月見団子

「ねえ、みどりちゃん。おはなし聞いて」

「今日はどんなお話なのかしら?」

「あのね──」


 これが、絵描きを目指すわたし、千歳緑ちとせみどりと、小学一年生の女の子、鳩羽はとばいろちゃんの、物語の始まりである。



「みどりちゃんは、このあいだの夜、おだんご食べた?」

「お団子? ああ──」


 いろちゃんの言う「お団子を食べる夜」は、中秋の名月を指すのだろう。十五夜に、空を見上げながらお団子を食べるとは、風流なご家庭である。


「お団子じゃないけれど、お月様は食べたわよ」

「おつきさまを食べたの? どんなあじがするのかしら」


 彼女のような優雅さのかけらもないわたしは、月に見立てた目玉焼きが挟まれたハンバーガーを食べて、それでおしまい。月を見たかどうかも、あやしいものである。「わたしのおともだちは、おつきさまを食べたのよ」と学校で言いふらされては、きっと困ったことになる。念のためいろちゃんには、わたしが食べた月の正体を明かしておいた。「ハンバーグ、おいしいよね。おかあさんに、作ってもらわなくっちゃ」と、彼女は食欲旺盛である。さすがは育ち盛り。ぺたぺたと母娘そろってお肉をこねる姿を想像すると、微笑ましい。話を戻そう。


「それで、その日に何かあったの?」


 いろちゃんが「おはなし聞いて」と持ちかけてくるときは、決まって彼女にとって不可解なできごとがあったはずなのだ。


「おだんごが足りなかったの」

「食いしん坊さんね。いくつ食べたの?」

「ちがうの」


 口を尖らせて、そうではないと言う。どうやら、「食べ足りない」の足りないではないようだ。しかし彼女は、ひとつ、ふたつ、と、指折り数え始める。その仕草が、なんとも可愛らしい。「みっつと、はんぶん」と、律儀に食べたお団子の数を教えてくれた。


「やっぱり食いしん坊さんじゃない」

「もう、ちがうの。みどりちゃん、きらい」


 からかうとすぐに怒るのは子どもの愛らしいところだが、やりすぎるとすねてしまうので、このあたりにしておこう。


「ごめんごめん。じゃあ、お団子がどう足りなかったのかな?」

「足りないって言ったらね、おかあさんが『今、ダイエットしてるから』って、おかあさんのぶんをくれたの。ふとってないよって言ったら、あたまをなでてくれたよ」


 いろちゃんには、イケメンの素養がある。この歳にして、女性が言われてうれしいワードを、自然と心得ているのだ。


「おとうさんは、おからだのぐあいがよくなっているとちゅうだから、たくさん食べられないんだって。はんぶんこして、いろにくれたの」


 食欲の秋でなくとも、育ち盛りの子どもがいるご家庭では、年中そうして親が子に食べ物を分け与えているのだろう。それは、家族みんなにとっての幸せなのだ。


「いろちゃんのぶんはもちろん、お団子は、お母さんとお父さんのぶんもあったのよね?」

「うん。おかあさんが、みんなのぶんをかってきたよ」


 彼女のお腹の膨れ具合ではないとしたら、何が足りなかったのだろうか? 子どもでなくとも、言葉足らずということはある。「お団子」と「足りない」の間に何かが隠れているのかもしれない。お団子から少しはなれてみよう。ひょっとして、と、思い当たるふしを聞いてみた。


「もしかして、お飾りのすすきがなかった、とか?」

「すすき? ふわふわしたお花みたいなのはあったよ」


 お飾りが足りなかったわけではないようである。お月見に、お団子とすすきは用意されていた。お母さんもお父さんも一緒であった。その他に足りないものとなると、それはいったい──。


「空に、お月様が出ていなかったのかな?」

「まんまるのおつきさまが、きれいだったよ。みどりちゃんは見なかったの?」


 すみません、見ていませんでした。

 どうやらお月見の準備は、お団子、すすき、ご家族、加えて肝心のお月様と、すべてがそろっていたようだ。いろちゃんのお腹も満たされて、何ひとつ足りないものなどないように思えるのだけれど。もう少し話を聞いてみよう。


