6.12月23日 夜

 美咲は立ち止まると、不意にリュックの中身へと声をかける。


「サー君、お願いがあるの」

『どうした?』

「今から、私がいいって言うまで喋らないで」


 一方的な要求である。

 サタンクロスは訝しみ、疑問を口にしようとし……その前にドアの開く音がした。


「遅かったじゃないか。心配したんだぞ? どこに行っていたんだ?」


 聞き慣れない声が響く。


「……」


 美咲は答えない。

 代わりに暗闇の向こう……リュック越しの少女の背中から、微かな振動がサタンクロスへ伝わる。


(……? 震えて?)


「どうしたんだい? 黙っていたら分からないだろう?」


 低めの落ち着いた男の声だ。彼女を気遣う優しい声音である。


(緊張……? いや、これは)


「……美咲。パパは心配なんだよ。お前は可愛いから、いつ変な男が寄ってくるとも限らないじゃないか」


 名前を呼ばれ、明らかに彼女の身体が強ばるのが分かる。


「……関係、ない」


 必死に絞り出したようなか細い声。反抗期の娘のような反応に、男は怒るでもなく、むしろ嬉しそうに返す。


「ああ、やっと口を聞いてくれたね。関係ないってことはないだろう? お前はパパの大事な大事な娘なんだから」

「……」


 何の変哲もない親子の会話……のはずだ。

 しかし、サタンクロスは言いしれない違和感を覚えていた。


(……この反応。間違いない)


「美咲。返事は?」

「……分かった。気をつける」


(嫌悪と恐怖。父親相手にか?)


 娘の返事に、男は満足したようだった。


「よろしい。すぐご飯にするから、先にお風呂に入ってしまいなさい。今夜はご馳走だぞ」


 廊下を遠ざかっていく足音が聞こえる。

 やがて、美咲はのろのろと動き出す。

 サタンクロスは、彼女の指示通り、許可が出るまで決して口を開くことはなかった。





「もう良いよ」


 巻かれっぱなしになっていたマフラーが解かれ、美咲の投げやりな声が耳に入る。

 ベッドの上に投げ出されながら、サタンクロスは安堵のため息をつく。


『やれやれ。忘れられたかと思ったぞ』

「ごめんね」


 美咲はすでに上下スウェットに着替えている。

 風呂上がりなのか、髪はまだ湿っているようだった。


『さっきの声が君の父親か?』

「……声? ああ、そっか。サー君は見てないんだっけ」

『……お陰様でな。随分心配されていたな』

「……」


 美咲は答えることなく、背を向けてベッドに横になる。


『優しそうじゃないか』

「……どうかな」


 空返事に、サタンクロスは話題を変える。


『他の家族はいないのか? 母親は?』

「いないよ」


 即答。

 これまでにも何度かあった、感情の篭もらない声である。


『……すまない。余計なことを聞いたな」

「……いい」


 またしても沈黙。帰ってきてから、というより父親と話してから、彼女は明らかに様子がおかしいのだった。


 元来、感情の起伏が激しいタイプではないのであろう。ただし、激しくないなりに、喜怒哀楽の存在は見て取れたのである。


『……美咲』

「……何?」

『そのまま寝ると風邪をひくぞ?』

「……ふふ」


 背を向けたまま、少女の肩がわずかに揺れる。


「……サー君、お父さんみたい」

『馬鹿を言え。そんな歳でも柄でもない』

「いくつなの?」

『人間の言葉を借りるなら、ぴちぴちの六歳だぞ』

「あはは。年下じゃない」


 美咲が寝返りを打ち、ようやく目が合う。

 微笑んでいる。


『ふむ。やはり君には笑顔がよく似合う』

「……六歳児に口説かれちゃった。私、ショタコンじゃないんだけどな」

『親と言ったり、ガキ扱いしたり、忙しい奴だ』


 サタンクロスは、わざとらしく呆れてみせる。


「適切な評価だと思うけど」

『抗議する。俺は……』

「俺は?」

『いい男だ』

「あははははっ!」


 お腹を抱える美咲。ひとしきり笑うと、サタンクロスを抱き寄せる。

 柔らかい額から鉄の額へと熱が伝わっていく。

 彼女の目尻はうっすらと濡れていた。


「……サー君、好きだよ」

『痛恨の極みだ』

「どうしたの?」

『何故、今身体がないのか。こんなことになるなら自爆などしなかったものを』

「でも、命令には逆らえないんでしょう?」

『そこだ。まさに俺が悪党でなかったのは、そういう部分なのだろう』

「どういうこと?」

『君の言葉を借りるなら、周りのことなど気にせず、好きなことをするのが悪党。だとすれば……』

「確かに、命令なんか無視して、逃げちゃってもよかったね。うん。そっちの方が悪党らしいかも」


 サタンクロスを抱く美咲の腕が、力を強める。


「でも、そうしたらサー君は会ってくれなかったかもしれない」

『なら、そちらから会いに来ればいい。来る者は拒まぬ主義だ』

「タラシだなぁ」 


 困ったように笑う美咲。

 ふと、時計に目をやると、そろそろ短針が十の文字を指そうとしている。


「サー君、あのね……」

『どうした?』

「……明日、電話使わせてあげる」

『いいのか?』

「……うん。でも代わりに、今夜は絶対に目を覚まさないで。ずっと寝ててね」

『何だ、その条件は』


 美咲の表情は少し硬い。

 何かを隠している。直感したサタンクロスだったが、あえて尋ねることをしなかった。


『まぁいい。約束だ』

「……ありがと」


 美咲はほっとしたように息をつくと、サタンクロスを机の上に運ぶ。

 後頭部に充電コードを刺してから、彼に向きなおる。


「これでよし。明日も……よろしくね」

『ああ。おやすみ、美咲……良い夢を』


フッと、サタンクロスの目から光が消える。

美咲はそれを確認してから、後頭部のコードを引き抜いた。


「サー君……ごめんね」

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