第2章1
そこは小さく怪しげな会議室。
ゲームキャラクターのポスターがところ狭しと壁中に貼られている。机上にはこれまたゲームグッズの山。床には機材の数々が放置されている。混沌とした光景だ。
汗の臭いがきつい。向こうの大部屋から漂ってくるだけでなく、どうやらこの会議室自体に染み付いているようだ。仮眠室にでも使われているのだろう。
高校制服姿の彼女、文原綾はその部屋で一人憤っていた。
かくのごとき怪しげな空間に、うら若き自分がいるのはいかにも不自然だ。間違っているのだ。即座に席を立って帰るべきなのだ。
確かにここはペイガン・ゴッドを作った会社だから、綾の絵とゲームの関係を調べられるかもしれない。それにしても、わざわざ入り込んでこんな気持ち悪いところで働くこともないではないか。罠だ、陰謀だ、犯罪だ。一流のブローカーとやら名乗ったくせに、どうして二人そろって夏休みのアルバイト面接になるのだ。彼女は隣の席にいる犯人をにらみつけ、立ち上がろうとする。
犯人の少女、悠理は綾の肩を抱いて一緒に立ち上がった。いつものカチューシャを今日に限ってはめていない悠理の黒髪は、大きくふわりと揺れる。悠理は面接官へと胸を張り、にこやかに
「この子はゲームの天才なんです。それにとても真面目ないい子で、約束したことは絶対に守ってがんばります。なんだってやらせてください!」
「!」
抱きつかれるのが苦手になったらしく、綾は整った顔を朱に染めて、しばし硬直していた。突然われに返って腕を振り払い座り込む。照れているというよりも動揺だ。
綾は気力を振り絞って、
「私、実は疫病神なんです。私がいると不幸なことばかりが」
「ほう、それは実に面白いですね。とても個性的で魅力的なアピールです。他にもなにかありませんか。自分がいるといつも殺人事件が起きるとか」
面接官の言葉に、綾はちょっと下を向いて首と銀髪を横に振り、
「い、いえ……」
ぺたりと座り込む。もはや綾が逃げる気をなくしたことに悠理は満足し、椅子に深く座りなおして面接官を眺めた。
それにしても圧迫感のある女だった。この会場には綾と悠理、そしてこの面接官一人しかいないのに、そう広い部屋でもないとはいえプレッシャーがきつい。年の頃は三十代前半ぐらいか。おかっぱ頭にお人形のような顔で一見柔和そうだが、よく見ると目は全然笑っていない。
この女が、ゲーム業界にその名を轟かす有名クリエイター、
テレビゲームの大規模なプロジェクトチームが万塔の手でいくつ立ち上げられたことか。ゲームが完成する前にいつも次のプロジェクトへと移ってしまっているので、様々な意味もこめて『終わらない伝説』『ネバーエンディング万塔』などと呼ばれている。
朔月物語シリーズ第一弾『ペイガン・ゴッド』には中盤から参加してシナリオや設定を作成、珍しくゲーム完成まで残り、続編『ラスト・ティターニア』では総監督を務めている。
万塔祀は重々しくゆっくりと、
「さて、万塔から君たちに重要な質問。一生を決める、重要な質問です」
綾は激しく疲労を感じていた。アルバイトの面接でなぜ一生を決められねばならないのだ。
「バベルの塔が建てられた理由。なんだと思いますか?」
ゲーム会社のアルバイト面接とは思えない、奇妙な質問だった。悠理が綾のほうを見る。
「面白かったから」
綾は即答した。
「天まで届く塔のアイディアが面白かったし、まだ他の誰もやってなかったから」
綾としては、もっともいい加減で、もっともエゴイスティックな回答のつもりだった。こんな答えをしておいて真面目ないい子もないだろう。悠理には悪いけど、仕事をするならもっと真っ当なところがいい。
満足げに万塔は両腕を開いた。そう、それが正解だったのだ。綾は答えてしまったのだ。
「そうです。こちら側の人間と認めましょう。そう答えられる人種でなければ、こちらでは生存不可能。ようこそ、私の領域へ。万塔が君たちを雇います」
綾の端整な顔が引きつる。やってしまった!
