カーテンの向こうには【04 知らないことを、知らないままで】
侘助ヒマリ
KAC20204お題『拡散する種』
恭くんは、今何をしてるんだろう。
どんな気持ちでいるんだろう。
あの映画デートの日の翌日から、恭くんからの連絡がぱったりと止んでしまった。
あの日の帰り道、ゲリラ豪雨に見舞われたあたし達は、バスを降りて目の前の公園の東屋で雨宿りした。
その時、あたしは恭くんに抱きしめられて────
『この夏の間に、梨衣ちゃんの知らなかった今の俺を、もっといっぱい知ってほしい。梨衣ちゃんをもっとドキドキさせたいんだ』
そんな告白めいた言葉を向けられた。
けれど、あたしは恭くんのその言葉にきちんと応えることができなかった。
だって。
この夏の間に、あたしの知らない恭くんをもっといっぱい知って。
この夏の間に、あたしの知らない恭くんにもっといっぱいドキドキして。
そうして、夏が終わったら────
恭くんは、あたしの前からいなくなってしまうから。
今なら、引き返せばまだ、あたし達は幼馴染みのままでいられる。
夏の終わりにドイツへ戻る恭くんを、きっと笑顔で送り出せる。
だからあたしは、恭くんの腕の中から逃れ、小雨の中を走って家に帰った。
けれどもその後、恭くんからの連絡が途絶えてしまった。
もちろん、あたしから連絡することだって、何度も何度も考えたけど。
メッセージの送信ボタンを押すのを躊躇ってしまうのだ。
そんな風に悶々として、もう五日が経つ。
遅々として進まない課題レポートから目を逸らし、立ち上がったあたしは部屋のカーテンをほんの少しだけ開けて外を覗いた。
向かい合わせになったバルコニーの先、恭くんの部屋のカーテンから明かりが漏れている。
あのカーテンの向こうに、恭くんがいる。
会わなかった四年間で、あたしよりずっと背が高くなり、声が変わり、男の子から男のひとに変わってしまった幼馴染みの恭くん。
カーテンの向こうにいる、あたしの知らない恭くんを知らないままでいれば、この息苦しさも、夏の終わりにはきっと治まってる。
カーテンを閉めながら自分にそう言い聞かせ、あたしはベッドにごろんと横になった。
☆
母の口から驚きの事実を聞かされたのは、その翌朝のことだ。
「え……っ? 恭くん、風邪引いて寝込んでるの!?」
「あら、梨衣のとこには恭くんから連絡なかったの?」
母の話では、恭くんは数日前から熱を出しているらしい。
あいにく恭くん一家は一昨日から他県にあるお父さんの実家に帰省する予定になっていて、体調の悪い恭くんは一人で家に残ることになったそう。
法事の手伝いに行かなければならない美也子さんの代わりに、近所に住む美也子さんのお母さん(恭くんにとっては母方のおばあさん)が看病に通っているとのことだけれど……
「じゃあ、恭くんは今も一人で寝込んでるのね? もっと早く教えてくれればよかったのに!」
あたしは居ても立ってもいられなくなって、手早く身支度を済ませると家を飛び出した。
コンビニで栄養ドリンクやらビタミンゼリーやらを買い込み、汗をかくのも厭わずに恭くんの家へと急ぐ。
インターフォンにわざわざ出なくてもいいように、恭くんへはコンビニからLINEで連絡を入れておいた。
恭くんちの玄関の前で既読がついているのを確認すると、「おはようございまーす」と声をかけながらドアを開けた。
勝手知ったるお隣さんの家。
あたしは階段を上がると、恭くんの部屋をノックする。
「恭くん? あたし。梨衣。高熱でうなされてるんでしょう? 栄養ドリンクとポカリとゼリーを買ってきたから────」
言い終わらないうちにガチャリとドアが開いて、中から恭くんが現れた。
「梨衣ちゃん、おはよ。そんなに慌ててどうしたの?」
「えっ、だって、恭くんが高熱でうなされながら寝込んでるって聞いたから……」
「ええ!? 確かに熱は出たけれど二日で下がったし、うなされるまではいかなかったけど」
「そ、そうなの? あたし、てっきり恭くんがずっと苦しんでるものと……」
そう言われてみれば、恭くんの表情はすっきりしていて、とても病人には見えない。
「ありがとう、心配して来てくれたんだ。せっかくだから中に入って。今冷たい麦茶持ってくるから」
コンビニのレジ袋をぶら下げたまま、汗を流して息を切らしたあたしは、引っ込みがつかなくなって恭くんの部屋にお邪魔した。
階下に下りた恭くんを、ラグマットの上に座って待つ。
四年ぶりに入った恭くんの部屋。
本棚には今回持ち込んだ教科書や参考書のほか、ドイツに引っ越す時に置いていった小学生向けの本や漫画、当時恭くんが好きだったゲームキャラのフィギュアなんかも並んだまま。
あたしの知ってる恭くんの部屋って感じがしてほっとする。
程なくして、トレーを持った恭くんが戻ってきた。
「風邪はもうすっかりいいの?」
「うん。おかげさまで」
