新しい芸風なのだろうか。

 内線電話で綾と悠理を呼び出す。先日とは打って変わった元気な声で、早速行きますと返事があった。言葉にたがわず、

「失礼します」

 綾と悠理の二人は待ち受けていたかのようにすぐ会議室にやってきた。

 プロデューサーは二人のほうにぎこちなく顔を向けて、

「プロデューサー命令だ。四日後、全世界に体験版を配信しろ」

 直木先輩は目が点になった。

「はあ? どういうおつもりですか! 体験版どころか、まだどういうゲームを作るかさえ決まっていない――」

 先輩の声をさえぎって、

「分かりました!」

「やりますよ!」

 綾と悠理が景気良く返事するではないか。

「ちょ、ちょっと、あなたたち。できる訳ないでしょ! 第一、万塔クリエイターのご許可をいただかないと」

 悠理が、

「もちろん、許可はいただいてあるんですよね」

 プロデューサーは、がくがくと頭を縦に振る。まるでロボットのようだ。

 面倒が確定したことに、直木先輩は深くため息をついた。


 プロデューサーはこれから海外旅行で長期休暇と言い残し、帰っていった。まったくひどい話だと直木先輩も昔だったら怒るところだが、そんなことばかりで最近はすっかり不感症になっている。

 ともかく段取りを決めねばならない。

 綾と悠理に、直木先輩は説明した。

 テレビゲームというものは、ソフトができたらそれですぐ発売、という訳にはいかないのだ。

 テストプレイを通し、いわゆるバグと呼ばれる動作不具合を見つけて修正、それが終わったらテレビゲーム機を製造しているゲーム機メーカーに提出してチェックを受ける。そこでまた様々な修正指示を言い渡され、それに対応できたらようやく製造開始へと進む。発売したい時にすぐ発売するなんてことは無理だ。

 今回の指示がいくら体験版であって売り物でないとはいえ、ゲーム機メーカーのチェックだけは飛ばせないし、例え今すぐメーカーに提出したとしても軽く一週間以上は待たされる。

 つまり、四日後に全世界公開するなんてことは、ネットを使おうがどうやろうが不可能なのである。

「じゃあ、なんでプロデューサーの話を受けちゃったんでしょ」

 悠理の疑問に、直木先輩は少しためらってから、

「結論を出すのは、下っ端の仕事じゃないのよ。言われたら、それがなんだろうとやるしかないの」

「それなら、私はやります」

 綾の返事に直木先輩は詰まってしまった。

 確かに、どの道やるしかないのだ。しかし、今回はいくらがんばったって物理的に不可能。やっているポーズだけ取って、ごまかしても同じことだ。なのに、どういうことだろう。綾のまっすぐな瞳を見ていると、どうしてもその方法を言い出せない。

 悠理がお気軽そうに、

「ゲームが間に合って、メーカーが許可を出せばいいんですよね。やることが分かっているならできますって」

 作る前からやることが全部分かっていたら、苦労なんてしないのだ。

 それが筋のはずなのに、直木先輩は反論する気がすっかり失せていた。でもそれは、呆れて疲れたからではなかった。この二人ならやり遂げてしまう。なぜかそんな気がしてきてならなかったのだ。

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