第3章2

 翌朝、紅蓮組の隠れ屋敷。

 狭くはあるが美しく磨かれた部屋で、綾はベッドから起き上がる。掃除は隅々まで行き届いており、持ち物はきれいに整頓されている。ここを自室としているアヤというキャラクターの性格が、綾にはよく分かった。要するに自分と同じだ。

 異世界に放り込まれて別人を演じさせられているというのに、綾はすんなりアヤになじむことができていた。わずか一日いるだけで、もうずっと前からなじんだ世界のように感じている。この居場所は、最初から自分のために設えられたかのようだった。

 隣のベッドからは、ミナカが起き出してくる。二人部屋で、ミナカの側も同じセンスの片付け具合だ。これはアヤが面倒を見ているからに違いない。

「お姉様、おはようございます!」

 ミナカが両腕を綾の首に回して抱きつく。翠色の瞳が間近で生き生きと輝いている。

「お、おはよう。ミナカ」

 お姉様と呼ぶのは姉妹だからか、そういう言い方をしているだけなのか知りたいものだが、さすがに間抜けすぎて聞く訳にはいかない。

「今日の朝ご飯はなんですか? お姉様の料理はなんだっておいしいんだから、もう楽しみ! ねえ、なになに?」

 綾はこの屋敷で料理担当ということらしい。

「……秘密」

「お姉様は意地悪です!」

 綾がとりあえずごまかすと、ミナカはふくれてしまった。

 二人は月の巫女ルナルメイデンの装束に着替える。

 エプロンには紅の文様が刺繍されており、これが紅蓮組装備であることを主張していた。紅のストッキングも紅蓮組の証だ。

 ガーターベルトにレースの帽子など慣れない服装で手間取る綾に、

「お姉様は、紅蓮組じゃなかったですものね」

 と、ミナカが手伝う。

 綾が着るのはいわゆるメイド服風の作業装束だが、ミナカのほうは似たような見た目でも戦闘仕様だ。硬質の胸甲や肩甲の類がワンピースに仕込まれていて、着込みづらそうな服だった。それに加えてナイフや雑嚢など小型装備もじゃらじゃらと提げている。それでもミナカはてきぱきと装着してしまう。

 ようやく着終わった綾は、昨日いつの間にか首に掛けられていた焔水晶のネックレスを手に取った。この世界に迷い込んだ理由はこれにあるような気がする。ちょっとためらったものの、ここから戻る鍵でもあるように思えてまた首に掛けた。このままだと目立ち過ぎそうで、胸元に押し込む。

 部屋に立てかけてある杖は、昨晩ミナカが使っていた武器のようだ。今は刃がついていないことに綾はほっとした。

「ミナカは…… なんで戦うの?」

 なにげない綾の問いにミナカの顔つきが引き締まった。雰囲気は一変、背を伸ばし、胸を張り、瞳には殺戮者の禍々しい光が浮かび上がる。綾は質問したことを後悔しかけた。

「――父さん母さんを失い、住む場所もなくなった私たちを救ってくれたのはティターニアだけ。お姉様を守り抜くには、そして連合国から見捨てられていく次の私たちを助けていくにはティターニアがなくてはならないんです。裏切り者のせいで、ティターニアという国はもうありませんけど、私は命にかえても、地獄に落ちても戦って戦って戦い抜いて、ティターニアを取り戻します。お姉様を守ります」

 綾は別の意味で後悔した。

 この子は確かに禍々しい殺戮者かもしれない。でも、自分を、皆を守るために覚悟の上で修羅の道に堕ちようというのだ。それを恐れるなどとは許されないことではないか。

 綾はミナカの肩を抱き寄せてわびる。

「……ごめん! ごめんね!」

「あ、あの、お姉様?」

 ミナカは真っ赤になって、

「時間ですし、そろそろ行かないと」

 あせるミナカがかわいい。綾は、悠理の気持ちがちょっと分かったような気がした。


 綾の当番は朝食の料理だった。

 大厨房での綾は、まさしく水を得た魚、炎を得た綾。

 言霊を聞きとれる綾にとって、包丁やコンロは言葉を交わせるパートナーだ。

〈芯までミディアムレアに火が通った〉

〈この線で断ち切れば、一気に筋まで裂ける〉

 道具たちは手足どころか、親友となって働いてくれる。

 芋は宙を舞ったかと思えばもう皮をむき終わり、鳥は一瞬で胸肉や手場先と名称を変え、普通であれば材料を黒こげにするであろう強力な火炎も自在に御して、屋敷全員分の大量な料理を完璧な火加減でまとめて作り上げる。

