鬼灯

「ねえ、みどりちゃん。おはなし聞いて」

「今日はどんなお話なのかしら?」

「あのね──」


 これが、絵描きを目指すわたし、千歳緑ちとせみどりと、小学一年生の女の子、鳩羽はとばいろちゃんの、物語の始まりである。



「このあいだの夜にね、おはかまいりに行ったの」

「あら、偉いわね」


 わたしが頭を撫でてあげると、うふふ、と笑い、彼女はうれしそうにしている。子猫がゴロゴロと言っているようで、愛らしい。確か、いろちゃんのお家のお墓は、近所のお寺にあったはずだ。そこでは、希望すれば手桶に柄杓、足元を照らすのに提灯を借りられた。以前お寺を描いていたとき、「飾りにどうですか」と、住職が雅な提灯を持ってきてくれたのを覚えている。


(お墓参りか。最後に行ったのは、いつだったかしら)


 そんなふうに考えているわたしのそばで、いろちゃんは、何がうれしいのか、飛んだり跳ねたりしている。彼女が元気に育ってくれて、きっと、ご先祖さまも喜んでいるだろう。


「それでね、いろはぜんぜんこわくなかったんだけど、なんとかげんしょうを見たの。みどりちゃん、なんとかげんしょうって、知ってる?」


 お墓参りで体験する現象となれば、あれしかない。「心霊現象か、怪奇現象ね」と教えてあげると、「そうそう、しんれいげんしょう。みどりちゃん、よく知ってるね。えらいわ」と、小さな手で頭を撫でられた。些細なことでも、ほめてもらえるとうれしいものである。


「それで、どんなのを見たの?」


 いろちゃんは、よくぞ聞いてくれました、と、つぶらな瞳をらんらんと輝かせた。しかし、ぶるりと身震いしたかと思うと「やっぱりやめていい?」と、おそるおそる切り出してくる。怖い目にあったのがまるわかりだ。いたずら心が持ち上がり「ええ、そんなあ」と抗議すると、いろちゃんはあっさり折れた。しぶしぶといった感じで話し始める。


「だれもいないのに、まるくてあかるいのがゆれてて、いろにちかづいてきたの」


 誰もいないお墓で見る明かりと言えば、人魂であろうか。色までは知らないが、ほのかに明るいらしい。


「お化け、なのかな? それは怖かったでしょう」

「おばけなんていないよ。みどりちゃん、しんじてるの?」


 きっぱりと否定するいろちゃんは、リアリストである。しかし、早口になっているところを見ると、やっぱり怖いのだろう。ちょっとからかってやりたくなり、スケッチブックを開き、さらさらとお化けを描いた。提灯に、ぎょろりとした目玉をひとつ添え、気味悪く裂けた口から舌をのばした、そんなお化けである。「ばあ」と絵を見せると、いろちゃんは甲高い声で悲鳴をあげた。いひひ、と笑っていると、怒った彼女の鉄拳制裁に見舞われた。話を戻そう。


「それで、その丸くて明るいのが近づいてきて、いろちゃんはどうしたの?」

「とおくにいるおかあさんのところへ、はしっていったの」

「なんだ。やっぱり怖いんじゃない」


 信じていないようなことを言いながら、実は怖いのだ。うっかり笑みをこぼしてしまったのを見とがめて、いろちゃんが可愛らしく「ちがうよ、ちがうよ」と考えの訂正を求めてくる。


