魔王の台頭 6

 それは、確かに異常な報告だった。

 コンランク・ダミアは、己の執務室でそれを聞いた。


 かつて、王府の執政庁と呼ばれていた塔の一室である。

 窓の外には暗雲が垂れ込め、大気は激しい雨の予感を含んでいる。

 部屋の中に並ぶ顔ぶれさえ、どこか陰鬱に見えた。あわせて十名ほどいるが、誰の顔も暗く沈んで見える。


(事実、陰鬱な連中だ)

 と、コンランクは思う。

 かつての王府において、統括院と呼ばれた者たちだった。その中で人類から離反し、《転生者》たちの側についた者が、いまここに残っていた。

 彼らは残った人類の統治について、一定の権限を与えられている。

 そして効率的な征服の方法についても諮問されることがあった。


 いま、まさにその「征服」の方法において、問題が発生している。

 あえて招集され、統一された意見を提出するように求められたのは、そういうことだ。


「――では、ジェフティ」

 コンランクはできるだけ重苦しく、伝令使の青年の名を呼ぶ。

 重たい鉛のような声をあえて出す。

 そのようにして自分に与えられた責務が容易ではないことを示すのは、いつでも一定の効果がある。


「クリシュナ様は、その――サヴラール市の新たな支配者によって討たれたというとことか?」

 少なくとも、手元の報告書にはそう書かれている。

 サヴラール市ではいくらかの政変があったらしい。潜り込ませている間者から、そういう報告も上がっている。


 新たにサヴラール市の実質的な支配者となったのは、ホルスカーという男だ。

 もともと民衆の支持は低かったが、保守派のバイザックを反乱によって殺害し、いまは絶大な権力を手にしているという。


 その経歴だけ見れば、そこまで恐るべき相手ではない。

 こういった手合いは、君臨するときも急激だが、転落もそれと同じくらいに速い。敵を作りすぎているからだ。

 ただ、それなりに軍事的な能力はあるかもしれない。


「ホルスカーという男だな? どのように討ったのか、わかるか?」

「いえ」

 わずかに首を振る、ジェフティの声はかすれていた。

 緊張しているのがはっきりとわかる。

「サヴラール市の政治を掌握しているのはホルスカーで間違いありませんが、クリシュナ様を討ったのは彼自身とはいえない……と、思います」


「はっきりと、正確に言え、ジェフティ」

 コンランクは、わずかに苛立っている自分に気づいた。

 あるいは不安だろうか――ありえる。《転生者》を率いたブレイヴ個体が、負けるとは思っていなかったのだ。

「何が言いたい?」


「軍事面での指揮官は、別の人間でした」

「誰だ?」

「ルジン・カーゼム。傭兵です」

「傭兵だと?」

 コンランクは困惑した。


「傭兵が、都市の指揮官に?」

 そういうことは、まるで例がないわけではない。

 小規模な都市では、軍事技能に長けた人材に乏しく、外部からの傭兵に戦を託すこともある。

 だが、サヴラールほどの大都市でそれはありえるのだろうか?


「そうです。ルジン・カーゼムという人物が、サヴラールとその……近郊の兵をまとめ、クリシュナ様を討ったようです」

 どうやって、という言葉を、コンランクは飲み込んだ。

 報告書として上がってきていない以上、それは間者にもわからないことなのだ。ジェフティに聞いても意味がない。


「妙な男のようだな」

 コンランクは、それだけを口に出すに留めた。

「その人物について、他にわかっていることは?」

「はい。サヴラール市の者は、その男のことをこう呼んでいるとのことです」

 ジェフティはかすれた声のまま、そう付け加えた。


「ルジン王。あるいは、魔王ルジン」

「魔王か」

 コンランクは笑った。笑い飛ばすことで、その不吉な響きを払拭しようとした。

「大きく出たものだな。魔王というのは、倒されるためにある――そう」

 机に肘をつき、うなずく。

「我らが主、《転生者》の諸王、ブレイヴが必ずや討ち果たすだろう」


 コンランクの指が、書類の束をめくりあげた。

 いまはサヴラール市での敗北だけにこだわっていられる状況ではない。

 逃走した学術都市ワグラトゥの残党には、いまだに手を焼いている。ようやく居場所も割れた。そちらを始末する方が先だろう。


「お前はもう行け、ジェフティ。その男について調べ上げろ」

 ただ戦が強いというだけなら、いくらでも対処の方法はある。

 ブレイヴたちに進言するためにも情報は必要だ。

「ルジン・カーゼムだけが問題ならば、暗殺で片がつく」



――――



 サヴラール市を出ると、急激に天候が崩れてきた。

 雲は重たく、西の方から湿った風が流れてくる。


(ついてないな)

