ある時、些細なことから主人公が異界へ足を踏み入れる、そんな物語があります。
それは純文学からエンターテインメントまで様々な作品で使用されたある種の『王道』と言える骨子でしょう。
『唇と雪灯籠』はその王道である『異界へ足を踏み入れ話』でありながらも、小説という媒体であるが故の文章表現により、独自の世界であるその『異界』という存在自体を描いた作品といえます。
ある夜に予定よりも早く目覚めてしまった凜は自らの住む場所ではない〈細雪の市〉へと辿り着きます。
そこは異界であり、そこから自らの住む場所へ戻る際に白魔という雪の怪物に家族を襲われてしまいます。
そして家族を元に戻すために凜は神々や精霊のために立つ〈細雪の市〉で冒険をするようになります。
そこで出会うのは白唇の雪那、白狼丸といった〈細雪の市〉に住む存在や凜と同じ世界から訪れ留まり続けている篝などがいます。そして凜の家族を窮地に追いやっている白魔。
彼らはそれぞれがそれぞれの想い、信念をもつが故に、凍った時の中で生きています。
そこに新たに、〈細雪の市〉から見た異界の住人である凜が訪れた時に何が起こるか?
それは、変化といえるでしょう。彼らと凜が関わり合い、それぞれの姿に変化が生じます。
しかし『唇と雪灯籠』の変化はただ無遠慮に一方的な成長を迫る、「凜の価値観がより正しい」「〈細雪の市〉に住む存在の価値観が正しい」といったものではありません。
ただ、凜の生きる様を見て、関わり、そして凜もまた彼らと関わることで自らの想いを再定義していきます。
自分がどうしたかったのか?どうありたかったのか?
各々がそう想いを新たにすることで膠着状態であった世界は進み出します。
そして物語はやがて、寒々しく、悲しさ描かれていた〈細雪の市〉の白い、凍った世界がゆるやかに溶け出して絡み合った糸を解いていきます。
異界を描く、ということ。それはその世界の存在に敬意を表することであるように思われます。自らの住む世界とはまた違う規範、法則によって紡がれた世界を描くということ。
その世界の在り方を否定するのでなく、ただその世界に存在する美しさこそ肯定する。
この物語は最初に印象的な幻想的な文章表現だけでなく、その物語でもまた異界の存在を描いていると言えます。
幻想的であり、表層的に冷たく描かれたこの『唇と雪灯籠』。
その物語が真に描くのは温かい想いに満ちた、凜と異界の住民の刹那でありながら、永遠に忘れられることのない交流なのです。
人ならざる者たちが集う、不可思議な市とそこに迷い込んだ少女を題材とするジャパネスク・ファンタジー。
雪と氷と山をイメージして書かれたという作品ながら、氷結した家族を救うべく幼い少女が奔走するさまはハラハラドキドキ。え、この状況どうすんの? とついつい主人公・凜を心配してしまう。
そして、なんの力もない少女が、みずからの思いだけを頼りに、知り合った人ならざる者たちすべての力を借りて、ひとかどの優しさを持ちながら厳しくも圧倒的な存在に人の理を示してみせる。
結末は、まさに大団円。
雪と氷と吹きすさぶ風といった、冷たい世界の出来事ながら春のうららかさを思わせる暖かな読後感がある。
ただ、読み終わった後に、少女が迷い込んだ幻想的な市には、もう二度と立ち寄ることが無いという事実をふと寂しく思う。人と人ならざる者たちが生きる時間軸はあまりにも違い、永遠の別れといった寂寥感を感じさせるのは、この作品が百合故なのだろう。