人の形を失えど消えぬもの

「人間とは何か?」という問いはSFの中で変わることのない一つのテーマであるように思えます。
人とテクノロジーの関係はテクノロジーと相対した人間という存在を描き出します。

「フォボスから花は見えない」はかつて同じ故郷、地球というバックグラウンドを持つであろう、『通商連合』と『皇国』は交戦を続けている世界を背景として描かれる一幕です。

この二つの共同体は異なるイデオロギーを持っています。人間の規定の在り方の違いです。

『通商連合』はより生身であることが人間的であるとされていると思われます。
一方で『皇国』は「魂こそが人である」という国是をもちます。

主人公である「わたし」は『通商連合』の人間です。体の一部を機械に置き換え最適化こそしていますが、自らの生体を維持する要のところは生身のままです。

だからこそ、「わたし」はこう思っているのではないでしょうか。
「わたしたちこそが人間だ」と。

物語は「わたし」が火星の地表に降り立ち、銭湯により撃ち倒され、捨て置かれた皇国の機体から情報を得ようと、侵入を試みます。

『皇国』の機体とは何か?
生身のパイロット(それこそロボットアニメやゲームで描かれるように)が操縦する通商連合とは違い、『皇国』の機体はそれそのものが敵の兵士です。
『皇国』の兵士は肉体を捨て、情報として機体の中に込められています。人が自らの肉体を持ってして機械を動かすのではなく、機械により存在が生かされている、そのような逆転が起きています。
『皇国』の機体は情報に置き換えられた「人間の魂」により駆動する兵器であり、皇国の規定する人間そのものです。

「わたし」がその残された『皇国』の機体にアクセス、侵入します。
それは、名も知れぬある一人の魂に触れるということに他なりません。

そこで描かれるもの、「わたし」が目撃するもの、それははるか昔に失われた光景です。
相対する存在への敵意や憎しみ、自らの日々の悩み以上に皇国の兵士が残そうとしたある一つの美しい光景です。
それは、ある種の人間性の発露と言えるでしょう。

全身が機械となり、機械により生かされる、人間という存在の本質を失われたと思われた存在の、人間性そのものに「わたし」は触れることになります。
本来「わたし」が知ることのなかった光景、想いを知るということ。
その朽ちて消えていく機体に残された、失われ忘れられるはずだったはずの光景は「わたし」を介して世界へと記憶として敷衍されることが物語では示唆されます。

『通商連合』からすれば人間ではない存在を起点に敷衍される光景とはなんでしょう? テクノロジーにより得ることの出来なかった過去の記録、過去の美しさを知るということは何を意味するのでしょう?
それは過去への憧憬や息づいた情動を体をほぼ全て機械に置き換えた皇国の兵士が持ち、生身の肉体を持ちながらそうした光景をもたぬ「わたし」を始めとした通商連合の人々への「人間とは何か?」という問いではないでしょうか。

それは人という存在の規定への問いであり、もしかすると『通商連合』と『皇国』の和解の糸口かもしれません。
通商連合と異なる人間の規定を持った機械の肉体でありながら、情動に満ちた光景が残るということ、その光景を人々が地球時代の象徴と残すことは異なる共同体に一筋の和解の道筋たり得るかもしれません。

ですが「フォボスから花は見えない」はその先の答えまでは描きません。
壮大な世界・物語の一幕でありながら、奥行きを感じさせる描写と残された一人の想いにより「わたし」が運命的な記憶を得る刹那が描かれます。

王道的なテーマ、「わたし」が残された誰かの想いを受け継ぐという関わり、奥行きのある世界。
様々な要素の込められた広大な世界の一幕を切り取った非常に秀逸な短編です。

ぜひ、ご一読ください。

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