ものいう花 ものいわぬ花3

 今日は朝から栗山が変だった。昨日一昨日とは比べ物にならないぐらい、明らかにおかしい。

 いつものように三人でつるんでいても、妙に栗山の視線が岡田に突き刺さるのだ。

 ぼんやりしていたと思ったら、穴があくほどに岡田を見る、そんなことの繰り返しだった。


「栗山君?どうしたの?」


 思いきって、声をかけてみた。

 すると栗山は岡田に向けて長い腕を伸ばし、岡田の頬に触れると、ぎゅっと頬の肉をつまんだ。

 唐突な行動にされるがまま唖然としていると、栗山は自分の方が驚いたような顔をして手を離し、そのまま立ち上がった。


「俺…ちょっと、自販、…行ってくるわ」


 明らかに動揺していますという態度で、栗山は逃げるように教室を出ていく。


「あ、待って、じゃあ俺も!」


 わざとなのか天然なのか、竜平はにこやかにそのあとを追う。

 となると、岡田も行かないわけには行かず、二人のあとに続いた。

 きっと逃げ出したかったのだろう栗山には気の毒であるが、竜平が追ってしまった以上、岡田一人が残る方がいろいろ気まずいと思うのだ。

 足の早い二人を追いかけながら、岡田は先程栗山がしたのと同じように自分の頬をつまんでみた。

 その行動の意味を自分なりに想像してみると、少し口元が弛んだ。





 パックジュースの自動販売機の前に辿り着くと、二人はすでに購入を終えていた。

 竜平が近寄ってきて、岡田にこっそりと耳打ちする。


「なあ、栗山ってフルーツ牛乳嫌いじゃなかったっけ?」


 前に一度、竜平が飲んでいるのを一口勝手に飲んで、直後に吐き出していた記憶が竜平にも岡田にもあった。何味かよくわからなくて気持ち悪いなんて言っていた気がする。

 その栗山が、今購入して手に持っているのがフルーツ牛乳なのだ。

 わかっているのかいないのか、半分意識がとんだようなうつろな表情でストローを刺そうとしている。

 岡田は慌てて普通の牛乳を買うと、栗山の手の中のパックと交換した。


「フルーツ牛乳のみたかったんだけど、間違えちゃってさ」


 栗山の反応はなかったけれど、とりあえずそんなことを言ってみて、自販機脇のベンチに腰を下ろした。


「なあ、あいつおかしくない?」


 隣に座った竜平が声を殺して言った。


「おかしいね」

「昨日もちょっと変かなと思ってたんだよ。それってもしかしてタイミング的に俺のせいだったりすんのかな?」


 栗山がおかしいのは一昨日竜平と高槻のラブシーンを目撃してしまってからだというのはまず間違いないだろう。発端はそこにある。

 常に隣にいた岡田の目には明白であるが、竜平もそこまで気付いているとは少し意外だった。

 案外竜平は人の気持ちを見抜くことに長けている。見た目のかわいらしさで侮ると痛い目を見そうな気がする。


「まあね、カルチャーショックだったんじゃないかな」

「でもさ、男同士だってエッチするもんだって栗山だって言ってたじゃん」

「百聞は一見に如かずって言うじゃない?いざ目の当たりにすると、いろいろ思うこともあるんじゃないかな」

「そういうもん?」


 竜平は、ぬぼーっと立ち尽くしたまま牛乳を飲む栗山の姿を悲し気に見つめて、悪いことしちゃったかなあとため息をついた。

 ずずずっとストローが音をたて、竜平は空になったのを確かめるようにパックを軽く振る。


「ねえ、岡田はさ、ショックじゃなかったわけ?」


 条件は全く栗山と同じはずなのだ。けれど岡田には特別思うことがあるわけでもない。


「僕は、まあ、見慣れてるしね」

「え?それどういうこと?」


 ぽつり漏らした言葉に竜平は予想以上に食い付いてくる。

 多分、岡田にも男同士の恋愛経験があるのかも、なんて想像をしていたのだろうが、岡田の答えはそれを上回ってしまったのだろう。好奇心旺盛な竜平は俄然興味を抱いてしまったらしい。


「いや、僕の隣の家の幼馴染みがね、そういう趣味の人なんだよ。だから子供の頃から男同士のラブシーンは普通に目にしてることなんだよね」


 別にそんなたいした話ではない。ただ偶然身近にそういう人がいて免疫があっただけの事だ。

 面白い話でもなんでもない。岡田自身には何の経験もないのだ。

 もしも、竜平の相手が女性であったなら、逆に栗山でなく岡田の方がショックを受けていたかもしれない。


「何それ。どんな環境?見えるの?」

「見えるっていうか…見せられてる?」


 冷静に考えれば劣悪な環境だ。けれど隣のコウちゃんは岡田よりも10才も年上で、岡田が物心ついた頃にはお年頃だった訳で、それはもう当たり前と思ってしまうほどお盛んだったのだ。普通他人には見せないものだ、ということに気付いたのがわりと最近だったりするぐらいである。


「うげっ、マジで?」

「なんかもう、さすがに僕も気にならなくなっちゃって。人としてどうかと自分でも思うけどね」

「…そりゃあ、キスぐらいじゃびくともしないよな」

「そういうこと」


 竜平はもう栗山の心配なんて忘れてしまった勢いで、しきりにうーんと唸っている。むしろ竜平の方がカルチャーショックを受けてしまったようだ。世の中いろんな人がいるものである。


「なんか岡田が妙に大人びてる訳がわかった気がするよ」

「老けてて悪かったね」


 わざと怒った振りをして竜平の手の中の空のパックを勢い良く取り上げると、自分の分と二つ一緒に自販機横のゴミ箱に放り込む。

 これでこの話は終わり、そう区切りをつける。


「ほら、行くよ。授業始まっちゃうから」


 まだぼんやりしている栗山の背中を強めに叩いた。


「ん?ああ…」


 ようやく立ち直ってきたらしい。返事をした栗山は牛乳パックを遠くから上手にゴミ箱に投げ入れ、三人は肩を並べて教室に向かった。

 先刻の栗山のおかしな行動については誰も触れることはなかった。

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