[史哉×桜木]

ベイビーピンク1

 学生時代によく通った居酒屋ののれんを久しぶりにくぐった。


みつる、遅せーぞ」


 大学のときの仲間が、もう既に集まっていた。


「僕が最後だった?」

「おう」


 卒業して4年、年に数回だけれどこうして時折集まっては遅くまでしゃべり倒す。なかなか本音をぶちまけられない社会生活の中、ストレスを解消できる好機だ。いつも音頭を取ってくれる友人石田に、僕はいつも感謝している。

 既に宴会は始まっていたが、僕が来たことにより再び乾杯が行われる。僕はそんなに酒に強い方ではないが、こういう集まりだと楽しくて、つい飲んでしまう。つぶれることも度々だが、つぶれたってこいつらがどうにかしてくれるみたいな安心感があっていけない。


「どーよ、学校は。毎年4月に環境変わるってのも、特殊な職業だよな」


 既にだいぶ出来上がっている石田が僕の肩を抱くように腕をまわして話しかけてきた。


「そうかもしれないね」


 僕は社会に出てから高校教師という仕事しかしたことがないので、自分にとっては当たり前の環境なのだが、普通の企業で働くサラリーマンからしてみれば異質な業界かもしれない。何が起ころうとも毎年4月になると三分の一の生徒がごっそりと入れ替わるのだ。


「なんかさ、ロマンスとかないの?教師と生徒の禁断の愛、みたいなやつ」

「そんなドラマみたいなこと現実にはそうそう起こらないよね。っていうか、うち男子校だし。まだ先生同士の方が現実的だよね」


 高校教師をやっているというと、この手の質問を投げかけられることは多い。けれど現実は、なんていうか、もっとシビアだ。教師と生徒の間にそんな甘い関係はなかなかできあがらない。それ以前に信頼関係を築くことがまず途方もなく難しいのだ。思春期の青少年は良くも悪くもあまりにも過敏だ。


「いやいや、男子校だから言ってんじゃん。だって充、そっちだろう?昔、宏斗と付き合ってたじゃん」

「あれ、そんなこと知ってたっけ?」

「見てたら分かるさ。お前らわりとあからさまだったじゃん。多分ここみんな知ってっぞ」

「うっそ~」


 僕は同性相手に恋愛をするタイプの人間で、大学で出会った同じ嗜好の高槻宏斗と付き合っていた経験がある。自分達の意識的には人には言えない秘めた恋だったつもりなのだが、関係の深かったこいつらにはどうやらばればれだったらしい。そんな事実が今頃発覚したが、過去のことだ、既に笑い話である。


「そういや充、宏斗と連絡とってねえの?あいつだけ連絡先わかんなくていっつも声かけられねえんだよな」

「僕も知らないんだ。卒業してしばらくは電話したりしてたんだけど、気付いたら電話番号変わってて、それっきりだね。つれないよね~。近くで高校教師してるのは知ってるから、そのうち会う機会があれば新しい番号聞いとくから」


 今はもう彼に特別な感情はない。仲間であり友人であり、深いところまで心を許せる存在であるけれど、恋愛感情はとうになくなった。連絡が取れなくてどうということはない。時折どうしてんのかなと思いを馳せるぐらいだ。

 そんなことよりも、目の前の日々の現実の方に心を取られている。


 教師生活も今年で5年目、そろそろ新米教師でもなくなりそれなりにやれる自信もついてきたところだが、この春から少し痛い現実に頭を抱えている。


「ロマンスなんてほど遠いよ。むしろ嫌われちゃってんのかなー、僕」

「何、充へこんでんの?珍しい」

「ちょっと厄介な生徒がいてね」


 僕はここ2か月ぐらい抱えている問題の愚痴を石田にぶちまけた。自分で言うのもなんだが、僕が愚痴をこぼすことは珍しい。石田は真剣な顔で話を聞いてくれた。





 この春から、サッカー部の顧問を引き受けることになった。

 わりと実力のあるサッカー部だったのだが、それを作り上げた前の顧問が退任し、腕のある後任の候補もなく進退窮まっていると聞き、何の部活動もしていなかった僕が自ら志願した。

 正直、僕自身にサッカーの経験はほとんどなく、技術的に教えてあげられることなど何もない。他にサッカーのできる先生がいなかったのが、彼らの不幸だった。どんなに彼等に実力があったところで顧問がいなくては部活動は成り立たない。そんなことで活動できなくなってしまうのは、あまりにも忍びないと思ったのだ。だから引き受けた。

 技術こそないけれど、基本的にサッカーは好きなスポーツで、プロサッカーの観戦などはスタジアムに足を運ぶぐらいだ。少しぐらい何かしてやれるかもしれない。と、そう思ったのだ。