「恭くんが風邪引いてること、今朝ママに聞くまで全然知らなかった。恭くんが熱出したの、あの映画の帰りにびしょ濡れになったせいじゃない?」
あたしが雨に濡れないよう、羽織っていた綿シャツを傘代わりに広げて走ってくれた恭くん。
あの時、恭くんはかなり濡れてしまっていたから────
「梨衣ちゃんはきっとそうやって責任感じちゃうと思ったから、風邪を引いたなんて言えなかったんだ。うつすといけないから、図書館に誘うのも遠慮してたし」
「でも、それでも教えてほしかった。恭くんから急に連絡来なくなって、ずっとやきもきしてたんだから……」
ぼそりと独り言のように呟いたあたしは、ローテーブルに麦茶のグラスと一緒に置かれたガラスの小鉢にふと目を止めた。
「恭くん、これなあに?」
「ああ、これね。昨日ばあちゃんが持ってきたんだけど、梨衣ちゃんにも食べてもらおうと思って。完熟ゴーヤの種なんだ」
「ゴーヤの種!?」
あたしは改めてそれを観察する。
平べったい種を真っ赤なジャムで和えたような見た目だ。
「ゴーヤの種なんて、食べられるの?」
「種は食べられないけれど、その周りの赤い部分がとろっと甘くて美味しいんだ。騙されたと思って食べてみて」
恭くんの言葉を信じて、騙されたつもりでおそるおそるスプーンで真っ赤な種をすくい、口に運んでみた。
「ん……あまーい! おいしい!」
「でしょ? ばあちゃんが庭でゴーヤを育てていてさ、ビタミンCは風邪にいいからって、これを持ってきてくれたんだ」
口に残った種を小皿に出し、もう一口味わってみる。
恭くんは携帯に保存したおばあちゃんちの完熟ゴーヤの写真を見せつつ、あたしに説明してくれた。
「ゴーヤって、熟してくると実が黄色くなるんだ。で、さらに完熟すると、実が爆発するんだよ」
「えっ、爆発!?」
「そう。で、実の中に入っていたこの種が飛び散るんだ」
「へえぇ。そうやって種を拡散して、広範囲に芽が出るようにしているんだね」
あたしはゴーヤの意外な生態に感心しながら、真っ赤な種をもう一度口に含んだ。
冷蔵庫で冷やされていた種は、ウリ科ならではのさっぱりとした甘さと瑞々しさで、あたしの知ってるゴーヤからは想像もつかない。
「そう言えば、完熟ゴーヤの黄色い果肉を使ったクッキーもばあちゃんからもらってるんだった。それも試食する?」
「うん、食べてみたい!」
恭くんの提案に前のめりで食いついてから、あたしははっと我に返る。
「……って、あたしは恭くんのお見舞いに来たんであって、完熟ゴーヤを味わい尽くすために遊びに来たんじゃないんだった!」
唐突に当初の目的を思い出したあたしに、恭くんは一瞬きょとんとして、それからくつくつと笑い出した。
「そんなの気にしないで。風邪はもう治ってるし、梨衣ちゃんが心配して来てくれたってことだけで嬉しいよ。それに……」
「それに?」
「さっき、俺からの連絡がなくてずっとやきもきしてたって言ってたよね。それって、会えなかった時間も、ずっと俺のこと考えてくれてたってこと?」
「…………っ」
恭くんのまっすぐな眼差しに射すくめられて、あたしは言葉に詰まってしまった。
確かにあたしは恭くんに会えない間、ずっと恭くんのことを考えていた。
窓の外を見やっては、カーテンの向こうにいる恭くんのことを思っていた。
あたしの知らない恭くんを、知らないままでいようと思っていたのに。
そこに引き返すタイミングは、もうとっくに恭くんに奪われていたのだ。
今さらながらそれに気づいたあたしだけれど────
意気地のないあたしは、それでも恭くんの言葉に素直に頷くことができないでいる。
「でも……恭くん、一ヶ月後にはドイツに戻っちゃうんでしょう? 恭くんのことを思うほど、先のことが気になってしまって────」
「……あれ? もしかして、母さんから何も聞いてない?」
「……へっ? 何を?」
「父さんのドイツ支社勤務が、来年の春に終わる予定なんだ。それで、大学受験の準備もあるし、俺は一足先にこの夏から日本に戻ることになったんだよ」
「…………!?」
「母さんが、帰国の挨拶に行って梨衣ちゃんに会ったっていうから、てっきりそのことも伝わってるんだと思ってた」
「…………!!」
何それ────
そんなの聞いてない…………っ!!
青天の霹靂レベルにショックを受けたあたしは、口をぽかんと大きく開けたまま固まってしまった。
まるで、爆発して種を拡散させた後の、ぱっくりと口を開けた完熟ゴーヤのように────
《KAC20205につづく》
https://kakuyomu.jp/works/1177354054894633656/episodes/1177354054894633725
カーテンの向こうには【04 知らないことを、知らないままで】 侘助ヒマリ @ohisamatohimawari
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