フォボスから花は見えない
うぉーけん
青い夕焼け、赤い大地
最初に見えたのは、一面の瑠璃色だった。視界のすべてを覆うそれは、見慣れた青い夕焼けとも違う。自然のカオスが生み出した、複雑で偶然でそれでいて完成された鮮烈な色合いだ。
一瞬のうちにぜんぶが泡のように弾けて消えて、ブロックノイズに覆われて。またたけば、イオンスラスターのバイオレットが日が暮れた青い空を埋め尽くす。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
びょうびょうとした風が鳴いている。
ウィンドウを非表示に。クリアになった視界の先にある目的物は、赤茶けた大地に片膝を付き擱座していた。
遮るもののない紫外線にさらされている機体に、わたしは近寄った。
青い夕焼けに照らされた鋼鉄の巨人は、胸部に大きく風穴が空き、熱と衝撃に耐えかね歪んだ人型となっている。通商連合に所属するオードナンスのレールガンはあらゆる装甲を穿つ。エアロゾル化した装甲がまだ周囲に漂っているように思えて、わたしは思わず強化服のフィルターが正常に稼働しているか確認してしまった。
なにしろわたしの呼吸器は、まだ生身なのだ。
脳裏に閃いた不安感がニューロリンクに変換され、後方に控える愛機ハーヴァマールが答えた。搭載されたAIは、わたしそのものでもある強化服のすべての機能が、正常に動作していることを保証する。
わたしはスメクタイトの大地を踏みしめ、強化服の力を借りて跳躍する。耳元で唸っていた風が勢いをます。まるで擱座した機体へ取り付くのを拒んでいるようだ。
愛機のサーモセンサと同調している視覚は虹色の輝きとなって網膜を覆う。静止している機体は、すでにジェネレータが停止し、被弾の熱量をも霧散していることを伝えている。バックアップ用の内蔵電池だけが、止まりかけの鼓動のように稼働しているだけだ。
わたしは危なげない動作で捲れ上がった装甲に着地した。破孔部から皇国の機体内部を覗き込む。焼け焦げ爛れた金属のなかには、すでにオペレーターの姿はなかった。
わたしは視線を上げた。機体のカメラ・アイを見つめる。高速飛翔する砲弾すら捉えるという動体分解能に優れた複眼型カメラは機能を停止し、虚ろな陰を投げかけるばかりだ。
周辺状況をリアルタイムでオペレーターに知らせるライダーセンサ・システムも作動しておらず、皇国の機体と相対したときに感じる全身がひりつくような感覚もなかった。
オペレーターは砲弾直撃により四散し、機体は死んでいる。
いや、それとも。最初からオペレーターなど存在しなかったのかもしれない。
わたしは強化服の首筋から、有線接続のためのコードを引き出した。いまだ原型を留めているジャックを探し出し、半身を乗り出すとコネクタを差し込んだ。
わたしが所属する第十三情報中隊は、皇国と交戦した装甲傭兵旅団の要請を受けた。中隊は撃破された皇国の機体から、ひょっとすると有用な情報が引き出せるかもしれないと考えた。
だから、わたしをこの場に派遣したのだ。
機体に残されているはずの情報を得るため、わたしは沈黙しているストレージを外部から強制起動する。
その瞬間、視界が青白く爆ぜた。
〈警告。システム内への逆侵入を検知。
冷たい手の群れが、わたしの全身を逆撫でする。心に直接触れられた錯覚がする。わたしという存在が酷寒にいざなわれて、肉体から乖離していく。
まずい。機密情報を守るため、皇国は機体に電子的な罠を残していたらしい。
魂が、強引に肉体から引き剥がされていく。脳が焼き切れる。このままでは廃人になる。
途端に光り輝く一線が、手たちを蒸発させた。攻撃の痕跡すらなく、手たちは消え去った。
わたしは激しくふらついたが、倒れることはなかった。
今の攻撃は現実の光景ではない。手の群れと同様に、拡張現実に出現した実体のない一撃だ。電子戦に特化した愛機、ハーヴァマールからの援護。ハーヴァマールが、わたしの機械脳に入り込んだ悪質な電子情報を消去してくれた。
