第2章3

 緑の丘、空には大きな星。

 星からの蒼き光に照らされて、隣には長い赤髪に金色の瞳をした女の子が座り、幸せそうに焼き菓子をかじっている。

 私が女の子のふわふわした服装を面白がると、彼女はむくれた。人の世界にある服だそうで、一度着てみたかったのだという。かわいいと伝えたら、むくれた頬が朱に染まった。

 これは、夢だ。ありえない現実なのだ。私はこれを永久に失ったのだから。

 女の子は私に文句を言う。こんなにお菓子作りが上手なのなら、もっと前から作ってほしかったと。

 私は答える。遊んでいるように見えて、意外に忙しいのだ。

 女の子は怒り出した。もっと彼女を相手してあげなければ、とにかく駄目なのだという。

 でも、約束の日が近い。時間はない。決断しなければならない。人界を守るのか、それとも。

 女の子は怒ったあげく、しっかり抱きついてきた。二度と放してくれないのだそうだ。

 ああ、できうることならば。それがかなうのならば。かなっていたのならば。

 敵襲! 突然に角笛が響く。

 女の子は目を輝かせた。私のために戦えるのがうれしいのだという。

 彼女は手に武器を取る。私から手を離し、行こうとする。

 止めろ。行くな。行くな。行くな!

 どこからか声が告げる。選択したのはお前だ。手を離したのはお前なのだと。


 次の日がやってきた。

 二人泊まれるなんて詐欺だ。ひとつベッドに二人で寝たあげく、抱きついてくる悠理を引き剥がすのに必死でよく眠れなかった。さんざんうなされた気がする。

 結局、食事の後片付けを始めたら台所に部屋の掃除までやってしまった綾は、終電を逃してしまったのだった。悠理からは、実はすごく面倒見がいいタイプでしょと指摘されて、それが真実であることに綾はげっそりしていた。確かに、困っている人や世話すべきことがあると、綾は体が勝手に動く。血の気がなくてか細げな悠理の姿を見ていると、どうにも我慢できず、きちんとご飯を食べさせたくなってしまう。もっとも、悠理の性格ときたら体に似合わず元気そのものなのだが。

 悠理のアパートに泊まってからの出勤となった綾は赤い目をこする。ともかく、悠理の提案でまずはケイオスループ社の状況をよく教えてもらうことになった。開発ルームでコンピュータのディスプレイを囲む。

「さて」

 プログラムセクションのリーダーにして元軍人の小林一佐はディスプレイを示した。

「これが現在の戦況だ。各隊は孤立しており、苦しいながらも独断専行で個別に善戦してはいるが、まとまって作戦行動できる状況にはない」

 独断専行とは軍事用語で、前線指揮官が現場の判断で行動することを言い、ネガティブな意味は本来なかった。さすが軍人、本来の定義どおりに中立的な表現で使うんだと悠理はまた感心しつつ、画面を眺めて、

「なるほど、レースゲーム、格闘ゲーム、育成ゲーム、建築ゲームは遊べるんですね。ストーリーでつながっていないから、ただのミニゲーム集だけど」

「よって、貴君らがストーリーを用意し、各戦線を統合せねばならない。その方法だが……」

 小林一佐は分厚い紙資料を取り出した。

「あらゆる戦況に対応できるよう、万能の制御ツールを用意してある。これさえ使えば、貴君らだけでゲームを完成させることは優に可能だ。このマニュアルを見たまえ」

 綾はとりあえず書類をめくってみた。

「汎用ゲーム制御言語『丙』、ですか?」

「このプロジェクトにおいて、最初に生まれた『甲』言語はいわゆるアドベンチャーゲーム開発用の簡易言語であり、アドベンチャーゲームの画面やメッセージを制御できた。すなわち、アドベンチャーゲームを作ることができる簡易言語だった」

 悠理はわくわくしながら、綾は陰々滅々と聞いている。

 簡易言語とは機能を限定したコンピュータ言語で、プログラマでなくても使えるよう簡単な作りになっている。英語の学習に例えて言うなら、ごく簡単な単語だけを使って英語の絵本を書いてみるといったところか。

「しばらくして、対象とするゲームジャンルが爆発的に拡大していると判明した。我々はロールプレイング用簡易言語、戦略シミュレーション用簡易言語、レース用簡易言語と続々リリースしていったが、ジャンルの追加と仕様変更は止まるところを知らず、ついにどうしても追いつけないことが明らかとなってしまった」

