終章1
今は東ジャガンと呼称されている森林地帯。
その上空を風に乗って進む月の
天守の脱出を指揮していた
森はそこかしこから煙が上がり、戦場であることを示している。舞い上がる焔は大砲の爆煙か、
心を映すかのように、焔のような煌きが彼女の着るマビノギオンに走る。彼女を加護する
もう、見たくない。どうにもならないのならば。ホタルは重い足取りで下への階段を降り、扉を開けようとした。
扉が向こうから開く。
敵の侵入か! ホタルは一瞬で剣を引き抜き構える。
が、扉の向こうは無人。気配に足元を見ると、そこには本棚を背負った妖精がいた。銀髪にくるくるした翠色の瞳を持つ小妖精。頭にはまるで宝冠のように、焔水晶の指輪を載せている。焔水晶は力を発し、輝いていた。世界を越える力だ。
妖精は足の間を走り抜け、天守広間の真ん中辺りにたどり着いて叫んだ。
「皆さんに伝言があります!」
この妖精から感じる言霊の匂い、アヤからの伝言! ホタルは直感した。
妖精カグヤは続ける。
『お願いがあります。もう一度森に戻ってほしいんです』
それは死ねと頼むも同じ。
『私は皆を助けたい』
その皆は命を賭けてこの船を脱出させようとしているのではないのか。
『この船、白銀の
座り込み、疲れきっていた月の
白銀の
ティターニアは妖精王と呼ばれる主人を戴き、月の
一度としてこの天守は本来の名前を名乗ったことなどない。
だが、しかし。今、その名で呼ばれた。
ホタルの心臓は早鐘のように打つ。
『異神は白銀の
この天守をその名で呼ぶ者は誰か。そのときが来たというのか。
『取り戻しましょう。祖国を。愛する者たちを。自分自身を。皆で共に歩むのです』
妖精カグヤに脈打つ言霊を、伝言の主から託されたメッセージを月の
〈妖精王は帰還する〉
月の
ホタルは宣言する。
「天守の脱出作戦は成功した。これより、白銀の
ためらう者などいるはずがなかった。彼女たちは月の
マストに高々と、船名の信号旗が掲げられる。
真名を表した天守は、その姿を変えていく。全身に文様が浮かび上がり、丸い翼は猛禽類のように鋭く伸び張り詰め、木製だったはずの建物は銀に輝きながら船の形に変わっていく。
風。
水。
土。
火。
兇刃のミナカがまとうマビノギオンは彼女の血で赤黒く染まっていた。
敵の骸で山を築き、その頂きに彼女は立つ。
彼女の雄たけびが戦場を震わせる。
雑兵の大軍を彼女に挑ませ続けた万塔祀は、
「もはや災厄の
最後の力を振り絞って、ミナカは万塔に襲いかかろうとする。ミナカの命を吸って、マビノギオンは燃え上がる。
万塔は抑揚のない声で、
「しょせん、主人公を持たぬ物語など脆い。それでも、人界を狭間へと引きずりこむ役には立つというものです。もろともに、常若の国へと去るがよい。去りし妖精王を恨みながら」
ティターニアが信じる妖精王。それはあまたの妖精を愛し、人を愛し、世界を愛する、生ける歌。
ミナカは紫色の唇から血を滴らせ、凄惨に笑って告げた。
「妖精王はいるのです」
ミナカの目には微塵の迷いもない。まっすぐに万塔を見据える。
「たわごとを。妖精王がいるのならば、なぜ月の
「妖精王を守るのが月の
デタラメな理屈と一笑にふされるべき主張だった。しかし、無表情だった万塔の目が大きく見開かれる。聞いてはならぬ言葉を聞いたかのように。
爬虫類のごとき倭建命の目が、くるりと上空に向いた。霧を抜け、焔の船が大気の波に乗って突入してくる。
猛スピードで迫る銀の巨船。兵士たちはその場を逃げ離れようと駆け出す。止めようとする指揮官と兵士の叫びで戦場は満たされる。
「ありえません。白銀の
万塔は叫ぶ。
船上では、舵を取るホタルの肩にしっかり妖精カグヤがつかまって、方向を指示している。
「ミナカ発見、面舵三度、仰角そのまま」
ミナカは船上の信号旗を見た。撤退、ではなかった。読み取った信号は、王命により集合せよ。
倭建命は迫り来る白銀の
先に救出されていたホシミが、回収していた災厄の杖を船上から投げる。受け取ったミナカは迫る草薙をなぎ払う。続けてツキミが錨綱を放る。ミナカは跳躍し、綱につかまった。
「成功! 離脱してください! ホタルさま!」
カグヤが耳元で叫ぶや、ホタルは舵を勢いよく引く。船体は急上昇する。綱先の錨は
白銀の
既に戦場は遠い。船室や甲板では怪我人の治療で大騒ぎ。
重傷のミナカは、船室のベッドに横たえられていた。
「お…… お姉様…… は……」
起き上がろうとするミナカを、ホタルが押さえつける。
「馬鹿! 生きているのが不思議なぐらいの傷なんだ。また会いたきゃ、おとなしく寝てな!」
カグヤがそっと、ミナカの枕元に降り立った。
「ミナカさまにアヤさまからの伝言があります。返事はせずに聞いてくださいね」
「……」
「『私は…… 私は、必ず、必ず還るから』『――それだけ? 他に言いたいことは?』『会いたい! 会いたい! 会いたい! ミナカ!』『大丈夫大丈夫、カグヤが行ってくれますからね』『守りたい…… うっく…… ひっく…… う……』 以降、言葉にならなくなったので終了です。あ、ユーリ様のセリフも混ざってましたね」
無言で聞くミナカの瞳から、もう流しつくしたはずの液体があふれる。カグヤが小さな舌で熱い滴をなめる。癒しの光が船室にあふれた。
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