サムライガールズ・レボリューション!

雨愁軒経

第一章 部の再建と武の融合

〈1〉入学


流儀のせいで人々は分裂した。流儀が唯一無二の法になり、団結心を失っている。

創始者たちは試行錯誤で始めたのに、今では規格化されてしまい、誰もが同じにでき上がる。

まるで製品だ。

個々の人格や特色、体格なんかどうでもいい。全く無視。規格に合えばいいのさ。

私はそれが嫌だ。

  ――『燃えよドラゴン』インタビューより、ブルース・リー氏




 * * * * * *




 高校生活初日の村山むらやま李桃すももは、まるでデートに臨む乙女のようだった。めいっぱい首を長くして待ったのだ。チャイムが鳴るが早いか、日直の号令へ食い気味に起立する。


 そわそわしながらも、担任教師への真摯な礼はきっちり三十度。


 ぱっと身を翻すと、自分の口元をだらけさせた笑顔に、二人のクラスメイトから、小さな悲鳴を上げられてしまう。

 彼女たちは双子だった。二卵性ということで顔はあまり似ていないが、席替えのくじで隣同士の席を引き当てていた仲良しっぷりが記憶に新しい。



「わわ、ごめんねっ」



 顔の前で両手を合わせながらも足は止めない。李桃は左足の絶妙なコントロールで双子の間をすり抜け、体転換振り返ると同時に、今度は右足を後ろ向きに蹴った。

 苦笑しながらも「またね」と手を振ってくれる姉妹に、ぶんぶんと手を振り返して踵を返す。


 教室の後方には、掃除用具入れの隣にクローゼットがある。雨天時や夏の物干しができる他、雪国である山形県では冬も大活躍する、オールシーズンで頼もしい存在だ。李桃はそこに置かせてもらっていた竹刀袋と防具袋をいそいそと担ぎ上げる。見慣れぬ物が鎮座していることでクラスメイトから怒涛の質問攻撃を受けたりもしたが、それも今日一日だけのこと。

 だって明日からはちゃんと、あるべき場所に置かれるのだから。


 丹田から息を吐く。鼻の穴をむふーと膨らませる様は、我ながら、仮にも華の女子高生の身としてどうかとは思う。けれど、この胸の高鳴りを前に、そんなことはどうでも良かった。


 我先にと教室を出て行ったやんちゃな男子グループに続いて飛び出し、氷上を滑る舞姫のように彼らを颯爽と追い越していく。しかし、勢いに乗ったまま角を曲がったのはミスだった。

 あわや女子生徒と衝突しそうになり、急ブレーキ。やや遅れて襲いくる慣性の力は、後方へと小さく右足を蹴っての送り足で相殺。内履きの底ゴムでキュッと床を鳴らした足が、自然と剣道の基本の位置に落ち着いているのはご愛嬌だ。


 わ、となんとも薄いリアクションをくれた女子生徒のリボンのラインは赤。


 山形県は天童市に建つ伊氏波いでは高校では、男子ならネクタイ、女子はリボンの色で学年を判別できる。どちらも濃い青を基調としており、そこに学年ごとの色でストライプが入る。卒業生の色が翌年度の一年生の色となる。今年は一年が水色、三年生が緑だ。つまり彼女は、二年生。



「す、すみません!」



 可愛らしく頭の横で髪を結んだ、自分よりも一回り小さな先輩に頭を下げて走り出す。


 下足箱に滑り込み、内履きを自分の棚に放り込んだ。学校指定の外履きにはまだ慣れておらず、一発で足を通すことに失敗する。スキップをするように履き整えながら昇降口を抜けると、気持ちのいい青空の下は、おそらく上級生と思われる生徒たちでごった返していた。



「野球部に入りませんか!」


「いやいや青春ならバスケっしょ!」


「陸上だって負けないわよ、目指せ箱根!」


「球技はダメだ、時代はスケートだろ!」



 一年生がロングホームルームをしている間から準備していたのだろう。この日のために新調したのかクリーニングしたのかは判らないが、日光にきらめくユニフォームが眩しい。声は溌剌、表情も爽やか。しかし虎視眈々と新入生を狙う眼だけは、飢えた獣のようだ。

 群れの向こう側では、舞鶴山を背景に、各部のデモンストレーションが展開されている。校門から伸びた外壁に沿う桜の木は、いずれもまだ蕾。近年は雪の降りはじめが遅く、ずれ込むせいか寒気もなかなか明けないため、四月に入った程度では桜前線はまだ冬眠中らしい。


