カーテンの向こうには【02 九年ぶりの夏祭り】

侘助ヒマリ

KAC20202お題『最高のお祭り』

「そっか……。月曜日だから、図書館お休みだったんだ……」


「そっか……。日本では、月曜日が図書館の休館日なんだね……」


 真夏の昼下がり。

 あたしと幼馴染みのきょうくんは、こめかみをつたう汗を拭うことも忘れ、開かない自動ドアの前で呆然と立ち尽くしていた。


 ドイツから四年ぶりに一時帰国している、我が家のお隣さん一家。

 その一人息子の恭くんがうちを訪ねてきたのだけれど、四年ぶりの彼があまりに男の人っぽくなっていたことに戸惑いを感じたあたしは、家の中で二人きりになるのを避けて彼を外に誘い出した。


 その行き先が図書館だったのに、恭くんの成長ぶりにどぎまぎしてしまい、今日が休館日であることをすっかり失念していたのだ。


「ごめんね……。うっかりしてた」


「大丈夫だよ。気にしないで。それじゃ、洋服買うのだけ付き合ってくれるかな? こっちだとどこで買えばいいのかよくわからないから」


 図書館前の並木道、蝉の声がシャワーのように降り注ぐ中、あたしと恭くんは駅前のショッピングモールに向かって歩き出した。


 日本の殺人的な湿度と暑さがピークに達する時間帯に、恭くんを連れ回してしまったことに申し訳なさを感じつつ。

 ドイツでは図書館は日曜日が休館なんだとか、デュッセルドルフの中央図書館では日本の小説や漫画も借りられるんだとか、暑さをものともせず楽しげに話す恭くんの横顔から、なんとかあたしの知ってる可愛い恭くんの面影を見つけようと窺っていた、そんな折。


「あっ!」


 恭くんが前方を見てぴたりと足を止めた。


 彼の視線の先をたどると、通りに面した神社の石段の脇にいくつか露店が出ているのが見える。


「もしかして、白窪神社のお祭りって今日なのかな?」


「この時期の甲子きのえねの日に開かれるお祭りだから、“きのえねさん” って呼ばれてるのよね。暦のことはよくわかんないけど、そう言えばいつもこのくらいの時期だったよね」


 言われてみると、真夏の午後だというのに通りにはけっこうな人の往来があって、神社の石段を昇り降りする人も多くいる。

 境内につづく参道には、きっと多くの露店が並んでいるに違いない。


 恭くん一家がドイツに転勤する前は、何度か一緒にこの “きのえねさん” に行ったことがある。

 お互いの母からお小遣いをもらい、「はぐれて迷子にならないように、梨衣が恭ちゃんの手を引いてあげるのよ」なんて言われて露店を回ったっけ。


「懐かしいねえ……」


 人混みの中、楽しさと不安が入り交じったような顔で必死についてきた可愛い恭くんを思い出し、思わず口元が緩んでしまう。

 そんなあたしの視界に、腰を屈めてこちらを覗き込む、いまだ見慣れない恭くんの顔がすっと入り込んできて、面食らったあたしは半歩後ずさった。


「ねえ、梨衣ちゃん。せっかくだし、二人できのえねさんを回ろうよ」


「え……」


「梨衣ちゃんも今『懐かしい』って言ってたでしょ。俺も久しぶりに日本のお祭り楽しみたいしさ」


「いいけど……このまま立ち寄るの?」


「お互いに重い荷物背負ってるし、一度家に戻ってから出直そうか。……あっ、そうだ!」


 何かを思いついたように、恭くんが無邪気に顔を輝かせる。


「梨衣ちゃん、浴衣もってる?」


「浴衣? うん、もってるけど」


「じゃあさ、服を買うついでに俺も浴衣買うから、浴衣デートしようよ!」


 デ……デート!?


 さらりとそんな誘い方ができちゃう恭くんに、あたしはまたもや戸惑ってしまう。

 やっぱり欧米で育ったせいで、女の子をデートに誘うのもこんなにスマートなんだろうか。


 もしかして、向こうではしょっちゅう女の子とデートしてるとか……?