 そんなことだろうと、綾がうなずく。

「そこでだ。万塔総監督は逆転の発想をされた。簡易言語を個別に用意するから対応しきれない。であるならば、万能の高級な言語をひとつ発明すればよいのだ」

「それが『丙』言語なんですね! ふむふむ、文法はC++シープラプラ言語にそっくりというか互換であると。これならなんでも書けますよね! すごい!」

 C++言語とは、コンピュータゲームを作るのによく使われる高度なコンピュータ言語だ。

 丙言語がC++言語と同じ能力を持つのであれば、それはなんでも作れるのは当たり前というか、単に零からプログラムしているのと同じなのではないか。それはつまり、簡易言語のように簡単なものではなく、プログラマでないと使えないのではないだろうか。

 英語の学習に例えて言うならば、海外に赴任して通訳なしで英語を使った仕事をやってみるようなものではないのか。というかそれ、学習じゃなくて実践だ。

 綾が疑問に感じて悠理に聞こうとすると、

「すごい、これこそが車輪の再発明なんですねえ。世界に冠たるC++言語を発明しちゃうなんて感心感心」

 と、ぶつくさ呟いているので質問する気力を失った。

「この丙言語を貴君らに託す」

「……?」

 綾は小林一佐を見た。冗談を言っている顔ではなかった。

「貴君らが丙言語でプログラムし、キャラクターを設定し、ストーリーを用意し、ゲームをひとつにまとめるのだ」

「あの……」

「幸い、ゲームのキャラクターモデルや画像類は数十種類のゲームを開発できるほどに蓄積してある。なんでもよりどりみどりだ」

 幸いという言葉の意味が分からない。でも、綾にはそろそろ不幸せという意味も分からなくなってきそうだった。


「悠理はコンピュータ言語が読めるんだ……」

 与えられた自分の机で、綾はぐったりとしていた。隣の悠理は元気に丙言語のマニュアルをめくっている。

「それはもうきっぱりと、分かりません!」

 悠理の力強い言葉に励まされて、綾は机に突っ伏す。

「もう、だめ。この世に銀の弾丸なんかない」

 綾のあきらめ宣言に、悠理はなぜだかうれしそうな表情で、

「今日はいいですよ。そこでゆっくり休んでてくださいな。ほら、これでも飲んで」

 悠理の差し出したココアを綾は受け取った。カップが暖かい。

 悠理は白い細指でバシバシとキーボードを叩いて計算する。

「よし、データは十分! これで期間を計算してみると……」

 悠理はコンピュータ画面をにらんで、

「ふむ、十年というところかな。がんばれば、十年間でプログラムを終わって完成できますよ。意外と早いもんですね。人数が少ないから効率はいいですね」

「十年もやってられるか!」

「そうですねえ、社員の皆さんが持たないでしょうね。会社も持たないかも」

 綾はぐったりした。自分が持たない……

「さて、綾。万塔さまのゲームはなんで完成しないんだと思います?」

「呪縛を受けているから」

「それはむしろ結果ですよね」

「じゃあ、やることを決めてないから」

 やることが定まっておらず、綾と悠理がこれからゲーム内容を決めるような状況で完成する訳がない。

「それがまず一つ目ですよね。でもそれだけじゃありませんよ」

「答を決めていないから?」

 悠理は、人差し指を左右に振った。

「呪縛の塔はね、天空を目指して果てしなく建て続けられたんです。それがどうやって終わったんだと思います?」

「呪縛の塔って」

「バベルの塔ともいいますね」

「バベルの塔……? 天からの雷で砕かれたんじゃないの」

 今度は首を左右に振った。

「違いますよ。天空を目指すほどの者が雷に砕かれたぐらいであきらめますか?」

「じゃあ、もしかして…… 天空にたどり着いた?」

「惜しい! どこまで高くしたら天空なんでしょう? 百メートル? 一キロ? それとも月に届くまで?」

「これが天空の高さだって満足したら、そこが天空なんじゃないの…… そうか! ゲームが完成しないのは、できた物が答だって満足しないからなんだ」

「うん! 創られる物にあらかじめ答なんてないんですよ。そこが答と満足したときに終わるんです」

 珍しく悠理がなんだかいい話をするので、綾は続きを期待して、

「つまり?」

 悠理が立ち上がった。

「つまり、万塔さまが作り直したくなる前に、答を出しちゃえばいい! 次に万塔さまが来るのは十日後、それまでに完成させるのです!」

 腕を腰に当て、勝ち誇ったように堂々と仁王立ちの悠理を、綾はこれ以上ないくらい冷たい目で見上げた。十年がどうやれば十日になるというのだ。

「あ! あたしをバカと思ってますね~! この悠理様の腕を見せたげます」

「どうやるのよ」

「ふふふ。まあ、綾は大船に乗ったつもりで、そのココアでもゆっくり飲みながらお待ちなさいな」

