第2章4

 ここは世界最大の電気店街。大通りは昼間とあって大混雑している。そこを突き進む二人がいた。

 小さな方の子は、背丈よりも大きな本棚を背負っていた。

 黒く頑丈な木造りの本棚には、皮で装丁された分厚い本がぎっしりと詰め込まれている。体重以上の重量がかかっている割には、その子の足取りはしっかりしていた。

 本からはかすかに声のような音が聞こえてくる。苦痛のうめきか、呪いの叫びか、もし聞いてしまえば心を凍りつかせるであろう凶音だ。

「あの駅を抜けるぞ、カグヤ。時間がない、急ぐのだ。急がねばまた月弓の悠理めにしてやられる」

 数歩前を行く女の呼びかけに、

「はい! ミズキ師妹しまい様 またやられちゃいますね!」

 カグヤと呼ばれた子は元気に返事をして歩みを速め、本棚の重みをものともせずに、大勢がたむろする駅の中を突っ切っていく。

 がっしりした本棚の角で数人の脛が犠牲となる。彼らは苦痛にうめきながら足元に目をやるが、その原因は見当たらない。

 瑞希みずき師妹とカグヤは、使命を帯びてこの街にやってきた。

「しかし、よりにもよって言霊の希薄な機械の街で物語を祭ろうなどと、人界の者共は愚かなものだな」

「はい! 師妹様。愚かすぎです!」

 新作ゲーム、ラスト・ティターニア。その制作発表会を粉砕し、物語りを止めさせることが彼女らの目的。

「世界を滅ぼす悪行がなされようとしている。言霊と世界の調和を役目とする我らの誇りにかけて、なんとしても守語の力をもって阻まねばならない」

「はい! それが我ら守語者の使命です!」

 背高な瑞希は頭を突き出して人ごみをかき分け、カグヤは人々の靴先を小さな背丈でかい潜る。

 そう、カグヤの背丈は人々の膝どころかハイヒールより少し高い程度でしかない。瑞希の身長は百九十五センチ、そしてカグヤはといえばわずか十五センチ。その小さなサイズで人と同じ姿を持ち、瑞希と会話をしながら元気に走っている。カグヤは言霊を体とし物語を魂とする存在、妖精なのだ。

 瑞希が突然立ち止まり、カグヤはバランスを壊して危うく前のめりに倒れかけた。まったく、師妹様についていくのには苦労する。もう十六年も一緒だっていうのに。でもまあ、この人の面倒をみるのが生まれたときに頼まれた仕事だし、なんといっても一緒にいれば飽きることはない。今度はなにを見せてもらえるやら。

 瑞希は改札を前に激しい怒声で、

「この駅は通り抜けられないことも分からぬのか、カグヤ! この間抜けで愚かな未熟者め! お前など守語者の端くれですらない! 妖精でもない! 虫けらだ! 精典リア・ファイルを三百六十回読み直して、そして……」

 二人にとって初めての土地だから知る由もなかったが、この駅は反対側に通り抜けができない。

 自分が先導したことを棚に上げて延々と罵倒し続ける瑞希に、

「はい! すべて仰せの通りです。師妹様!」

 気にせず明るく答えるやカグヤは床にぺたりと座り込み、背中から本棚を降ろし始めた。

「なんの真似だ、カグヤ」

 カグヤは頭を上げて、

精典リア・ファイルを三百六十回読みます。一回五時間かかりますから、千八百時間お待ちくださいね」

 カグヤを本棚ごと蹴っ飛ばしかけた瑞希は、精典リア・ファイルへのお詫びを口の中でモゴモゴと唱える。

「大馬鹿者めが! 一刻を争うのだ! 悠理がいつ妨害しにくるか、知れたものではないのだぞ。奴に決して力を使わせてはならん」

「はい、分かりました、師妹様! 早くユーリ様にお会いしたいですね」

「悠理めに様をつけて呼ぶな!」

 カグヤは大きな本棚をひょいと背負い直して立ち上がった。悠理は瑞希にとって宿命的な相手。妖精と人間のつなぎを生業なりわいとする月弓の悠理は、瑞希の使命をたびたび妨げてきた。

 カグヤは改札口を軽く跳び越して駆け出す。駅員のあごに本棚の天板が直撃して、フィニッシュブローでもヒットしたかのように宙を舞わせたが、カグヤは気に留めもしない。使命の前にはなにほどのこともない犠牲だ。

