ベイビーピンク2

「もしもし、石田?」


 携帯を手に、自宅のソファーにごろんと寝転ぶ。


「今日宏斗に会ったよ。うん、学校で。ちょうどサッカー部の練習試合が宏斗の学校であったんだよ。番号も無理矢理押さえてきたから今度集まる時には宏斗にも声かけてみるよ」


 あいつも悩んでるみたいでさ、なんてそんな話をしているうちに時間を忘れる。

 旧友と語るのはいい。いろいろのしかかっている重たいものがすっと消えてなくなる気がする。

 宏斗と話ができたのも良かった。今日はとっても気分がいい。


「充はどうなの?ほら、この前愚痴ってた生徒は」

「これがまた相変わらずでさあ。僕が顔出す度に露骨に嫌な顔すんだよね。いや、顔だけならいいんだけど、来るなとか普通に面と向かっていうからさあ。なんかもうへこむよね」

「今時の高校生はきっついなあ」

「いや、あの子が特別なんだと思うよ。ほかの子たちからは全然そんな空気は感じないの。これが部の総意ですみたいのだったら辞任も考えるけどね、どうやらあの子の個人的な感情みたいなんだよね」


 もう、僕がサッカー部顧問に就任して3か月以上過ぎている。そろそろ打ち解けてもいい時期だと思うのだが、立ちふさがる壁はあまりに固い。なんとかしようと話しかけてみたりいろいろ努力はしているのだけれど、まるで実を結ばない。


「仲間からの信頼は厚いみたいだから、悪い子じゃないと思うんだけどね。先生って難しいよ、ほんとに」


 今日もまた愚痴ってしまった。

 遅い時間まで電話につきあってくれた石田に感謝しなくては。





 旧友に全てぶちまけてすっきりした次の日の放課後、職員室にいた僕のところに史哉がやってきた。いったい何事かと身構える。僕から史哉に近寄ろうとしたことはあるけれど、史哉の方から僕に向かってくることなんてこれまで一度もなかった。


「あの」

「はい」


 思わずそんな返事をしてしまう迫力。今日も不機嫌そうに僕をちらりと見て、そしてすぐに目をそらせた。


「俺がキャプテンに決まったんで、報告してこいって先輩が」

「ああ、そう。そうなんだ」


 ついにこの日がきてしまったか。大きくため息を吐き捨てたいのをぐっとこらえる。生徒の前でそれは良くない。


「だったらさ、僕と君の関係をどうにかしないといけないと思うよ。顧問とキャプテンの意思の疎通がはかれないんじゃ、ろくなチームにならないからさ」


 こうなってしまったからには強引にでもなんとかしなければいけないと、僕は自分の思うところを正直に打ち明けてみることにした。それでも駄目ならば顧問の権限でキャプテンを替えてもらうことも考えなければいけない。できればそんなことはしたくないけれど。


「君は僕の何が気に入らないのかな」


 きっぱりと核心をつく質問を投げてみる。いつものようにぷいと横を向くか、あるいは不機嫌に怒るか、はたまた淡々と僕の気に入らない点を述べるかと、瞬時に脳内で様々なパターンの反応を予測したが、実際の史哉の反応は僕の予想とは全く違っていた。

 目の前の史哉の顔にはただ一言「青天の霹靂」と書いてあるように見える。

 この人、急に何を言っているんだろう、と。

 ぽかんとした顔で僕の真意を探るようにまっすぐな目で僕を見ていた。

 いつもの睨むような視線ではないその顔は、普段よりもずいぶん幼い印象だった。


 戦いに挑むような覚悟で向かっていた僕は、思わず毒気を抜かれた。まるで僕が史哉をいじめているみたいな、そんな気分になる。

 そんな顔は反則だ。僕の方が大人なのだからと、引かざるを得なくなる。


「いや、だって、君はいつも不機嫌そうに僕を睨むじゃないか。僕のことが嫌いなんだろうなと思っていたんだけど、違った?」


 史哉は僕の思いを理解したからなのか、それとも僕が態度を変えたことに気付いたからなのか、何かにいらついたように右手で自分の髪をぐしゃぐしゃとかきまぜる。そして、その手で自分の顔を隠すようにしながら、小さな声で「違う」と答えた。


