燃えろ截剣道! これぞ新しい武と剣へ至る道!?

 マーシャルアーツ、とりわけ東洋の中でも中国に根付いた武術は、その流派特有の拳法や掌法とは別に武器術を伝えているというのが通例である。

 だが、ジークンドーはどうかと言えば、武器術がない。ジークンドーは自ら武器を携帯する事を想定していないからだ。例外はと言えば、戦う場所に元々から置いてある物、あるいは相手が帯びている武器を奪い取った時のみ、それを使って戦うとされている。
 ジークンドーは、他のマーシャルアーツと違って、現代のストリートファイトによってブルース=リーが培った経験を元に誕生したものだからだろう。
 力一つで我が身を立てられた乱世の時代と違って、まさかこの現代に、刀や槍を帯びて街を歩くわけにもいかない。
 そもそもジークンドーは人を殺めるため、人を傷付けるためのアーツではなく、格闘を通して自分自身を表現するためのアートだと、ブルース=リーは言っている。

 さて、前置きが長くなったが、この作品は武器術のないジークンドーと、当然ながら帯剣を前提とした剣道とを融合させている。
 作品の主人公、華の女子高生にして剣道家である李桃は、恐怖すら覚える程の苛烈な剣の遣い手へ対抗するため、敵の攻めを截って攻勢へと転ずる事を旨とした武術、ジークンドーと剣道を融合させる事を思い付くのだ。
 伝統を何より重んじる剣道家は、決して良い顔をしないだろう。では、ブルース=リーはどうだろう。彼ならおそらく、興味を惹かれるはずだ。
 フェンシングの素早い突き技に眼を留めて、その優れた術理をも取り入れた彼の事である。自分の編み上げたジークンドーを剣に取り入れようとする試みを、蔑ろにするとは思えない。

 それにブルースは優れた格闘家だったと同時に、哲学者でもあった。彼が遺した言葉を聞けば、彼の深い思想、そしてその肉体以上に強靭な精神力を窺い知る事ができるだろう。
 剣道の理念として掲げられている『剣の理法の修練による人間形成の道』という思想と、ジークンドーの思想とは、共通するところがある。
 
 ジークンドーの事ばかりつらつらと語ったが、この作品自体も大変魅力ある小説だ。
 剣道や武術的動作の描写には、作者の深い知見と理解が垣間見える。それに端々に登場する山形県のローカルネタには、強い地元愛が感じられる。
 作品を彩るキャラクター達は、一癖も二癖もあり、コミカルな面も多々見られ、エンターテイメントに富んでいる。
 
 山形県民や、異色な剣道でも許容できる剣道家、武術に興味のある方や、女子高生が汗水流して努力する作品を好む方はどうか一つ、この作品を手に取ってみて欲しい。