「おばけなんて、こわくないからね」


 念を押すように、彼女が言った。からかうのは、そろそろやめておこう。


「その丸くて明るいの──とりあえず、お化けとしましょうか。それは、どこで見たの?」

「おはかのちかくだよ」


 お墓の近くでお化けと遭遇した、と。彼女の話から察するに、おそらく母親と離れたところで、それを目にしたようだった。合っているかどうか、一応確認してみる。


「お家のお墓のそばじゃあ、なかったのよね?」

「どうしてわかったの? みどりちゃん、すごいわ」


 またほめられて気分が高揚する。わたしはどうやら、ほめられて伸びる子なのかもしれない。


「ということは、暗いところでお母さんからはなれちゃったの?」

「ごめんなさい……」


 叱ったつもりはなかったのだが、いろちゃんはしゅんと俯いてしまう。


「何か、めずらしいものを見つけたのよね、きっと」

「うん……」


 わたしは、しゃがみこんで彼女に目線を合わせ、怒ってはいないのよ、と笑って見せた。安心したのか、いろちゃんは、そのときのことを話し始める。


「青いお花があったの」

「それは、よそのお家のお墓ね?」

「うん。おかあさんがおはかのおそうじをしてたから、ひとりで、かいちゅうでんとうで遊んでてね。そうしたら、とおくにあかりを見つけたの」


 遠く、といっても、子どもが感じる距離だ。鳩羽家のお墓から、さほど離れてはいなかっただろう。お墓で見つける「あかり」と言えば、おそらく──。


「それは、ろうそくの明かりかな?」

「うん。ちいさいのがよっつくらいあって、ちょっとあかるかったよ」

「それで、青いお花に気がついたのね」


 お供えの花に、故人が好きだったものを選ぶのは、よくあることだ。青は、いろちゃんの好きな色である。その花に惹かれたのにはうなずけた。


「おかあさんがかったのと、ぜんぜんちがうお花でね。よく見たくて、おはかにちかづいたの」


 ここでお化けのご登場、だろうか。


「そうしたらね、足がきゅうにつめたくなったの。カランカランって音がして、そのあとよ。とおくから、まるくてあかるいのが、いろにちかづいてきたの。もう、こわくって」


 うっかり本音がもれていたが、からかいすぎるのも可哀想なので聞き流した。


「それで、お母さんのところまで走ったのね」

「うん。おかあさんにだきついたら、『つめたい』ってびっくりしてたよ」


 墓に近づく不届き者を、冷たくし、音で脅かしたうえ人魂まで呼び寄せるとは、わたしでも怖かっただろう。想像しただけで震えがくる。祟りの類であれば、その程度ですむとは思えなかった。気になるその後を聞いてみる。


「お母さんと一緒になったあと、お化けは追いかけてきたの?」

「ううん。おばけはね、いろがいたばしょでゆらゆらしたあと、またとおくに行っちゃったよ」


 それはよかった。呪いでももらっていたら、大変である。


「じゃあ、お化けはそれっきり、いろちゃんの前には出てこなかったのね」

「うん。おかあさんにはなしたらね、いろがわるい子だったから、あのよにつれて行こうとしたんじゃないかって。その日は、おかあさんといっしょにねたの」


 怖くて、ひとりではトイレも行けなくなったのだろう。わたしもそんな経験があったなあ、と思い出す。

 さて、お化けの正体とは、いったい何であろうか。人を冷たくし、音を立て、明かりをともなって現れて、そこまで執念深くはないお化け、とは。


「あかるいところに行ったら、いろの足とくつがびしょびしょだったよ。おかあさんが、なんでだろうって言ってた」


 足と靴が濡れていた。彼女がもたらした新たな情報により、わたしの中で、あるが浮かび上がった。


「お墓参りの日は雨だったかしら?」

「ううん。かさはもっていかなかったよ。でも、おほしさまは見えなかった」


 雨は降っていなかったけれど、星の見える晴れた夜でもなかった、と。


「歩いたのは、いろちゃんのお家のお墓までの道と、よそのお墓までの道よね?」

「うん、そうだよ」


 近所のお寺に、池のような水に濡れる場所はない。その日は雨も降っていなかったとなると、お化けの正体は──。


「わかったよ。いろちゃんが見た、お化けの正体」

「ほんとうに?」


 彼女は、「ねえ、おしえて」とわたしの太ももに抱きつき、せがんでくる。その頭を撫でながら、わたしは思うのだった。


(今年は、お墓参りに行こうかしら。お花は花屋さんで見てもらって。懐中電灯とボトルに入れた水じゃあ、なんだか味気ないわ。提灯と、柄杓に桶も借りて──それから、返すのを忘れないようにしないと、いけないわね)



 おしまい

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