『MACARON PISTACHE』

 あの夕暮れの中にいる。

 ムクドリの鳴き声も近くのお家の換気扇も、音の出どころから音量ボリュームまでまるきりちぐはぐで。それが──私にこれは夢なんだって教えてくれる。

 目の前には、赤いランドセルを背負ったまっひーの後ろ姿がある。

「あなたに柚木は守れないよ。いつか王子様じゃなくなるんだから。女の子が可愛いって思うものを可愛いと思うようになるんだから。いつかあのお姫様に背だって追い抜かれるんだから」

 別に、抑え切れなかったわけじゃあない。ただ、今さら伝えたってどうにもならない未来を八つ当たりみたくぶつけてゆく。まっひーがからだごと振り向いた。険のある目つきに、つい下唇を噛んでしまう。


「気づいてたよ。わかってたでしょ。生まれた頃から女の子だって」


 その声色は、淡々と子どもを叱る親のようで。

 俯いて、をぎゅうと握り締めた。いつの間にか、立場は入れ替わっていて──目線を上げれば、トレンドっぽいマフラーの巻き方をした中学生の私が立っている。ひーちゃんは私の方へと手を伸ばして、けれど私の頭上で静止してから、結局何をするでもなく引っ込めた。

「撫でないよ。そんなふうに扱われるの、キライでしょアンタ」

 ──可愛いって、何かイヌやネコに使う言葉みたいでイヤ。

 ひーちゃんの瞳が、陰りの中でちらと潤んでいる。


「最後の一個、食べていーよ」

 そう言って、柚木はマカロンの入った小箱を私の方へちょいと押した。一瞬、意味がわからなかった。もともと六個入りなのだから、三個ずつ分ければ最後の一個なんて発生しないのに。

「何? 飽きた?」

「うーん、別に深い意味はないというか──いいでしょ~。ひーちゃん女の子なんだから、甘いモノ好きでしょ?」

 そのはにかんだ横顔からは、ひとさじの悪意も見当たらない。

 おんなのこ、なんだろ、その一言で唐突に。


 これを贈った布川先輩と同じ、柚木良悟に気のある女生徒という枠組みに追いやられた気がした。


 無理しないでいいよ? 他のに声かけるから。それは──私の勝手な脳内補完なのだけれど。

「くれるんなら──もらうけど」

 好きでも嫌いでもなく、何とかその言葉だけを絞り出す。何一つ効いていないふうを装う。

「けど、ほっとしちゃった。ほら、ひーちゃんって僕がこんなだから、あんまりそういうのできなかったよね」

 私の表情が、明らか理解の追いついていない人間のそれだったのだろう。そういうのと強めに言って、柚木が指さしたのは私の爪。縦長になったネイル。

「だから、安心したなって。それって僕が少しは男らしくなったってことでしょ?」


 ああ、そっか。


 気を遣われてると思っていたのか。

 いつも車道側を歩いてあげたのも、いじめっ子から守ってあげたのも、放課後なくした物を一緒に探してあげたのも、膝を擦り剥いたあなたが泣き止むまで傍にいてあげたことも、全部幼馴染だから。厭々いやいや王子様を演じてくれているのだと、そう思っていたのか。

 なんだ。


 柚木良悟にとって、山田まひろは最初から王子様じゃなかったんだ。


 だから、もしマニキュアを塗っているのだと告白しても。友だちの強引な誘いで顔と名前と──あと入っている部活くらいしかわからない男子二人と、来週出かけるのだと打ち明けても。きっと、あなたは何とも思わない。


 裏切りだなどと責めてはくれない。


 じゃあ、さっきの女の子なんだからっていうのは? 

 そんなふうに扱われたら、私が喜ぶと思った? それとも、が喜ぶと思った? 小箱には、ピスタチオカラーのマカロンが取り残されている。布川先輩は、どんな顔で柚木にこれを渡したのだろう。柚木のどこに惹かれたのだろう。どこで柚木と落ち合ったのだろう。そもそも。

 ──僕テニス部入ってたから。そのときお世話になった先輩。


 部活の先輩だったって話はホント?