「ありがとうございます! がんばります! なんでもやっちゃいます!」
悠理が何度もお辞儀を繰り返す。綾の目の前には、真っ暗で果てしなく大きい墓穴が広がっていた。
まだ朝も早く、夏とはいえ少し肌寒い。
文原綾の自宅に、ノックの音が響いた。
扉の覗き窓で来訪者を確認した綾は、扉を開けて、悠理へと不機嫌そうな顔を向けた。
悠理は楽しげに、
「バイトに行きましょうよ。さっさと行きましょうよ」
「アルバイトは昼からでしょうが」
「早く行ってやる気をアピールしていれば、いい仕事がもらえたりするかも。秘密も教えてくれたりとか」
「……いらん」
悠理は、ぶかぶかの学ラン姿だ。綾はいぶかしげな目で、
「なんでいつもそういう格好なのよ」
「こういう色をしていて、活動的な格好で、目立たない服装といえば、これでしょう。えっへん!」
「服のおかげで中身が目立たなくなっていいかもね」
悠理は綾の冷たい返事を気にもせず、一歩近づいて、綾のパジャマ姿を上から下までじっとり見つめた。実にうれしそうだ。
「綾ってば、パジャマ姿もいいですよね」
悠理が密着しそうなほどに迫るので綾が後ずさると、悠理は玄関口までひょいと入り込んできた。家の中を眺め回し、
「へえ~ ずいぶんと広いんですね。うん、これは広すぎる」
もはや出かけるしか悠理を追い出す方法はなさそうだ。綾は観念した。
出かける準備を手早くすませ、アパートの自転車置き場に行く。綾が自転車を引き出してまたがると、悠理は後ろにしれっと座った。
二人乗りの自転車は、ここ塔之原市の学際エリアを進む。
文原綾は、塔之原市立の塔之原高校に通う一年生。学際都市として有名な塔之原市だけあって、塔之原高校の建っている海浜地帯には、あわせて市立図書館、科学館、博物館、美術館が併設されており、小中学校、さらに大学も並んで巨大な学際エリアを形成している。
塔之原市では企業との共同研究も活発化しようと周辺を再開発して、いわゆるIT企業を誘致した。条件が良かったのか大挙して押しかけてきた会社の中に、ゲーム会社のケイオスループ社があった。そこのアルバイト募集に悠理が応募し、綾が連れて行かれた訳だ。
大規模な学際エリアだけあって、学校からケイオスループ社までは三キロほども離れている。恐るべきことに、綾は二人乗りをしながら片手にはゲーム機を持って遊び始めた。悠理はかけらも心配していない。
「今日もカチューシャをはめないんだ」
「月弓を万塔様に自慢したくないから」
ブローカーであることをアピールしたくないのかと、綾は解釈する。悠理は一見すると自分よりも幼そうなのにいつも堂々と落ち着いていて自信たっぷり、あまり認めたくないが貫禄まである。ベテランのブローカーだというのもあながち嘘とは思えなかった。
悠理はゲーム画面を覗いて、
「あたしが貸した万塔さまの名作シリーズですね。それも面白いでしょう」
「面白いけど…… 十年前のゲームだよ。朔月物語の『ペイガン・ゴッド』はヒットしたといっても途中参加だし、完成作はもう長いこと出ていないでしょ」
「そこですよそこ。今回の依頼は朔月物語第二弾の『ラスト・ティターニア』を完成に導くことなんです」
「依頼? じゃあ、これでも一応、ブローカーとしての仕事なんだ…… 依頼はその偉大な万塔さまから?」
「いえいえ、万塔さまは作品を作り続けることにしか興味がない偉大なクリエイター様なんですよ」
「その偉い万塔さまがなんで私たちアルバイトごときを面接したりするのよ」
「それはもう、そこが万塔さまなんですよ! どんなに小さなことでも偏執的なまでにこだわりとおして、先のことは考えたりせず果てしなく作り直し続けるのが流儀なんです。すごいですよね」
「……ほめてるんだか」
