きみの嘘、僕の恋心

野森ちえこ

恋心を育てるもの

 きみの嘘は、たくさんの人を魅了した。


 いや、ちがうな。

 そうじゃない。


 きみは、嘘をほんとうにしてしまう。


 きみの嘘は、いつだって本気で、いつだって本物なのだ。



 ◇



 ある劇団の門をきみが叩いたのは、高校を卒業してすぐのことだったな。中学生のころから演劇の魅力にとりつかれていたきみは、猛反対するご両親に『五年やって結果が出なければ、きっぱりあきらめる』と約束して、どうにか認めてもらったのだといっていた。


 じわりじわりと着実に近づいてくるタイムリミット。そのときまであと二年――というとき、きみはおおきなチャンスをつかんだ。


 あのときは驚いたよ。


 きみが夢を叶えるためにどれほど努力していたのかは知っていたし、応援だってしていたけど、まさか次々と傑作を世に送りだしている映画監督の新作で、ヒロインの座をいとめるなんて。


 ほんとうに驚いた。


 驚いて、信じられなくて、自分のことみたいにうれしかった。

 それはほんとうなんだ。


 だけど――


 なんていえばいいんだろうな。


 僕の胸のなかに、ドロっとした――なにか、気持ちの悪いなにかがわきだしてしまったんだ。それまでは『気のせい』でごまかせるくらいちいさかった不快感が、たしかなカタチを持ってあふれだしてしまった。



 ◇



 映画デビューしてまもないころ。きみはテレビのインタビューで『高校生のときからつきあっている人がいる』と、さらっとカミングアウトしたよな。事務所の人たちは苦い顔をしていたようだけど、結果的にはこれがプラスに働いた。


 隠そうとすれば、暴こうとする人が出てくるかもしれない。そして、恋人なんていない――とこたえておいて、それが嘘だったとバレたらどうなるか。すくなくとも自分がファンの立場だったらいい気持ちはしない。そんなきみの主張を好意的に受けとってくれる人が多かった。


 それはきみの意思表示であり、自分が有名になったせいで僕がイヤな思いをしないようにという配慮でもあった。そうやって、きみが僕たちふたりのためにあれこれ力をつくしてくれていたことを、僕はちゃんと知っている。


 そう、知っているのだ。

 それなのに、僕ときたら――


 きみの成功が妬ましいとか、そういうことじゃないんだ。


 お芝居のことはよくわからないけど、演じているきみは、きみであってきみではないのだろうと思う。舞台のうえで、カメラのまえで、新米刑事になったり、悩めるOLになったり、きみはきみじゃない誰かになっている。


 それは所詮つくりものであるはずだ。

 ただの演技だ。


 そう思っても、僕の心はざわざわと騒ぎだす。


 きみ自身がいっていた。つくりものの世界だけど、そこにこめる感情は本物なんだよ――と。


 ――号泣しながら『今夜なにたべよう』とか考えてるって人もいるけどね。あたしはそんなに器用じゃないから。


 自分の持っている感情をひろげて、ふくらませて、深めて、表現する。


 きみが演じている人物が恋をすれば、きみもまた恋をする。僕じゃない相手に、きみはたしかに恋をするのだ。


 僕には、それがたえられなかった。


 きみが演じている、きみじゃないはずの誰かを観るたび、僕の恋心は、ドロリとした黒いものに内側から壊されていった。そのうちぷすぷすと空気が抜けて、ひらひらと風にさらわれてしまう。僕はそのつど、あわてて追いかけて、どうにかつかまえて穴をふさいで、きれいな空気をいれなおすんだ。


 でも、そんなことをくり返していたら、きっとそう遠くない未来、僕たちはダメになってしまう。


 だから――


 僕は観ないことにした。


 舞台も、ドラマも、映画も。

 きみが出ている作品を、僕は観ない。

 観ないことで、僕はきみを応援する。

 観ないことが、僕の精一杯の応援だ。


 きみにそう伝えるのは勇気がいった。


 僕にとっては、これからも一緒にいたいからこその決断で、けっしてきみの夢を否定しているわけではないのだけど、そう受けとられてしまっても不思議ではないと思ったから。


 幻滅されるのではないか。

 かなしませてしまうのではないか。


 フラれてしまうのではないか。


 怖くて怖くて――高校時代、きみに告白したときも魂抜けそうだったけれど、そのときよりもずっと緊張した。


 そうして、いざ勇気をふりしぼって伝えてみれば、きみはきょとんと目をまたたかせて、それから盛大に笑いだしたんだ。そうかと思ったら、今度はぽろぽろと涙をこぼして――きみは、からから笑いながら泣いていた。


 きみはきみで、僕の態度から別れ話をされるのではないかと不安だったんだな。


 僕に観てもらえないのはすこし残念だけど、それよりも、ふたりの『これから』を考えてくれたことがうれしいと、きみはきみのままの笑顔で納得してくれた。実際、相手役への嫉妬から別れてしまうカップルはすくなくないのだという。


 なんだ。役者の恋人を持った人間あるあるだったのか――と、ちょっとホッとして、僕もすこし笑ってしまった。



 ◇



 あれから二年がすぎて、若手実力派女優といわれるようになったきみは、ドラマに映画にひっぱりだこだ。


 もう、かれこれ一か月近くまともに会えていない。だから――だろうか。コマーシャルでちょっときみの顔を見ただけで、うっかり感傷的な気持ちになってしまったのは。


 今日は二月十四日。世間はバレンタインだった。それもあと、数分でおわりだ。


 ほんとうは今日、仕事がおわったらうちにくるといっていたのだけど、思いのほか撮影が長びいているらしい。スマホにメッセージが届いたのは二時間ほどまえだが――この時間では、さすがにもうこないだろう。


 これはやっぱり……すこしくらい感傷的になってもいいような気がする。


 そう思った瞬間、玄関のチャイムが鳴った。



 ◇



結希ゆき――」


 ドアのまえに立っていた彼女は、ぜぇぜぇと息を切らせていた。走ってきたからか、つややかなセミロングの髪は乱れ、頬と鼻先はくっきり赤い。挨拶のひとつもないまま、結希は空色の包装紙とピンクのリボンでかわいらしくラッピングされたちいさな箱を、僕の胸にぐいっと押しつけた。


「ま、まに、あった……?」

「ギリギリセーフ、かな」

「よ、よかったぁ……」


 これほど気の抜けた、結希の素の笑顔が見られるのは、もしかしたら世界中で僕だけなんじゃないだろうか。


「こんなときに、スマホのバッテリー、切れちゃって」


 彼女はつくりものの世界に本物をこめる。そんな結希の演技うそに、僕の恋心はかつて、何度となくぷすんとしぼんでは風に飛ばされていた。それも今はすこし懐かしい。


「でも、どうしても、直接渡したかったから」


 この二年。無防備にふやけた彼女の笑顔が、僕の恋心をむくむくと育てている。



     (おわり)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きみの嘘、僕の恋心 野森ちえこ @nono_chie

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