 瑞希も慌てて後を追い、駅を駆け抜けた。休日だけあって、行きかう人々で大通りは混雑している。

 駅を飛び出した黒コートの瑞希師妹は人ごみの中に突入、本棚を背負ったカグヤもそれに続く。機械の町にしては言霊がずいぶんと強く匂う。ここは物語に満ちているようだ。言霊が薄いなどといっていた師妹様の情報は、例によってずいぶんと古ぼけているらしい。

「急ぐぞ! 偽りの物語を抹消し、言霊と世界を守るのだ!」

 カグヤたち守語者は知っている。力ある言葉は言霊となり、世界を生みまた滅ぼすほどの大いなる業をなす。かつてこの人界も言霊につづられし物語から生まれたのだという。

 守語者たちは言霊使い。その力をもって言霊を導き世界を守るのが、去りし彼らの王から授かった使命。

「どけどけどけ! 使命の邪魔だ!」

「どけどけどけ~! です!」


 世界最大の電気街にそびえ立つ世界最大の電気店。地上百二十階を誇る新築の超高層タワーだ。

 最上階の電気店展望フロアには、ゲームのイベント待ちでファンたちが大勢たむろしている。最近、急激なブームとなりつつある朔月物語の新作ゲーム、『ラスト・ティターニア』。その制作発表会がまもなく開催されるのだ。

 今回のイベントを観ることができるのは抽選で当たった者限定だが、人気がありすぎて大会場には人が鮨詰め状態になっていた。少しでもよい場所で見ようと、彼らは徹夜行列のあげく数時間以上前から会場で待っている。男性、女性が半々ぐらい。朔月物語キャラのフィギュアを手に持つ男、手製のコスチュームを着込んでいる少女たち、そこには独特の世界が作り上げられている。

 ステージ上にはプロデューサー、声優陣に作曲家、キャラクターデザイナーといった主要スタッフが並んでいる。ただ総監督の席だけは、用意されているのに無人だった。

 そのステージ裏で、綾は白い肌をピンク色に染めていた。とはいえ何重にも布に覆われているから、顔ぐらいでしかそれは分からない。

「本当に着替えはこの服しかなかったのか?」

「うんうん」

 綾が着ているのは、朔月物語に登場する月の巫女ルナルメイデンの服装だった。ロングワンピースにエプロン、ストッキング、布飾りつきのカチューシャ。レースのひだ付きで、着込んでいる布の総量はかなりのものだ。布には複雑な文様が織り込まれており、加えて緋色の刺繍もなされている。服飾にはあまり詳しくない綾といえども、この服装が大変手間のかかったものであることは分かった。それはいい。

「これしかなくてですね。うん、あつらえたようにぴったりですねえ」

「嘘だ! 嫌がらせだ!」

 メイド服と巫女服を足して二で割らないような見た目の服を着せられて、綾は激しく抗議する。これはイベント用のコスプレではないか。着替えがこれしかなかったなんて、また罠に決まっている。

「ああ、綾にはやっぱりよく似合っている。かわいすぎますね!」

 悠理は目を細めて幸せそうに鑑賞している。

「絶対、表には出ないからな!」

「いいですよ」

「へ?」

 イベントに参加させられる陰謀かと信じ込んでいた綾は拍子抜けした。あっさりした表情で悠理は、

「綾はこのステージ裏にいればいいですから。じゃあ、あたしはちょっとブレーカーを見てきます」

 綾をおいて、どこかへ行ってしまった。手持ち無沙汰になった綾は、陰からステージを観察する。そこではイベントの出演者たちが時間を潰していた。

 作曲家は小声で心配げに隣の出演者へと話しかける。

「ここまで派手なことになるなんて、まだ信じられないですよ」

「君、信じる信じないじゃないよ。朔月物語がここまで人気になったことだって夢みたいなんだぞ。これは夢だ。これから起こることも夢だ。それでいいじゃないか」

 キャラクターデザイナーが高揚した声で答える。

「万塔氏が来ていないみたいだけど、仕切りはオーケーなの? 問題ない? 俺が呼ぼっか?」

 神経の図太さでならしているプロデューサーも、熱気に当てられてか興奮を隠せない。

 スタッフが、

「発表内容はチェックいただいてます。自分がいなくても気にするなとのことです」

 キャラクターデザイナーが力強く、

「見たまえよ、君。このファンたちにとって、朔月テイアは存在するんだ。生きた世界なんだよ」

 朔月物語シリーズ第一作の『ペイガン・ゴッド』で物語の人気には火が付いており、この新作は同じスタッフが満を持して投入する。その上、総監督は有名ゲームクリエイターの万塔祀氏だ。