「だから、プロジェクトのスタッフも一人一人が本人の面接で直接選び抜くんですって」
自分たちのどこが精鋭なのかと綾は一人ごち、
「悠理はゲーム下手なくせに詳しいんだ」
「あたしは格闘ゲームが苦手なだけなんです!」
珍しく、悠理がちょっとむくれた。綾はペダルを踏む足に力を込める。
二人がアルバイトをする会社、ケイオスループ社は、真新しい高層ビルの最上階に入っている。
先日の面接後に渡されたセキュリティカードを入り口のセンサーにかざすと、ロックが解除されて自動ドアが開く。
受付の女性に案内されて、二人は奥の開発ルームへと進んだ。ここでもセキュリティカードを使わないとドアが開かない。今までにない面白さが命となるゲーム会社では機密保持が徹底されているのだ。
二人は担当者が来るまで待つことになった。時間が時間だ、早すぎたのだろう。悠理に恨み言のひとつも言ってよさそうなものだが、綾はいまさら気にしてもいなかった。
やることもなく、綾と悠理は主のいない椅子に腰掛ける。
先輩の席はどこだろう? 綾は見回した。
もともとアルバイト面接に綾が付いていったのは、会社に行けば美術部のOBである直木順子に会えるという期待もあったからだった。不幸を呼ぶという綾の評判を気にもせず、普通に付き合ってくれた数少ない友人の一人が直木先輩だ。綾が入部したときにはもう大学生だったが、ときどき高校の美術部まで指導に来てくれて、自然と仲良くなったのだった。
直木先輩は塔之原大学をこの春卒業し、晴れてケイオスループ社に入社。デザイナーとして活躍しているはずだ。世界の人々を楽しませたいというのが口癖の元気な先輩だった。ただ、デザインセクションのリーダーになったので今後は忙しくなるというメールを最後に連絡はとれなくなっていた。
綾はアルバイト面接のときに会えなかったのが残念だった。早く、リーダー就任のお祝いを直接伝えたかったのだ。
周りを眺めてみると、そこにはなんとも異様な空間が広がっていた。
あちこちの床には寝袋が転がり、精も魂も尽き果てた人間らしき物体が収まっている。それはまだ良いほうらしく、机に突っ伏している者、椅子に座ったまま意識を失くしている者、机下の狭い空間に四角くはまっている者、死屍累々だ。徹夜で朝まで作業して力尽きた人々なのだろう。
机上にはコンピュータと空き缶にお菓子の空き袋。それにフィギュアの類が無数に並ぶ。この会社の製品とは関係ないキャラクターのポスターもあちこちに貼られている。
無数のコンピュータからファンの回転音が響き、人が静かな割にはうるさい。どこからか、かすかに行進曲の旋律も聞こえてくるのはなぜなのだろう。嫌な曲を思い出す。作曲家だった父が、とりつかれたように演奏していた曲だ。まるで呪われたかのように。
この開発ルームには、大勢がそれぞれの生活空間を無理やり持ち込んでいて生々しい混沌が渦巻いており、徹夜組からは汗臭い体臭も醸し出されている。
悠理は興味津々であちこちのコンピュータ画面を眺めていた。画面にはコンピュータ言語らしきテキストの列や、ゲームキャラクターの映像などが映っている。
「ゲーム画面が見当たらないですね。まだできてないのかな?」
悠理が言うと、半死体たちがびくりと震えた。よどんだ空気がいっそう重くなったように感じる。悠理は禁断の領域に触れてしまったらしい。
「あれ、文原? 新しいアルバイトってあなただったのね」
突然、横から声がかかった。そこには綾の先輩である直木順子がいた。Tシャツにジーンズのラフで行動的な姿、そこは綾の記憶にある先輩のままだが、今は顔に疲れがにじんでいる。髪は後ろを適当にゴムで束ねていて、化粧っ気もない。
「先輩! お久しぶりです! 今ご出勤ですか」