「柚木」

 鞄のファスナーを開けた。手を突っ込んで、目線は鞄へと縫い付けたまま、取り出したそれをぶっきらぼうに差し出す。

「これ、あげとく」

 去年は、きちんと目を見て渡せていたから。今年もどんな顔をしているのかは、大体想像がつく。百均のラッピング用品で、そこそこ愛嬌ある感じにまとまった偶数個のチロルチョコ。

「ええ~、またチロルチョコぉ?」

 柚木がわざとっぽく不満を漏らした。見ると、瞳の奥にある光がいたずらっぽく私を誘っていた。をかかって来いよと挑発していた。

「文句言うなら──」

 身を乗り出しつつ、華麗にかっさらってやろうと手を走らせて。うわっといかにも意表を突かれたふうな柚木に、それでもあっさり躱される。あれ? 結構──本気だったのに。柚木が、チョコレートを真上に掲げた。私はそれを奪おうと迫り、あなたの最高到達点を目がけ、腰を浮かせて──。

「えっ」

 咄嗟に身を引いた。行き場を失った指の端が縮こまった。柚木は、軽くバンザイしたポーズのままで、きょとんとしている。

「えっと、大丈夫? まっひー」

 大丈夫と、自らに言い聞かせながら頷く。いやだったのは、柚木と密着することじゃあない。体温を感じることじゃあない。

 ただ、届かないかも──と思ったのだ。柚木が、高く掲げたそれを奪い取ろうとしたとき。まだ、ちょっとだけ私の方が高いのに。柚木の成長を実感するのが厭だった。骨張った手、透けて見える血管、日に日に高くなる目線、いつかヘアワックスを覚える黒髪。お姫様のまっさらな身に添加されてゆく余分な情報が厭だった。

 はっとして、柚木が口許を手で覆う。


「ごめんっ、ひーちゃんだったよね」


 あの夕暮れに佇む、赤いランドセルに告ぐ。

 ──まっひーって呼ぶの止めない?

 お前が、あんなことさえ言わなければ。

「──うん、そーだよ」

 そんな約束、いつまでも律儀に守らないでよ。


「このあと、どうする?」

 最後のマカロンを摘まんだところで、柚木が平然とそう訊いてきた。ささやかな抵抗として、半分に割ってやろうかと思ったのだけれど、あまりにも惨い見た目になりそうだったので止めておいた。というか、このあとが──ある? 

「私は、帰りますけど」

「僕も、このまま帰りますけど」

 何故か、お互いですます調になる。柚木の場合は、私のマネをしたに過ぎないのだろうけど。そう、帰る方角同じなのだから。幼馴染なのだから。去年生チョコをくれた人よりも、今年マカロンをくれた人よりも、私はいくらか近いところに居るのだから。

「た、食べてから考える」

「うん、いいよー。あれ? そういえばなんだけど、去年ホワイトデー何お返ししたっけ? こう、ちっちゃいパイみたいな」

「──クッキーだったと思うけど」

 またもマカロンをかじり損ねた私の返答に、クッキーだったかーと呟きながら腕を組む柚木。いや、そのちっちゃいパイみたいなヤツは誰にお返ししたんだよとはあえてもうツッコまない。コイツ、将来絶対浮気とか隠し通せないタイプだろうなと思う。うん、しないタイプだとは言ってやらない。

「じゃあ、また来年つぎだね」

 つぎ──それは明日とか明後日とか、そんな身近な未来を指してはいない。私、まだ学校であんまひーちゃん呼ぶなオーラほとばしってんのかな。こっそりと自嘲。もう、そういう問題じゃあないか。


「うん、また来年つぎ


 だから、今年きょうはもうそろそろおしまい。

 ねぇ、何で去年も今年もチロルチョコだったか、偶数個だったかわかる? 安物のチョコなら、誰か他の女の子とシェアされてもダメージ少ないでしょ。偶数個にしておけば、ああシェアする前提でくれたんだ──ってあなたなら思うでしょ。


 だから、来年つぎもきっとそうだよ。


 きっと、二人でこの場所に居る。

 中学最後のバレンタインだって、絶対今年きょうと変わらない。

 丸いピスタチオカラー。沈んだ夕暮れとやる気を吸い取るこの青空とをぐちゃぐちゃに混ぜたような色──というのは、流石にちょっと強引かな。あの日の空にどこか似ていたアプリコットカラーは、はじめに柚木が食べちゃったからね。

「──甘いの」

「うん」

「好きだよ。甘いの。だって、女子だからね」

 はみ出さないよう、上手に挟めただろうか。そこそこ愛嬌のある感じに、まとめられただろうか。私は、小鳥が啄むようにちいさくちいさくマカロンを齧る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

群青マイルド&ビター 姫乃 只紫 @murasakikohaku75

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