「お母さんとお父さんに、それが足りないことは伝えたの?」

「うん。おだんごはおかあさんがかってきたから、足りないって言ったの」

「お母さんは、どう答えてくれたのかしら」

「おかあさんは、こんどは足りなくないようにかうからねって言ってた。『いろは、そういうじきだもんね』ってわらってたよ。じきってなに?」


 彼女の母親が言う時期とは、もちろん育ち盛りの時期だ。これを説明すると、食いしん坊が再びやってきて、今度こそいろちゃんの怒りを買うだろう。わたしはそれとなくごまかした。三度目はアウトなのである。

 いろちゃんの言う「足りない」は、最初に聞いたとおりお団子だった。彼女が足りないことを伝え、母親が次は足りなくないように買う、と答える。母娘のやりとりを聞く限り、これでめでたしめでたし、一件落着だ。しかし、わたしの中で何かが引っかかった。


「いろちゃんは、いつお団子が足りないと気がついたの?」

「おかあさんが、『まだ食べちゃだめよ』って言ったときだよ」


 きちんとお供えをしてから、の段階で、彼女はお団子が足りないと気づいたようだ。ということは、まだお団子を食べてはいない。いろちゃんの食いしん坊説はここで消えた。


「どうして、足りないと思ったのかな?」

「先生が、おつきさまについて、なんでもいいからおべんきょうして、ごかぞくの前ではっぴょうしてくださいって言ったの」


 お勉強をして、家族の前で発表となると──。


「それって、授業参観で発表する、で合っているかしら?」

「そうそう。みどりちゃんも、がっこうに見にきてくれる?」


 うれしい申し出ではあるが、わたしが母親です、なんて言い出したら、いろちゃんをいくつで産んだことになるのか。そもそも、お相手もいないというのに。周囲への説明が大変そうなので、丁重にお断りした。


「いろちゃんは、お月様について、どんなお勉強をしたの?」

「きゅうしょくの前で、おなかがすいててね」


 子どもの話は、唐突に変わることがある。続きを待ってみよう。


「先生に、おなかがすきましたって言ったら、『じゃあ、おつきみをおべんきょうしてみましょう』って言ったの」


 いろちゃんは、お月見を研究課題に出されたようだった。


「きちんとお勉強はできた?」

「うん。じゅうごやにおだんごをおそなえして、かみさまにおれいをしたら、みんなでおだんごを食べるんだよ」


 十五夜について、よく調べたようである。偉い偉い。ここでピンときた。お腹を空かせた彼女が、一生懸命お勉強をした結果、お団子を食べる前にそれが足りないと気がついた。となれば、は──。


「お勉強したことを、お母さんとお父さんには伝えたの?」

「ううん。じゅぎょうさんかんの日は、おかあさんがきてくれるんだけどね、その日までないしょなの」


 秘密にしているとは、それは当日が楽しみだろう。


「お母さんは、今度は足りなくないように、お団子を買ってくれるのよね?」

「そうだよ」


 そう遠くないうちにある授業参観で、いろちゃんは十五夜の風習について、研究成果を発表するという。お腹が空いた、から始まった研究だ。食べ物がどうあるべきかは、しっかりと調べたはずである。


「お母さん、いろちゃんの発表を見て、きっと驚くと思うわよ」

「どうして?」


 大人は案外、物事を知らないものである。そして、好奇心が旺盛な子どもに、教わることもあるのだ。彼女の母親は、娘の言う「足りない」の真実を、授業参観の日に知るだろう。いや、場所が学校なのだから、正確には「学ぶだろう」か。


「今夜は、お月様を描こうかしら。お団子を食べながら」

「じゅうごやは、もうおわっちゃったよ」

「いろちゃんのお話を聞いていたら、そうしたくなっちゃって」


 お買い物に付き合ってくれる? といろちゃんを誘い、わたしたちは手をつないで歩き出した。お菓子売り場で彼女は、お勉強の成果を遺憾なく発揮してくれるだろう。そうなったら、お団子を全部食べられるかしら? と、わたしは、自分の胃袋の大きさが心配になるのだった。



 おしまい

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いろのひめごと このはりと @konoharito

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