 内心は動揺しまくりだけれど、あたしの方が彼より二歳年上だ。

 デートって言葉に異常に反応するのもみっともないので、なんでもない顔をして頷いて見せる。


「いいよ。日本のお祭りを楽しむなら、浴衣の方がテンション上がるしね!」


 そんなわけで、ショッピングモールでは若者向けのファッションブランドのお店を三軒ほど回り、呉服店で恭くんの浴衣を見繕って家に戻った。


 ☆


 日が落ちて、まとわりつくような湿気がいくらかマシになった頃。

 インターフォンが鳴り、恭くんがあたしを迎えに来た。


「うわあ……梨衣ちゃん可愛い! 良く似合ってるね!」


「あ、ありがと。恭くんも素敵だよ」


 紫がかった水色の生地に濃い紫の花が咲き誇る浴衣に、黄金色の帯。

 ヘアアイロンでゆるくウエーブをかけた髪をアップにして、下駄の鼻緒の赤に合わせて赤い髪飾りをさしたあたしを恭くんが手放しでも褒めてくれる。


 そんな恭くんは、さっき一緒に選んだ濃紺の地に細い白線の入った浴衣姿。

 ドイツ暮らしのくせに、浴衣までしっかり似合ってしまうなんて、ずるすぎる。


 母に見送られながら、あたし達は神社へ向かって歩き出した。


 たわいもない話をしながら、隣を歩く恭くんの横顔を窺い見る。

 四年前よりも顎のラインがシャープになって、綺麗な白い歯が零れそうに笑うその口元には、青年の色香が滲んでいる。


「最後に一緒にきのえねさんに行ったのはいつだったっけ?」


「恭くんちがドイツに行っちゃう前の年だったはずだから……あたしが小四、恭くんが小二の時かな。あの時はあたしが浴衣で、恭くんは甚平だったね」


「あー、あの上下に分かれてる、子どもっぽいやつね」


 そう。あたしの知ってる恭くんは、浴衣よりも甚平がしっくりくる男の子だったのに。


 緩めに合わせた浴衣の胸元から覗く鎖骨とか、裾から出てるくるぶしとか、大きな下駄を履いた骨ばった足とか。


 そのどれもがあたしの知らない男のひとのそれに変わっていて、さっき恭くんがさらりと発した “デート” という響きが、どうしても頭の中でぐるぐると回ってしまうのだ。


「わあ、さすがに夜はけっこうな人混みになってるね」


 気がつくと、道の往来はだいぶ賑やかになっていて、参道へ続く石段も人で埋めつくされている。

 昼間通りかかった時よりも、三倍くらいの人出がありそうだ。


「梨衣ちゃん、はぐれないように気をつけてね」


 恭くんはそう微笑むと、あたしの手をごくごく自然に迎えにきて、ごくごく自然にぎゅっと握った。


 九年前は、恭くんがはぐれないようにって、あたしの方が手を握ってあげていたのに。



 やっぱりこんな恭くん、あたしは知らない。



 石段を上ってまっすぐに続く参道の両脇には思った通り沢山の露店が軒を連ねていた。


「梨衣ちゃんはチョコバナナ好きだったよね」

「デュッセルドルフは欧州のリトル・トーキョーって呼ばれてるくらい日本人が多いから、お好み焼き屋さんもあるんだよ」

「何あれ? 電球ソーダ? 光ってるけど、あれは飲み物なの?」


 久しぶりの日本のお祭りに恭くんのテンションは爆上がりで、矢継ぎ早に露店を覗いては楽しげにコメントする。


「おおー!」とか「うわぁ!」とか、上げる歓声の低さに戸惑うけれど、てらいなく笑いかける恭くんの表情はあたしの知ってる面影が色濃く残っていて、繋がれた手の大きさに感じていた違和感もどんどん和らいでいく。


 あたしはと言うと、「このお面のキャラ、今人気のアニメの主人公なんだよ」とか、「恭くんはハッカパイプが好きだったよね」とか、「九年前に二人とも一個も取れなかったスーパーボールすくい、リベンジしよう?」とか、恭くんにつられて夏祭りの雰囲気をいつしかすっかり満喫していた。


 ☆


「あー、やっぱ日本のお祭りは楽しいなあ」


「満喫したのはいいけど、恭くんが取ったその大量のスーパーボールはどうすんの?」


「うーん。とりあえず風呂にでも浮かべてみようかな。梨衣ちゃんにも半分あげようか」


「えぇー……いらないよ。使い道ないし」


「なんだー。買い物に付き合ってくれたお礼をしたかったのに」


「お礼ならもっといいものがほしいな!」


 細いビニール紐で口をすぼめられた小さな袋三つに色とりどりのスーパーボールをぶら下げた恭くんが楽しげに笑う。

 浴衣の帯の下で大きな尻尾がぶんぶんと振れているようで、あたしの口元も自然とほころぶ。


「ねえ、恭くん。そろそろ手を離しても大丈夫だよ?」


 人混みの中では、ぶつからないように、はぐれないようにというところに注意が向いていて気にならなかったけれど。

 お祭りの喧騒から離れるに従い、繋がれた手の大きさの違和感が再び首をもたげてきて、あたしは恭くんにそう告げた。


「……いいじゃん。最高のお祭りの余韻を、もう少し楽しみたいからさ」


 そう答えた恭くんの声が、少し掠れて上ずった。


 綺麗になったなんて褒め言葉を使ったり、デートしようなんてさらりと誘ったり、そんなスマートな恭くんが、本来のシャイな部分を覗かせている。


 繋いだ手から伝わる体温も、いくらか上がったように思える。


 恭くんの根っこの部分が変わっていないことを確かめたいあたしは、ほどきかけた指先をもう一度恭くんの指にしっかりと絡めた。


「そうだね! あたしも最高に楽しかったし」


 見上げると、街灯に照らされた恭くんの頬が紅く染まっていて。


 熱を孕んだ眼差しとぶつかり、少し戸惑ったその瞬間────


「じゃ、改めて、今日のお礼」


 そう告げた恭くんの薄い唇がみるみる近づいてきて、あたしの唇に軽く触れた。




「梨衣ちゃんは明日もバイト?」


「う……ううん、明日は、休み、だけど……」


「じゃあ、明日こそ一緒に図書館に行こうね」


「う、うん……」




 少しだけ上ずる恭くんの声は、やっぱりあたしの知らないものだ。


 でも、彼が今どんな顔をしているかなんて、あたしの知ってるウブでシャイな根っこの部分を覗かせているかなんて、顔をうつむけたままのあたしにはとても確かめられなくって。


 ただ、繋いだ手の熱がぐんと熱くなったことだけを感じながら、二人の家へと続く街灯の下を辿って歩くのだった。



《KAC20203につづく》

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894537046/episodes/1177354054894537063

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カーテンの向こうには【02 九年ぶりの夏祭り】 侘助ヒマリ @ohisamatohimawari

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