カーテンの向こうには【05 あたしのよく知る、大好きなひと】

侘助ヒマリ

KAC20205お題『どんでん返し』


 恭クンハ、ドイツニ戻ラナイ……

 夏ガ終ワッテモ、日本ニ残ル……



 今さら知った衝撃の事実に、ぱっかーんと口を開けて呆けるあたしの前で、恭くんは二人を隔てていたローテーブルを横にどかし、粛々と場を整え出した。


 正座した恭くんが、コホンと咳払いし、あたしははっと我に返る。


「それじゃ、梨衣ちゃんが俺達の現状と今後の展望をようやく把握したところで、改めて告白させてもらいます」


 改まった口調でそう宣言され、あたしも居住まいを正して恭くんに向き合った。


「四年前に、梨衣ちゃんと再会した時から……いや、多分きっともっと小さい頃から、俺は梨衣ちゃんが好きでした。これからは年下の幼馴染みじゃなくて、恋人として梨衣ちゃんの傍にいたい。そのために、この夏休みの間できるだけ一緒に過ごして、梨衣ちゃんの知らない俺をいっぱい知ってほしいです」


「恭くん……」


 さり気なく手を繋いだのも、挨拶みたいなキスをしたのも、あたしに異性として意識させるため。




 恭くんがこれからも一緒にいてくれるなら────


 あたしの知らない恭くんを知っていくことは、きっともう怖くない。




 あたしが口を開く前に恭くんの腕が伸びてきて、あたしをふんわりと閉じ込めた。


 そんなことがナチュラルにできてしまう恭くんにドキドキするけれど、そのドキドキが今はこそばゆくて気持ちいい。


「この夏休み、あたしの知らない恭くんをもっといっぱい見せてね……?」


「もちろんそのつもりだよ。梨衣ちゃんの心臓がもたないくらいドキドキさせるから、そのつもりでいて?」


 腕をほどいた恭くんが、あたしの頬を両手でそっと包んだ。


 それから、こないだよりもしっかりと唇が重なるキスをして。


 もう一度、ぎゅうっとあたしを抱きしめた。


 ☆


 そんなこんなで、あたしと恭くんはたくさんの時間を二人で過ごした。


 あたしより一足先に夏休みが終わる恭くんだけれど、その前に彼は十七歳の誕生日を迎える。


「恭くん、気に入ってくれるかなあ……」


 勉強机の引き出しからラッピングされた箱を取り出して、あたしはにまにましながらそれを眺めた。


 中に入っているのは、恭くんに似合いそうな、少しゴツめのスタイリッシュな腕時計。


 明日は恭くんの誕生日。

 あたしはこのプレゼントを渡して、告白の返事を伝えるつもりだ。


 ちゃんと恋人同士になったら、ナチュラルに甘い恭くんがどれだけ甘くなっちゃうんだろう。


 先のことを考えて、「ぐふっ」と変な笑い声まで漏れてしまう。

 そんな時、階下から母に呼ばれ、あたしはリビングへと降りていった。


 ☆


「…………今、何て?」


「だからね、お父さんの転勤が決まったのよ。この秋から、アメリカに、三年間」


 両親とダイニングテーブルに向かい合って座ったあたしは、事態がよく飲み込めず、もう一度確認した。


「でも、あたしはこの家に残っていいんだよね? 大学もあるし……」


「そのことだが、梨衣の通う大学の姉妹校が赴任先から通える距離にあるそうだよ。そこならば留学中でも単位が取れるそうだ」


「梨衣を一人でこの家に残していくのは、何かと不安だしねえ」


 父と母は、あたしもアメリカについていくのが当然と言わんばかりに話を進めていく。


 日本に残りたいと主張したあたしだったけれど、未成年で経済力もない身では結局両親の意向に従うしかなく────


 あたしは、この夏休み中に、アメリカ留学の手続きを取らなければいけないことになってしまったのだった。


 ☆


「梨衣ちゃん、今日はずっと浮かない顔をしてるね。何かあった?」


 翌日の、誕生日デートの真っ最中。


 遊園地のフードコートでランチを食べようとした時に、恭くんから不意にそう尋ねられた。


「……ううん、別に────」


「別に、ってことはないでしょ? 朝は泣き腫らしたような目をしてたし、無理にテンション上げてても俺にはわかるよ。俺の誕生日だからって、辛いことを隠したりしなくていいんだよ?」


「恭くん…………っ」


 デートが終わるまで、アメリカ行きの話は伏せておこうと決めていたあたしの心がぐらりと揺れた。


 必死で笑顔をつくっていたつもりだったのに、恭くんに全部見透かされていたことを知った途端、抑えていた涙が堰を切ったように流れ出す。


「うぅ……恭くん……嫌だよ……。あたし、もう恭くんと離れたくないのに……」


「離れる……? 俺はもうドイツへは戻らないよ? ずっと梨衣ちゃんの傍に────」


「違うの……っ。今度はあたしが恭くんの傍にいられなくなっちゃうの。両親とアメリカに行くことが決まって────」


「アメリカ!?」


 嗚咽を混じえながら、あたしは父の転勤に同行することになった旨を恭くんに伝えた。


 恭くんは顔を強ばらせてじっと聞いていたけれど、最後には穏やかな眼差しをまっすぐこちらに向けながら、ハンカチを握りしめるあたしの手を握った。


「そっか……。これからはずっと一緒にいられると思っていたから、俺にとってもすごく辛いことだけど……。でも、この夏を梨衣ちゃんと過ごせたのは幸運だった。ずっと抱えていた想いを、梨衣ちゃんにきちんと伝えることができたから」