「いや、火焔ほむらのアヤとは聞いていたけど、これほどまでとはねえ」

 料理巫女を束ねている巫女騎士メイデンナイトのホタルが感服した。

「私はこれぐらいしかできないから……」

 元気のない綾の背中をホタルがはたく。

「なに言ってんの、これこそ奉仕でしょうが。自信をもっておやりなさい。ただ……」

 ホタルは綾のエプロンをつまみ、

「それほどの腕を持ちながら、妖精のご加護はないんだねえ。うん、あんたの精典装マビノギオンにはきれいさっぱり、妖精が近づいた跡すらもないよ」

 妖精の国と呼ばれるティターニアですら、自分は妖精に避けられるのか……

 綾はがっくりした。妖精は単に人間全体を恐れているのではないかと思いたかったのに、避ける対象は単に綾だけであるらしい。

 月の巫女ルナルメイデンの装束であるマビノギオンは、精典装、着る本とも呼ばれ、妖精による加護・祝福が特徴なのだそうだ。

 マビノギオンには精典の物語が文様という形で織り込まれており、この物語を依代に妖精が宿って、様々な加護効果や祝福効果を発揮する。どんな妖精に来てもらえるかはマビノギオンを着る者の資質に大きく影響される。

 双剣使いのホシミ・ツキミが、二人並んで双包丁で材料をみじん切りにしながら、

「始原文字はすらすら読めるのに」「言霊とは仲良しなのに」「不思議!」「不思議!」

 同じ顔、同じセリフで、超高速に四本の包丁を操る。たまに少しサイクルがずれると、振動する包丁から蜂の飛ぶようなうなり声が生じて気持ち悪い。

 始原文字とはマビノギオンに織り込まれている文字のことだった。妖精たちの身体を記述している言霊は、この始原文字によって表すことができる。

「妖精とご縁があったら、月の巫女ルナルメイデン中の月の巫女ルナルメイデン巫女騎士メイデンナイト中の巫女騎士メイデンナイトになれていたかもしれないのにね。そうなってたら、うちは最高の料理巫女を失っていたけど」

 ホタルの言葉に、綾は肩をすくめる。

 なぜこの妖精たちが当たり前にいるらしい世界ですら妖精に嫌がられるのだろう。

 結界の力によるものなのか、綾が近づいても他のマビノギオンからは妖精が逃げ出さないだけ、元の世界よりは良いのかもしれないけれど。

 そうこうしているうちに料理は完了、大広間に運ばれて食事が始まった。

「おいしい! なんでこんなにおいしいの!」

 大テーブルについた月の巫女ルナルメイデンたちが、ほかほかのミートパイを口に入れて感嘆する。さくさくとしたパイ皮と絶妙な火加減の鹿肉がベストマッチだ。旨味たっぷりの肉汁が口中にあふれる。

「これって、本当にうちで作ったスープなの? ありえない!」

 ハーブで香り付けたキノコのクリームスープは、とろける舌触りで彼女たちを魅了した。

「なんで? 香り? 火の通し方? 材料の切り方とか?」

「それは、アヤお姉様が作っているからです!」

 翠色の瞳を輝かせて声高々と主張するミナカに、綾は困ってしまう。しかし月の巫女ルナルメイデンたちは

「ああ、なるほどね」

「逃げ込んできたあの子、|あのアヤだったんだ」

「じゃあ、あたしたちがかなわなくても仕方ないか」

「救出のために禁軍主力と会戦してきたかいがあったわよね」

 いろいろと納得したようだった。

 大テーブルのあるこの広間に集合しているのは、皆が月の巫女ルナルメイデンだ。

 ティターニアはその頂点に妖精王とも呼ばれるただ一人の主人をいただき、月の巫女ルナルメイデンたちは主人に奉仕するという形で国のために尽くす、奉仕の教えで成り立つ国。巫女騎士メイデンナイトはその戦士であり、妖精王の護衛団をなしている。職種や能力別階級はあれど、支配階級はない。国を動かしているのは奉仕者たちなのだから。

 その特殊性が、大陸連合国との開戦に至った理由でもある。

 にぎやかな食事も終わり、月の巫女ルナルメイデンたちは手を合わせ、なにかを呟いてから席を立っていく。

「……を許すまじ……」

 誰もが同じ言葉を口にしているようだ。

 綾は食事の儀礼かと、

「ミナカ、なんて言えばいいの?」

 ミナカから殺気が立ち上った。また危険な質問をしてしまったようだ。

「裏切り者のマツリを許しまじ。ティターニアの国土を失った日から、紅蓮組はいつもこの言葉を胸に抱いています」

 ミナカの静かな語り口がかえって恐ろしい。

「あたくしたちは、売国奴のマツリを決して許さなくてよ」

 ホシミとツキミがハモる。

「マツリ?」

「ティターニアの元守語聖人。連合国軍の新司令官。我らがティターニア、不倶戴天の敵!」

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