 悠理からもらったココアは眠りを誘う甘さだった。悠理は丙言語のマニュアルを読み始める。口を聞かなくなり、静かに読みふける。

 昨夜よく眠れなかった綾は、しばらく一緒に丙言語のマニュアルをながめていたが、やがて死の行進曲デスマーチを子守唄にそのまま眠りへと落ち込んでいった。


 まばゆく輝く宝物の蔵。湖底に隠され、その壁や柱は全て水。我が力で支えられなくば、一瞬で潰え去る。そこで私は待っている。彼女に誕生日の贈り物をするのだ。

 ああ、また夢を見ている。

 美しい赤髪に愛くるしい金の瞳を持つ小さな少女。

 彼女が欲しがるものはなんだろう。王の宝冠か、銀細工のドレスか。

 やがて、小さな女の子は、身長の四倍近くはあろうかというものを引きずってきた。また、とんでもないものを選んだものだ。

 災厄の杖レーヴァテイン。普段はただの杖だが、選ばれし者には大いなる力を与える。

 こともあろうに、まだ満足に振り回せもしない彼女に握られて、災厄の杖レーヴァテインは焔の刃を現していた。彼女は杖に選ばれてしまったのだ。

 ああ、あのとき止めておけば。

 この武具で、彼女は私を守ってくれるのだという。

 本当にそれでよいのかと問うた私に、彼女はおずおずと手を差し出した。開いた手には焔水晶のピアス。彼女が身を飾るには、さすがにまだまだ早そうだ。武具よりはましだけれども。

 恥ずかしそうな彼女の耳にピアスをあてがってみる。数年もたてば、彼女は美しく育ってこのピアスもよく似合うことだろう。そう言ってあげると彼女は怒り出した。今、似合っているのだという。まったく、この子ときたら難しい。でも、そこがかわいらしいのだ。

 ああ、愛し子よ。なぜ。


 ようやく目を覚ました綾は、既に灯りも消された深夜であることに愕然とした。隣には悠理がいて、パンを貪り食っている。

 綾にコーヒーカップを突き出して、

「飲みます? 結構おいしいですよ、このコーヒー」

「うわ! 苦ッ」

「頭が冴えてくるでしょ」

 意識のはっきりしてきた綾は、

「ここはどこ?」

 ケイオスループ社の開発ルームではなかった。見知らぬ一室の床にマットレスが敷かれて、そこに綾は寝ていたのだった。

「電器店の最上階。明日、ここでラスト・ティターニアの制作発表会があるんですよね。ちょっと小林一佐にお願いして、機材の搬入ついでに綾を運び込んでもらいました」

「拉致だ! 犯罪だ!」

「来いといったら来た?」

「誰が来るか! マニア向けイベントなんて!」

「やっぱり拉致で正解でした」

 悠理はにやりとした。窓際によって下を指差し、

「ほら、綾も見て。わざわざ夜に来た理由が分かりますから」

 むっとしながらも、綾は示された方向を見下ろしてみる。今いる場所は、この高層ビルの最上階。はるか下の地面では人が行列で幾十重もの輪を描き、ビルを取り巻いていた。綾にはそれがただの行列ではなく、強い言霊を発散していることが感じ取れた。言霊は共鳴しあっている。

「なに、あれ」

「朔月物語のファンたち。ラスト・ティターニア制作発表会に参加したくて、徹夜で行列してるんですよ」

「それよりも、あの言霊は」

「力ある言葉は言霊となって、大いなる業をなす。世界を生み出すことすらあるんです。生まれた世界は言霊を語る者たちと共鳴して、より強く育っていくの」

 綾は窓にべったりと手を当てて、

「まさか、ゲームから生まれた世界があるっていうの? 彼らはその世界と共鳴しているとでも? いくら大ヒットしているからといって、ゲームの物語なんかでそんなことが起きるなんて、信じられない」

 悠理は人差し指を左右に振った。

「さて、ゲームのなんかとおっしゃる綾に質問です。前作、ペイガン・ゴッドはどんな話だったでしょう」

「ええっと、地球からは見えないもうひとつの月、朔月にある国々が舞台で、妖精を信じている辺境の国ティターニアが女性を奪っていくから、正義の大陸連合国が戦いを挑み、ヒーローの異神ペイガン・ゴッドが女性を取り戻そうとする話!」

「それがなんでまた、続編では、ティターニアを再興しようとする月の巫女ルナルメイデンたちが主役の話に変わっちゃうのでしょう」

「男に人気のかわいい女の子がたくさん出てくるからでしょ! 設定資料ぐらいは読んだけど、あんな男向けゲームなんか遊ばないし、ラスト・ティターニアなんて分からないよ!」

「ほうほう、分からない。前作をまだプレイしてもいない。では、ファンは半数以上が女性であることもご存じない。それではゲームも作れませんね。綾は朔月テイアをぜひ一度訪問してみるべきですね」

 綾は怪訝な顔をした。

「ゲームでも遊べっていうの」

「ふふ、まあ、お待ちなさいってば」

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