「あたしも、今日の恭くんの誕生日に自分の気持ちを伝えて、これからもずっと一緒にいるつもりだった。なのに、こんなことになっちゃうなんて────」


「こんなことになるくらいなら、梨衣ちゃんは俺と会わない方がよかった? 俺を好きにならなければよかった? 俺の想いは梨衣ちゃんに伝えないままでいた方がよかったの?」


 いつになく強い口調で恭くんに問い詰められ、心臓を鷲掴みにされたような胸の痛みが襲う。


「四年前、梨衣ちゃんへの想いを自覚した時の俺は、まだ梨衣ちゃんよりも背が小さくて、体も華奢で、全然子どもっぽくて……。梨衣ちゃんが俺を年下の幼馴染みとしか見ていないことが悔しかった。俺はこの夏に梨衣ちゃんに会って、想いを伝えられたことに後悔は微塵もない。たとえ梨衣ちゃんと再び離れることになっても、俺の気持ちはこの先もずっと変わらない」


 太陽は東から昇るもの。

 それくらい当たり前のことだと言わんばかりに、恭くんがきっぱりと宣言する。


 恭くんのぶれない笑顔のおかげで、あたしは自分の気持ちをしっかりと踏み固めることができた。


「あたし……恭くんが好き。大好き」


「誕生日にその言葉がもらえて、めちゃくちゃ嬉しいよ。俺も梨衣ちゃんが大好きだよ。これからも、ずっとずっと」


「ありがとう……。恭くんを好きになってよかった。遠く離れていても、あたしもずっと恭くんのこと好きだから────」




 あたし達が会えない間に、きっと恭くんはもっともっと大人になって、あたしの知らない部分が増えていくのだろう。


 あたしの知らない恭くんを知って、もっともっと好きになりたい。


 そしてあたしも恭くんに負けないくらい自分を磨いて、恭くんの知らないあたしをいっぱい好きになってもらうんだ。




「せっかくの恭くんの誕生日だもんね。今日はめいっぱい遊んで、二人の思い出をいっぱい作りたい!」


「うん、そうしよう! いっぱい笑って、最高のデートにしよう」


 会えない時間に恭くんが思い出すのは、笑顔のあたしでありますように。


 そんなことを願いながら、あたしはこれまでの人生で一番楽しかったと言える時間を恭くんと過ごしたのだった。


 ☆


「…………今、何て?」


「ですから、あなたが留学を希望している大学は、うちの姉妹校ではありません。留学中は休学扱いになり、単位は取れませんよ」


 遊園地デートの翌々日。

 大学の事務室に留学関係の書類をもらいにいったあたしは、そこで衝撃の事実を知らされた。


「だ、だって、ここにはアメリカの姉妹校として、Kakuyomu大学って────」


「よく見てください。うちと姉妹校提携を結んでいるのは、Kakuyomu College です。あなたが希望しているのは、Kakuyomu University。同じ名前ですけれど、州が違うしめちゃくちゃ離れてますよ」




 な、なんと言うことだ…………




 放心状態から抜けないまま、事務室を出たあたしは両親に連絡を取った。


『パパの赴任先とうちの大学の姉妹校、めちゃくちゃ離れてるらしいんだけど』


『え? パパの勘違いだった? めんごめんご』


『今の大学を休学ってことになったら、留年して学費が余計にかかるってことよねえ……。梨衣にはやっぱり家の管理がてら、日本に残ってもらおうかしら』


 両親からあっさりと方針変更を告げられ、あたしはなんとも言えない複雑な気持ちで家路についた。


 ☆


 家に着いた時には日はもうだいぶ傾いていて、自室に戻ったあたしはカーテンを閉めようと窓に近づいた。


 バルコニーの向こう、お隣の家の恭くんの部屋は、もうカーテンが引かれている。




 日本に残れる。

 恭くんとずっと一緒にいられる。

 それはとてつもなく嬉しいことだけれど。


 このどんでん返し、恭くんにどうやって伝えよう……?




 ほんの少しだけ戸惑った後に、自分の心にぽっと火がともる。


 カーテンの向こうにいるのは、幼馴染みの恭くんでも、あたしの知らない恭くんでもない。


 彼ならきっと、このどんでん返しに白い歯が零れそうなくらい大笑いすることだろう。


 ひとしきり笑い合ってから、バルコニー越しに手を伸ばして。


 そしてあたしの手を握って、とびっきり甘い笑顔でこう言うはず。


『大好きな梨衣ちゃんと一緒にいられるのはすごく嬉しいよ。これからも、二人でたくさんドキドキしようね』




 あたしは窓を開け、夏の終わりの空気をすうっと吸ってから、「恭くん!」と呼びかけた。


 程なくして、緑のストライプのカーテンがすっと開く。


 カーテンの向こうから、あたしのよく知っている、大好きな恭くんが笑顔をのぞかせた。




《おわり》


『カーテンの向こうには』シリーズ(全五作)をご愛読くださり、誠にありがとうございました。



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