 桜の花弁の代わりにあらん限りの声を飛び交わせ、新人という春を求める熱気。そんな蟻の這い出る隙もない光景に李桃が立ち往生していると、隣を不用心に通り過ぎた男子生徒が、瞬く間に押し寄せた入部届けの波に飲み込まれた。



「うっひゃぁ……」



 春の陽気とはいえ涼しいくらいの中で、五臓六腑が体温調節機能を放棄する。やがてあごから零れ落ちた冷や汗を目ざとく捉えた狩人たちは、弾かれたようにこちらへと目を剥いた。



「「「君もうちの部に入らない!?」」」


「ええと、そのぉ……ここ、この竹刀袋が目に入りませぬかっ!?」


 顔を背けながら突き出した細長い茶色の布袋に、狩人たちの勢いがわずかに削がれてくれる。


 しかし安堵も束の間、不意に飛来してきたサッカーボールによって、李桃の手から頼みの綱が弾き落とされてしまった。三振りの竹刀が収納された重みで、足下のタイルが鈍く呻く。

 その音を皮切りに、入部届の用紙たちが威勢を取り戻した。



「大丈夫、兼任でいいからさ!」


「マネージャーとしてでもオッケーよ!」


「天文部の活動は深夜だしね!」


「こんな美少女の裸婦デッサン……腕が鳴るわ!」



 いつの間に背後へ忍び寄っていた文化部に退路を断たれ、李桃はあわあわと目を白黒させた。


 このままでは埒が明かない。意を決した彼女は肩に回した防具袋の持ち手を引き付け、片膝をついて竹刀袋を拾うと、腰を落とした姿勢のまま駆け出した。


 はじめ走るような歩み足は、徐々に送り足へと安定していく。ジグザグに縫うような動きだけでは避けきれないルートは斜め前方への開き足でカバー。急激な重心移動をしても勢いを殺さぬよう継ぎ足からの踏み込みで、入部届を掲げる腕たちのアーチを掻い潜る。

 これだけの動きをしても頭の位置が上下しない流麗な足捌きに、気圧された上級生たちの列が割れていく。


 部員勧誘の海を渡りきったモーセは、最後に上級生たちへと振り返り、



「失礼します!」



 一礼を残して、校舎の裏手へと続く渡り廊下の切れ目へと飛び込んだ。

 渡り廊下を横切ると、そこにも蕾の桜が立ち並んでいた。中庭と呼んでも差し支えはないだろうか。申し訳程度に舗装された道の先では、校舎の反対端に連結した体育館が見える。

 目的地は、この通りにある。比較的新しい校舎や体育館の中で、厳かな異彩を放つ木造建築。


 ――武道場だ。


 李桃は、入口の扉に手をかけただけで気が引き締まるのを感じた。まだ下足箱のスペースを挟んでもう一つ引き戸が待ち構えているというのに。もうじれったい。勢いよく扉を開け放って飛び込んでしまいたい。そんな逸る気持ちを抑え、丁寧に靴を脱いだ。トクトクと駆け足をはじめた心臓を黙らせるように、深呼吸しながら靴下に指をかける。

 脱いだ靴下は折りたたんでブレザーのポケットへ。靴を棚に入れようとしたところで、そこに先客のものらしき二足が並んでいるのが目に入った。鼓動がトップスピードに乗る。


 そっと内戸をずらして、すぐに視線を宙に向ける。壁にある神棚を探すためだ。

 中学校や高校においても、体育館とは別に武道場が設けてあれば必ずと言っていいほど存在し、道場に足を踏み入れる者は誰しもが、入口で立ち止まり、敬虔な礼をする。

 一に、これから使わせていただく道場に。二に、精神修養を見守ってくださる神々や先師たちに。すでに道場に師範が来ていれば、ここで師にも挨拶をすることがある。稽古を終えて帰る時もまた然りで、『礼に始まり礼に終わる』という教えは、既に始まっているのだ。

 李桃は一度防具袋を下ろし、神前に拝礼する。顔を上げたところで、はっと息を呑んだ。


 聖域に踏み込んだからではない。頭の中にまで急き立ててきた心拍の波がさっと引いたのは、今時珍しく檜で張られた床板の中央に座す、黒髪の少女を見たからだ。

 剣道の道着よりも幾分か黒い衣服に身を包み、左腰には刀が差してある。研ぎ澄まされた空気の中で正面を見つめる凛とした瞳には、見た目の年齢以上の輝きがある。


 静かに刀へと手をかけた少女の親指が、鯉口を切った、刹那。浮かせた腰とともに右足が摺り足で立ち上がったかと思うと、ぐっと水平に引きつけた鞘の中から、いつしか刀が横一文字に抜かれていた。

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