 これが大ブレイクするであろうことに、誰も疑いはなかった。その自信を、イベントの成功によって高らかに宣言しようというのだった。

 イベント開始まで後わずか。大会場では、ファンもスタッフも、皆がそのときを待ち焦がれている。

 そのとき、地上二百メートルを越えるこの階層にまで階段を駆け上がってくる音があった。

 黒コートの女が非常口からフロアに駆け込んでくる。綾は目を疑った。女に続いて、妖精も駆け込んでくるではないか。小さな女の子の妖精だ。これほどまでに明確な実体を持つ妖精を見たのは初めてだった。

 駆け込んでいた女、妖精、二人は共に黒いコートを身にまとって顔はフードで覆っている。女の子妖精のほうは身の丈よりも大きな本棚を背負っていた。

 一人ともう一人はステージに上がる。

 ファンたちはイベント開始かと喜びの声を上げかけたが、知らないキャラの扮装である上に、朔月物語とは雰囲気が違いすぎる。会場がざわめいた。綾もまた、まったく予測できなかった事態の勃発にステージ裏で呆然としている。

 女、瑞希師妹は激しく息を切らしながら、

「――よ、よ、よくも、エ、エレ、エレベーターを―― ――止め ――止めおった ――止めおったな――! か、かような偽りの、物語を著すにあきたらず――!」

 なにかの故障でもあったか、確かにエレベーター全機が止まっている。やむを得ず、彼女はこの最上階まで階段を駆け登ってきたのだ。

 妖精カグヤがフードを跳ね上げ、ポニーテールの銀髪とまだ幼い顔を現した。くるくるした大きな翠色の瞳が輝いている。カグヤは瑞希の肩に飛び乗って、続きを元気に

「かような偽りの物語を著すにあきたらず、我ら守語者の聖なる使命を阻まんとするとは決して許さぬ! このド畜生めが! で、よろしいでしょうか、師妹様」

 瑞希はぜいぜいとあえぎながら力を振り絞ってフードを跳ね上げた。二十代前半ぐらいであろう女の顔が現れる。

 大きめの眼鏡をかけ、長い黒髪も邪魔しているので分かりにくいが、乱暴な言葉遣いには似合わずきれいな顔立ちだ。これで表情が歪んでいなくて、逆上してもいなければ、本来は美女といってもよいだろう。コートに隠されてこれもよく見えないけれど、スタイルもかなりのものだ。

「――精典の ――前で ……畜生などと ――下品な言葉を、つ、使うな!」

「師妹様も今おっしゃいました」

 カグヤのツッコミに、瑞希は慌てて口の中で許しを請う。

 しばらく呆然としていた司会者は、

「あの、エレベーターが止まっていたとの件についてはともかく申し訳ないのですが、ここはチケットをお持ちの方のみとなっておりますので――」

 ようやく息も落ち着いてきた瑞希は司会者に人差し指を突きつけた。

「お前たちの物語が言霊を生み、朔月テイアを汚そうとしている。ここで阻まねば世界は乱れ、生まれし朔月は再び狭間へと飲み込まれ、人界もまた断絶することになろう。よってお前たちの物語は抹消と決まった!」

「抹消と決まった!」

 肩上のカグヤも続けて叫ぶ。

「この祭は終わらせ、お前たちのゲームも滅ぼす!」

 ファンたちは困惑した表情で、

「なんなんだよ。別のイベントが始まったのか」

「外伝でこんなのあったっけ?」

「サプライズネタか? 演出こってるなあ」

 とりあえず見物と決め込む。

 カグヤはきょろきょろとして、

「すごく得体の知れない気配を感じるのです、師妹様。言霊が渦巻いているような」

「そんなことはどうでもいい。カグヤ、精歌を始め!」

「はい、師妹様!」

 瑞希の命にカグヤは胸を張り、口を大きく開いて明るく詠い始めた。カグヤお得意の持ち歌だ。

〈歩け 歩け どこにもないゴールへ♪ 進め 進め 後ろに向かって♪ 力は尽きて 才能削れ 残るは徒労ばかりなり〉

 歌い手のカグヤはとても楽しげな様子なのだが、どうしようもなく暗い歌だ。

 スタッフたちは突然の頭痛で頭を抱える。綾ははっとした。これは父が演奏し、ケイオスループ社で聞こえてきた曲とも同じものだ。もともとは行進曲だったのを一人で歌えるよう作詞編曲したのだろう。

〈仲間も倒れ 家族に捨てられ お前はお前に裏切られ♪ おこがましきは 物語る者♪ 原作者様の 言葉を乱す 呪われるべきは 物語る者♪ 徹夜 徹夜 徹夜~♪ 物語る者よ 呪われよ~♪〉

 会場にいるファンたちの顔からも、みるみる生気がなくなっていく。

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