 けれど。


「今日からサッカー部の顧問をすることになりました、生物の桜木さくらぎです」


 グラウンドに挨拶しにいった僕をものすごい目で睨んでいる生徒がいた。2年生のようだが、受け持ったことがないのでよく知らない。

 何をもってそんな目で見られているのか、僕には全く分からなかった。

 ただ、その視線のせいで僕の中に強烈に彼の印象が残った。





 うまくやっていけるのか猛烈に不安になった僕は、次の日の昼休みにキャプテンを職員室まで呼び出した。キャプテンの渡辺と二人だけで話そうと思っていたのだが、彼の隣には今日もまた不満そうな表情をしたあの少年がいた。


(よりにもよってどうして一番の当事者を連れてくるかな)


 心の中で渡辺に恨み言をぶつける。瞬間の動揺は、顔に出ていなかっただろうか。


「2年の稲田史哉いなだふみやも連れてきました。3年はもうじき引退っすから、こいつらとも話をしておいてもらった方がいいと思って。まだ次のキャプテンは決まってないけど、おそらくこいつになるんじゃないかなと思うんで」


 渡辺はそういって僕に彼を紹介した。

 言い分はもっともだ。僕の個人的感情なんかより、渡辺の方が正しい。それは分かるけれどやっぱり…。

 ちらりと見やれば史哉は自分を紹介されても挨拶するわけでもなく、ただぶすっとした表情のままこちらを見ていた。

 次期キャプテン候補か。ますます不安になってきた。


「じゃあ、まあ、一緒に聞いて。正直な話、僕にサッカーの技術はないんだ。前の先生のように君たちに技術を教えることはできないから、そのへんは君たち自身で頑張ってもらわなきゃいけない。ただ、僕も顧問になった以上はできる範囲で君たちをサポートしたいとは思ってる。精神面だったり、多少なら戦術面についても。僕自身はぶっちゃけてしまえば運動音痴だから駄目なんだけど、見るのは好きでね、それなりに戦略を考えたりもできると思うんだ。やるからにはこれから勉強だってするし。だから、まあ、なんていうか、そういうスタンスで僕という人間を考えてほしいんだ」


 僕の言葉に渡辺の方は頼もしく頷いた。


「練習は今まで俺たちが教えられてきたことを後輩に教えていくんで大丈夫っす」


 しかし史哉は、先ほどよりもさらに眉間のしわを増やしていた。いったい何がそんなにも気に入らないというのか。


「稲田君、何か言いたいことがあるなら聞くよ?」


 苛ついて、少々とげのある言い方をしてしまった。史哉は動揺したのか視線を宙に彷徨わせた。

 大人げなかっただろうか。けれど初対面からああも睨まれては優しくなんてできない。先生だって仏じゃないんだ、そんなに寛大な心は持ち合わせていない。


「あの」


 史哉が初めて口を開く。思っていたよりも艶やかな声に少しドキッとした。


「名前だけの顧問ならグラウンドに来なくていい。…と思います」


 呆気にとられた。本当に言いたいことを言うとは思っていなかったし、その内容もあまりにもきつい。

 史哉はそのままぷいと横を向き、その後一度もこちらを見なかった。

 つまりは、何の技術も持たない素人の僕が顧問であることが気に入らないのか。

 素人が中途半端に首を突っ込むことが許せないのか。

 なんとなくだけれど、自分が睨まれている原因が分かったような気がした。

 前の顧問のことをかなり気に入っていたのかもしれない。


「名前だけになるつもりはないんだけどね…」

「失礼なやつですいません。サッカーバカなだけなんで、気にしないでいいっす」


 渡辺は苦笑いを浮かべながらフォローした。さすがはキャプテンだと思う。

 高校生は一年でこんなに精神的に大人になるのだろうか。

 次期キャプテン候補との差があまりにも顕著で、僕はさらに不安になる。

 サッカーの腕でなく人間性で選ぶべきじゃないだろうか。それも後々進言してみるとしよう。


「じゃあ、まあ、そういうことで、練習に関しては渡辺君に一任するから、頼むね。もちろん相談には乗るよ」

「はい」

「稲田君も休み時間にわざわざすまなかったね」


 史哉はちらりと一瞬だけ僕を見て、そして一言もなく職員室を出ていった。

 その背中が見えなくなると、僕は深く深くため息をついた。

 人に嫌われるというのはものすごく疲れる。基本的に僕は人付き合いは得意な方で、人に嫌われるという経験がほとんどないのだ。どうしたらいいのかわからない。


「困ったな…」


 僕という人間を知りもしないうちに拒絶とは、思春期の少年の繊細さってやつはどうにも厄介だ。

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