ハーヴァマールは両腕そのものであるガスト式機関砲以外に武装を持たず、逆関節特有の構造的脆弱さもあいまって戦闘面ではからきし弱いが、電子領域においては皇国にも通商連合にも並ぶもののいない傑作機だった。
わたしは頭をふる。情報中隊のオペレーターのなかでは希少なことに、脳の大部分が生身であるわたしは、それで思考が明晰になった。
少なくとも、その気にはなれた。
改めて擱座した機体への情報収集を再開する。強制起動したストレージに侵入を試みる。胸部の融合炉に直撃を受け、ほとんどの電源が落ちメインシステムが停止している機体の抵抗は弱々しかった。
ハーヴァマールから演算処理の支援を受けているわたしは、苦もなくそれらを握りつぶしていった。
ストレージにはたいしたデータは残されていなかった。期待ハズレだ。被弾の衝撃を物語るように、大部分のデータが意味をなさないノイズとなって漂っているばかりだったのだ。
断片だらけの戦闘記録を繋ぎ合わせれば、機体は砲撃された瞬間、オペレーターの人格データをバックアップしようと試みたようだ。
だが間に合わなかった。破局は瞬間的に訪れたのだ。
今や彼女という存在は千々に裂かれ、何者であったかも窺い知れない。
わたしは息を呑んだ。
なぜわたしは、この機体のオペレーターを彼女だと知っている。
眼前で閃光がまたたき、現実に広がっている火星の景色が一変する。
鮮烈な瑠璃色。自然が織り成す歴史と混沌のみがなしえる色合い。わたしが立っているのは小高い丘だった。足元には、テラフォーミングされた火星ではひと財産であるはずの花々が乱れ咲きをしている。
目の前の視界がぐるりとまわる。両手が空へと突き出される。華奢で白く血管が薄く浮いた生身の肌。
それは、金属の外骨格を持つわたしの腕ではなかった。
両手は白い雲をつかもうと伸ばされる。指先の向こう側にある空は、地上の花々を反射したような色だ。蒼穹の輝き。火星の大気とは違う、レイリー散乱の織り成す空。
視界がまた巡り、フォーカスする。丘の麓から、若い男女が仲むつましく登ってくる。男女は夫婦であるようで、丘の頂上に立つわたしに優しく声をかける。
まわりには、瑠璃色の花々が咲いている。
すべてがブロックノイズに覆われて、見慣れた青い夕焼けへと変貌する。
わたしは空にいる。青い夕焼けの空にいる。眼下に見えるのは赤茶けた火星の大地。そこは、衛星軌道上から大量の質量兵器が降り注いだ痕跡を示すクレーターだらけだ。わたしの周囲では、イオンスラスターが灯す人造の輝きが舞っている。
推進剤が燃焼する光は、花々よりもずっとずっと儚げだ。
流星のように降り注ぐ無数の人型兵器のなか、そのひとつにわたしはいた。
皇国の軍事要塞である火星衛星フォボスから空挺降下するわたし目掛けて、地上から迎撃のための火線があがる。激しい事前爆撃にもかかわらず、対空火器の多くが生き残っている。炎が花開く。数え切れないほどの僚機が爆散し、青い夕焼けを赤黒く焼き染める。
また景色が一変した。
激しい水飛沫があがる。蒼海と呼ぶにはあまりに狭い。火星の人造湖、ビリャヌエバ湾をわたしは走破する。巻き上げられた海水が、ジェネレーターの熱量により白熱した装甲に触れるはしから蒸発する。白い霧をよろい、わたしは海上を滑るように疾駆する。
軍港で待ち受ける共和派艦隊が放つレーザーCIWSの奔流を、漂う蒸気で拡散減衰しつつ突撃。
迎撃を潜り抜けたわたしは蒸痕だらけの機体を肉薄させる。手近な巡洋艦目掛けて斬艦型
わたしの心はずっと静謐だった。
わたしはとうの昔に生身の体を無くし、ただのマシンの一部として機体に寄生しているに過ぎなかった。卑小な
脳内物質の分泌に左右されることなく、恐怖も猛りも高揚もなく、ただただ戦場を駆け抜ける。
なだれ込む記憶の残滓に、わたしは今度こそ片膝をついた。右手にはコネクタ。なかば無意識で、引き千切るようにコードを抜いていた。擱座した機体から落下しなかったのは、ひとえに運が良かったにすぎない。
