第4章2
ここ数日、誇り高き守語者たる瑞希・ロンブロンは災厄続きだった。
先月のことだ。まだはるか彼方の座標位置ではあるが、言霊によって生まれた新たな世界、
かつて人界の青き大地と妖精境の月は相互作用の関係にあった。人界の伝承が妖精境を育み、妖精境の妖精が人界に加護と祝福を与える。言霊が二つの世界を接続していた。
妖精境の月が失われて調和が破れ、いびつな
その待望してきた新たな言霊の世界が、こともあろうにテレビゲームの言霊と接続共鳴していることが判明し、地球を半周してはるばる日本までやってきたというのに。
月弓の悠理に妨害され、地割れに飛び込んで暴徒から逃げた後、まず戻ってくるまでがえらい苦労だった。
地の下に落ちたはいいが、境界を越えて危うく狭間の領域、ティル・ナ・ノグに飛び込みかけた。狭間の彼方は常若の
もっとはるか遠くにあったと思いこんで、この世界までかなり接近しているのに気が付かなかったのは失敗だった。逃げようとしたらば、とんでもないことに
なんだかんだでやっと上まで戻ってきて、悠理を追跡してここ塔之原市まではなんとかたどり着いたものの、そこからがまた悲惨だ。
自分に言ってみる。目の前を見てみろ。これはどういう冗談だ。
ちゃぶ台があり、湯気を上げる料理が供されている。ライスサラダらしきものが器によそわれて自分の分、悠理の分、そして大きな妖精の分と並んでいるのだ。
「……一宿一飯の恩義は忘れぬ」
瑞希はすごく嫌そうに言い捨てた。
悠理は楽しげに、瑞希の背中をばんばん叩いて、
「小さい頃にはさんざんあたしの世話になっておいて、今さらよね!」
「ご飯をお世話しているのは私だぞ」
綾の呟きに瑞希は、
「悠理、これはまた珍しい妖精と誓言したのだな。アルスター系とも違うようだが、詠詩系なのか? 言霊の底が見えないとは、よく分からん」
瑞希の目線に、綾は自分のことを言われていると知って、
「私は妖精じゃなくて人間です! 妖精には嫌われっぱなしです!」
「そ、そうか。それはすまなかったな。汝の料理は大変に美味だ。感謝する」
瑞希は意外と素直に頭を下げる。真面目なのだ。
言い放ってみて、そもそも彼女がこうなった発端を思い出した綾は、
「あの…… 私が妖精に嫌われるせいで、そのカグヤさんは…… ごめんなさい……」
「カ、カグヤ……」
「ああ! まだだめですったら! ほら、泣かない泣かない。ね」
また大粒の涙をこぼしそうになる瑞希の背中を、悠理がさすってあげる。
「もとはといえば―― 悠理のせいだろうが!」
瑞希が逆切れして両手両足を振り回し始めた。悠理がカウントする。
「一、二の三!」
じたばたする瑞希を、綾と悠理はタイミングよく押さえ込んだ。悠理のノリが分かってきたことに、綾はちょっぴり落ち込む。
「ちゃんと探してあげますから。なんといっても、カグヤをこの世に詠んだのはこのあたしですしね」
「絶対、絶対だぞ!」
三人はようやく落ち着いてご飯を食べ始めた。
鯛のカルパッチョにアンディーヴのサラダ、ほうれん草のポタージュスープ、ペンネ・アラビアータと来て、子羊のロースト。
「料理店にでも注文したのか。こんなに贅沢なものを食べては、厳しい修行の邪魔だ」
瑞希はそう言いながらもフォークとナイフを休めない。
「オーバーな。ぜんぶ私が作りました。ちょっと苦めに辛めな大人の味がポイントです」
「これで予算は一人五百円だなんて。ああ、後はワインさえあれば」
悠理は残念そうな顔。
「未成年はワイン禁止です」
綾が叱ると、悠理は瑞希と顔を見合わせた。なにか言いたそうにしたが口をつぐむ。
「ところでだな、あのゲーム、『ペイガン・ゴッド』を作ったのは本当に悠理ではないのか」
瑞希の詰問に、
「あれの物語を書いたのは万塔祀。その設定資料集にも書いてあるでしょ」
「……知らんな。そんな守語者は知らん。しかし守語者でなくて、なぜマビノギオンの原理まで書くことができるのだ。これは守語者に対する挑戦であり侮辱だ」
「食事どきに仕事の話ばかりするのはおいしいご飯への侮辱ですよ」
「そ、そうか。すまん」
悠理のお叱りに、瑞希は話すのを中断した。
三人はおいしく食べ終わった。仲良く入ろうと主張する悠理を無視してお風呂を順番に使い、例によって三人がひとつのベッドに押し込まれる。
よほど疲れていたらしく、瑞希はすぐに寝入ってしまった。綾は起き出して着替え、アパートのドアを開ける。
「あたしも行きますから」
悠理がついと横に立った。
二人は月夜の道を歩く。
「あのカグヤっていう妖精の子は、私を怖がってた」
綾は独り言のように語る。
「相手の正体が分からないとき、なにをしてくるか分からないときに恐怖は生まれる、のです」
悠理も独り言のように返す。
綾は悠理を見て、
「締め切りまでは八日しか残ってないんだ。カグヤは今晩中に探してしまいたい。でも、私が近づくとカグヤは逃げてしまう」
悠理は次の言葉を待った。
「答を教えてほしい。約束は守るから」
二人は他に誰もいない夜道を歩く。悠理も綾を見た。その瞳は銀色に輝いていた。
「答を見つけられるのは綾自身だけ。でも、そこへの道はもう開かれているはず。声を聞くことはできるはず。綾にはあらゆる言霊を読み取り、全ての妖精と心を交わすことのできる力がある。それが綾なのだから」
綾にはその言葉の真意が分からなかった。妖精は自分から逃げてしまうのだ。心を交わしたことなどない。でも、綾は知っていた。悠理の言霊は真実のみを語ると。
しばらく二人は無言だった。
悠理は空を見上げる。
「いい月ね。こんな日はきっと、丘にあの子は呼ばれてます」
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