 ルジンは白い息を吐き、それでも足を進める。

 天候は不安だが、それでも早々に都市を後にしたかった。


 ホルスカーが都市行政をまとめあげるのを横目に、これ以上は深入りしたくないと思った。

 それ以上の問題もある。

 ゴルゴーン、メリュジーヌ、アングルボダ――世話にはなったし、礼も言ったが、『魔王』と呼ばれるのは断固として拒否したかった。

 彼女たちの事情も気になったが、決して深入りしたくはなかった。


 つまり、迅速に旅立ちの準備を整え、跡形も残さず去る。

 これ以上にできることは思いつかなかった。戦いの勝利を祝う宴の最中、席を外して、そのまま脱け出してきた。

 ゆえに単独行――そのつもりだったが、欺けなかった相手もいる。


「ルベラ」

 ルジンは先をゆく赤毛のコボルトに声をかけた。

 彼女は「遅い」とでもいうように、ルジンを振り返る。

「いいのかよ。お前、あの群れの長じゃないのか」

 ルベラに話しかけても、答えが返ってくるわけではない。事実、彼女は興味がなさそうにかるく鼻を鳴らした。


(それに、止める方法もない)

 思ったより、自分は懐かれているのかもしれない、と思う。

 思いもよらぬ形で二人旅になった。

 ルジンはルベラの足跡を追う――彼女は時折振り返り、急かすように吠えた。


「無理を言うなよ」

 苦笑して、ルジンは荷物を担ぎなおしてみせた。巨大な背嚢には、数日分の保存食や生活用具が詰め込まれている。

「俺は荷物が多いんだ。身軽でいいよな、お前は――」


 そうして顔をあげたとき、気づいた。

 背筋が凍りそうな気がした。

 行く先の雪原、小高い丘の上に、三つの人影がある。その輪郭でわかってしまう。

 最も大きいのがアングルボダ。翼のあるのがメリュジーヌ、そして残る一人は間違いなく――


「ルベラ」

 声をかけると、彼女は怒ったようにまた吠えた。

 だから急げといったのに、と言っているような気がする。


「お前の言う通りだ。だが――」

 なぜ察知されたのか。そして、自分の行く先を予測されたのか。

 まさか。

 ということに気づいて、ルジンは耳朶にある金属の輪に指で触れた。


「パーシィ。お前、俺がどこにいるかわかるのか?」

『……そりゃあ、もちろん』

 まるで自然なことのように、パーシィからの答えがあった。

 明らかに笑っているのがわかる。


『きみはセイレーンのことをあまり知らないね。その耳飾りを外さないと駄目だよ』

「それを先に言え」

『使い方は教えただろ。きみはもう説明いらないって言った』

 確かに言ったような気がする。ルジンは頭痛を感じ始めている。


『きみが行く戦場は稼げる。ぼくらもそのツキにあやかろうと思ってる』

「それだけか? ならあいつらに教える必要なかっただろ」

『それは単に、そっちの方が面白いから』


 ルジンは耳飾りをむしり取った。

 捨ててしまおうかと思い、手を振り上げた――すると、彼方の丘にいる三人が手を振るのがわかった。


(まるで挨拶したみたいじゃないか)

 ルジンは顔をしかめ、手を下ろす。

 耳飾りを握りつぶすように拳を固めた。


(こうなれば、なにがなんでもベクトを探し出さないと)

 そして一発殴ってやろう。

 まずは彼が逃走した経路をたどるのがいいだろう――学術都市ワグラトゥの北を目指す。

 行く先は、巨人都市リューカー。

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