彼女は。
この機体の姿なきオペレーターは常に激戦区に投入されてきた。最前線に身を置き、生き延び、そして誰もがよくあるように、被弾し、撃墜され、ついには最期を迎えたのだ。
わたしは生身の呼吸器を喘がせ、尋ねた。
「ハーヴァマール、今の映像は?」
〈当該機体が電子化したオペレーターの記憶です〉
「そうじゃない、最初の光景。あの一面に咲き乱れていた花はなに? 検索して」
〈
わたしは、いまやわたしにとってもあまりにも鮮やかな記憶となったあの光景について、記憶を共有するハーヴァマールに問いただしていた。
火星生まれのわたしは、あまりにも植物とは縁遠い。遠くのガラス張りのドームで、そこらの人間よりも大切に育成される遠い存在。
それが火星の花だ。動画や静止画といったデータで受け取ったことはあるが、一度も本物を見たことがない。
〈データバンクと照合。咲き乱れていた植物は、ネモフィラの花です〉
「ネモフィラ?」
〈瑠璃唐草。ムラサキ科ネモフィラ属に分類される花の総称〉
「それはわかった。あの光景は、火星のものなの?」
〈
わたしは嘆息する。火星のレゴリスにはジャロサイトが多量に含まれている。ジャロサイトは強酸性条件下で生成されるので、火星の天体表面を覆う堆積物はすなわち激しい酸性だ。
ネモフィラという花は火星では咲かない。厳密に管理された空間ならばともかく、あんなふうに無限を思わせて咲き乱れはしないだろう。
「なら、あの光景は。地球時代のものか」
〈
「少なくとも、百三十年は前の映像……」
地球。
今では皇国軍旗に描かれる、象徴的意味合いしかない。かつて数多の生物を育んだ豊かな青い星は、今では無色透明な惑星だ。磁力兵器により自転が停止し、全球凍結をおこしたあの星は、いまでは死という概念すら忘れ去られ虚無が広がっている。
ならば、この機体のオペレーターは。もはや失われて久しいはずの、地球出身者ということか。
彼女は兵士だった。それは間違いがない。
だから、幾度も繰り返してきたのだ。
身体が限界を迎え、朽ちるたびに自らを機械に置き換えた。そうして脳のタンパク質構造が寿命を迎え、ばらばらになり、人間という存在の本質が失われてなお、精神をデジタルに置き換え生き延びてきた。
通商連合とは相反することに、「魂こそが人である」というのは皇国の国是ではある。
だが、なんのために彼女は咲き乱れる花々をわたしに見せた?
「ハーヴァマール、わたしという存在に異常はあるか? 皇国の機体との接続により、電子的に汚染された可能性は?」
〈弊機には異常を検知できません。あなたという存在は連続した事象としてそこに立ち、脳波の停止は記録されず、片時も揺らいでいません〉
ハーヴァマールの答えに、わたしは頷いた。
そうだ。たしかにわたしという存在は変わりがない。記憶は記憶でしかなく、人間という肉体の持つ普遍性を変えはしない。
だが、この機体のオペレーター。彼女が自分という人格すら消失するなか、あえて機体に残したのがあの光景だった。それがまったくの偶然とは思えなかった。
彼女は自身の人格が失われるなか、なによりもあの花々の姿を残すことを優先したのではないだろうか。
鮮烈な瑠璃色。半端な結果に終わったテラフォーミングされた火星の青い夕焼けとは違う、地球という自然が生み出した花々。
あの色合いは、わたしという存在に染み付き、もはや不可分なのだ。わたしの記憶がハーヴァマールにバックアップされ、中隊から旅団に報告され、そして通商連合へ、同盟相手である共和派へ、世界へと敷衍される。
色褪せることのないデータは、ひょっとするならば永遠に電子情報として人々の間を漂うことになる。
あの美しい瑠璃の花たちは、いつしか懐かしい地球時代の象徴となるのだろう。
彼女とわたしの出会いとともに。
フォボスから花は見えない うぉーけん @war-ken
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