綾の質問に苦笑して、
「また徹夜よ。仮眠していただけ」
「じゃあ、今は忙しい時期なんですね。アルバイトも大変かな」
「あなたたちアルバイトの業務は――」
直木先輩はちょっと言いづらそうにした。綾には嫌な予感が走る。
「ここのアルバイトは、ゲームを試しに進めてみるテストプレイが業務なの。だけど、今作っている新作は、まだプレイできる段階にはなくて」
アルバイト開始一日目でクビになれば新記録だと綾は嘆息した。気が進まないとはいえ、それなりに面倒な手続きを経てきたのだ。給料が入らないとご飯にもありつけない。
一方、悠理は楽しげに、
「今日からアルバイトの悠理です。よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をし、
「プレイできないということは、ゲームの開発はまだまだこれからですね。どんなゲームになるかも最終的に決まってはいないんですね。長い長い開発が果てしなく続くんですね」
床に転がる半死体のいくつかが、悠理のセリフにのた打ち回った。
「ここには銀の弾丸がないみたいですね」
悠理がのんびりと言う。
「銀の弾丸?」
綾の問いに、
「一発で問題を撃ち抜き、完成へと導いてくれる魔法の弾丸」
「そんな奇跡の弾丸が、手に入る訳がない」
直木先輩が、疲れた声で呟く。
「なにもしなければ、そうですね」
先輩はしばし無言になった後、
「そうね…… でも私たちにできることなんて、なにもないのよ。それに、せっかく来てもらって悪いんだけど、あなたたちのやることも、なにも」
「君たちのやることはとても重要」
突然顔を出した万塔祀に直木先輩は思わずのけぞり、
「ば、万塔総監督… お帰りだったのでは」
「私の役職はクリエイター。総監督などという枠にはくくられません」
有名ゲームクリエイター、『終わらない伝説』万塔祀のお出ましだ。万塔の大きく無表情なおかっぱ頭が、突然髪を振り乱しながら死角から突き出されたのでは、先輩がのけぞり鳥肌立つのも無理はない。
「私、万塔が君たちを雇用したのは、君たちにゲームプランナーをやってもらうためです。塔之原にはフレッシュで優秀な人間が充実していると調査していましたから」
悠理は手を上げて、
「質問です! プランナーというのは、ゲームのルールや設定を決める人ですよね。つまりあたしたちが決めちゃっていいんですね」
「君たちが決めて、万塔がそれを承認すれば仕様確定」
万塔から一切承認してもらえず、ぼろぼろになったあげく解雇されていったプランナーたちのヴィジョンが綾の脳裏に浮かんだ。激しく胸が痛む。
さっきからかすかに聞こえていた行進曲のボリュームが上昇したようだ。
「これにて綾君と悠理君がプランナーに着任しました。全員に説明しておくように」
万塔は言い終わるや答も待たず去っていった。命令したので気がすんだらしい。
ともかくこれで、綾は女子高生でアルバイトでゲームプランナーなのだった。
「入ってしばらく経つけど、まだゲーム業界はよく分からないわ」
先輩は額の冷や汗を手の甲でぬぐう。
「世界中の人々を喜ばせたくてゲーム業界を選んだのに、あの人を満足させるだけのために働いている気がする」
ふと思い立って綾は先輩に、
「先輩―― あの、バベルの塔はなんのために建てられたんでしょう」
「え? 自分たちの力は神にも届くとおごりたかぶった民が、その力を示すためでしょう。それがどうかしたの?」
「いえ、ちょっと興味があっただけです」
先輩が万塔祀をついに理解して恐怖を感じずにすむ日が来ることはなさそうだった。
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