「俺はただ、なんていうか、その…」


 歯切れ悪く言いよどんだかと思うと、もう一度髪をかきまぜ、意を決したようにその手を外した。


「あんたすげー華奢だから怖えんだよ」


 怒鳴るように言い放つ。

 今度は僕がぽかんとする番だった。


「練習中とか、近くに寄ったら危ないだろ」


 思い起こせば、今まで史哉が僕に言った言葉は、グラウンドに来るなとか、近寄るなとかそんなことばかりだった。それ以外には、戦略だろうが練習方法だろうが僕が口を出した内容に対して何か批判するようなことは一つもなかった。ただいつも不機嫌な顔をしていたから嫌々受け入れているのかと思っていたが、そうではなく僕がそこにいることに対して不機嫌だっただけだったのだ。


 まじまじと見つめ返すと、史哉はいつものようにぷいと横を向く。よく見れば、両耳が真っ赤に染まっていた。


(ああ、そうか)


 僕の中で全ての納得がいく。

 不器用なのだ、この子は。

 自分の思いを上手に表現することができないだけだ。

 あんな顔で、ずっと僕のことを心配してくれていたのだ。

 気付いてしまえば、それはあまりにも可愛くて。

 ドクンドクンと自分の心臓が脈打つのを感じた。


(やばい)


 昔から僕は、不器用なやつに弱いのだ。不器用さが垣間みえたその瞬間にたまらなくときめいてしまう。

 相手は生徒だというのに。


(お前、そんなのずるいだろう)


 今度は僕が頭を抱える。

 ずっと嫌われていると思っていたのに。

 だから僕自身も彼のことを苦手だと思っていたのに。

 どう攻略するべきか、毎日悩んでいたのに。

 いつだって史哉の表情を覗き見て、どうにかできないものかと考えていたのに。

 思えばそれはどこか恋にも似ていて、いつの間にか引き返せないところまでのめり込んでいる自分を唐突に自覚した。


「先生?」


 不安そうな史哉の声に顔を上げると、心配そうな顔で僕を覗き込む顔があった。

 自分の言葉が僕を傷つけたのかと思ったのかもしれない。それはいけない、そうではない。ただ僕が勝手にときめいてしまっただけだ。

 慌てて笑顔を作った。大事な話はまだ残っている。


「わかったよ。それで君が全力を出せないというのなら、なるべくグラウンドには近付かないようにする。そのかわりキャプテンの君がみんなの様子に目を配って逐一僕に報告してくれる?それができるのなら僕は君の要求をのむよ」


 僕の出した妥協案に、史哉は安心したように頷いた。


「だけど僕だって男だし大人なんだから、そこまで見くびらないでくれるかな。時々はやっぱり自分の目で確かめたいこともあるし、グラウンドに顔を出すこともするよ。いいね?」


 少しきつく言ってやると、眉間にしわが刻まれた。けれど反論はない。一応納得はしたようだ。


「できるだけ距離はとるよう心掛けるからさ」


 そう付け加えると、史哉は一瞬だけ照れたように笑った。


 僕に向けて笑顔を見せたのは初めてだった。

 友達に向ける屈託のない笑顔を見て、あの顔を僕にも向けてくれたらといつも焦がれていた。

 僕達は和解できたのだと思っていいのだろうか。

 そもそも、不和を感じていたのは僕だけだったみたいだけれど。


 史哉の手を取って強引に握手をした。


「よろしく頼むよ、キャプテン」


 にっこり笑ってやると、史哉は慌てて手を引っ込めてその手をズボンで拭った。


(それ、ちょっと傷付くな)


 けれど史哉の耳の赤さを見たら許せてしまう。

 その裏にある思いがわかってしまえば、憎らしい全てはたまらなく可愛い。


 そうして僕は恋に落ちた。

 悩みは一つ解決して、また一つ増えたらしい。






「あ、石田?この前の悩みは無事に解決したから。愚痴聞いてくれてありがとね」


 心配をかけた旧友には後日電話で報告した。

 新たな悩みのことは、まだ相談するレベルではない。

 ぶちまけなければどうしようもないぐらい切羽詰まったら、また聞いてもらおう。

 話を聞いてくれる相手がいるというだけで、この先に待ち受ける厳しい現実にも立ち向かっていける気がする。

 辛い恋でも楽しめそうな気がする。



<終>

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