この結末を物悲しいと捉えるなら、きっと世俗にいくらか満足し、現実と折り合いをつけて生きていられるという証拠だろう。それが悪いのではない。己を人間と自覚するからにはそう生きざるを得ないからだ。でもその心にふと空洞が空くとき、この物語はその隙間にするりと入り込んでしまう。
美しい文体で描かれた儚く脆いその姿につい意識を取られてしまうけれど、少年(のかたちをした薔薇)の熱は希死概念ではなく、希生概念だ。
土に還りたい。正しい姿で生まれ変わりたい、と。
しかし現実の物差しには当てはまらない。
理解されがたい希みは、病室の中に閉じ込められてしまう。
救いはこの物語の本当の主人公である青年が握っている。結末を目にすると、二人の出会いは必然であったとすら思える。
各話とも短くまとめられているものの、さらりと読み流すわけにはいかない凝縮した言葉が並んでいる。最後に感じるのは誰にも手が届かないふたりだけの恍惚である。
現実と現実のあいだ、ほんのいっときだけ、濃密な命の存在を感じてみてはいかがだろうか。
どこまでも醇乎たる少年の、一縷の望み。
それは優しく綺麗だが、現実と両立するには余りにも酷なもの。
……でも。そこまで残酷で苦しいのは、何故だろうか。清廉な彼の心のせい? あるいは彼を取り巻く現実のせい? それとも……
そんな少年と邂逅するのは、東洋医学の一端を志す青年。
一度は分かたれるも、運命の悪戯か二人は病院で再会する。
心の拠り所を見つけた彼らが、現実を見つめ辿り着いた場所は……
非常に静謐で、闇色を纏う物語を、詩的で美麗な表現が読み手を引き込んでいきます。
闇色を透明に描くと、より克明な闇と、その奥に瞬く小さな輝きの両方が見えるんだなぁと、感慨深く思いました。
是非一度、読んでみてください。
図書館の暗がりの中で、少年と青年は出会った。青年は少年に、「金色の薔薇を知らないか」と問われたので、薔薇の図鑑で示した。少年は、この薔薇から自分が生まれたと信じていた。
青年は東洋医学を学んでいたが、肺炎のために入院すこととなる。青年の病室の隣は、あの少年が入院する病室だった。人形のような少年は、どこに金色の薔薇が咲いているかと問う。だから青年は、少年に御伽噺を語った。二人は病室を抜け出して、売店に行ったり、担当医の目を盗んで密会したりする。
そんな中、青年は回復し、少年に何も告げないまま病院を去る。そうして東洋医学の道に進んだ青年だったが、少年のことを思い出す。しかし……。
深海の中にいて、呼吸をするような感覚になる一作でした。
少年の美貌と危うさが、美しくも退廃的に表現されています。
詩的でありながら、本質を突くような言葉がちりばめられ、
読者の胸に迫ります。
是非、御一読下さい。