5.12月23日 昼

「起きた?」


 覚醒してまず目に飛び込んできたのは暗闇であった。

 彼の暗視性能をもってしても、周囲の様子が分からない。何より、センサーに飛び込んでくる音が、前から後ろに流れていくのである。


『……起きた。美咲、何故目を開けても暗いままなのだ?」


 チリンチリンと、ベルの音が聞こえる。


「えっ? 何ー?」

『何故! 目を開けても暗いままなのだ! そしてさっきから感じるこの揺れ……』

「ああ、ごめんねー。ちょっとだけ我慢してー」


 風圧で消されないように、美咲は声のボリュームを上げているようであった。

 狭い閉鎖空間の中で、小刻みに襲ってくる浮遊感。


『おい! まさか、ここは……ぐあっ!」


 美咲の背負ったリュックの中で、サタンクロスは悲鳴を上げる。


『貴様っ! 確かに傍にいるとは言ったが!』

「そうそう。だから今日は一緒にお出かけしようと思ってさ」

『お出かけだとっ!?』


 自転車が段差を降りる、と同時に彼は強制的に逆立ちに。


『うおっ! おいっ! 頭にオイルがっ!』

「大丈夫、大丈夫。もうすぐ着くからねー」


 少女の自転車に揺られながら、サタンクロスは昨日交わした約束を早速後悔した。



 上野公園のベンチに腰掛け、美咲は空を眺めている。


「良い天気だね」

『そうらしいな。前が見えないせいで何も分からんが』


 サタンクロスはマフラーでぐるぐる巻きにされ、美咲の腕の中にある。


「ごめんごめん。でも、人に見られたら大騒ぎになっちゃうから」

『それは……そうかもしれんが』

「マフラーどう? 寒くない?」

『……まさかと思うが、楽しんでいないか?』

「心外だなぁ。思いっきり楽しんでるよ。せっかくのデートだからね」

『……何だって?』


 不穏な言葉に、サタンクロスが聞き返す。


「ん? 聞こえなかった? 楽しんでるよって」

『違う。その後だ』

「……? ああ、デート?」

『聞き間違いではなかったらしいな。……どういう意味だ?』

「あ、そうだ。サー君、お弁当食べようか?」

『おい! 人の話を……サー君?』


 美咲は無視。

 代わりにサタンクロスを自分の横に、倒れないように注意深く置く。

 それから、いそいそとリュックサックを開くと、ランチボックスを膝の上に広げる。


「サンドウィッチ作ってきたんだ。サー君は食べられないだろうからこっちね」


 サタンクロスに巻かれていたマフラーが少し解かれ、視界が開く。

 続いて美咲がリュックから取り出したのは、骨付き肉型の充電器であった。


『何だそれは』

「お肉」

『……君は馬鹿か?』

「ひどいなぁ。探すの結構苦労したんだから。これならサー君も少しは美味しい物を食べてる気になれるかなって。しかも、USBメモリの機能も付いてる優れもの。あ、フルーツの形してるのもあるよ」


 そう言って、USBを再び差し込もうとする美咲。


『ちょっと待て。だから、何だそのサー君というのは』

「サタンクロスだからサー君だよ。わかりやすいでしょう?」

『……』

「それに、こんな所で本名呼ぶわけにいかないじゃない。あっという間に見つかっちゃうよ? 喋る生首なんて、ただのホラーだもの」

『……確かにそうかもしれんが』

「ほら、分かったらじっとする。大体、今のサー君ってものすごく燃費悪いんだよ? 体が無いからなんだけど」


 今度こそ、サタンクロスの頭にコードが差し込まれた。


『? どういうことだ? 首だけになったから、エネルギー効率は良くなっているはずだろう』

「本来、君の身体には自律行動可能な動力源と、いざという時のための大型の充電池が内蔵されていたんだけど……」

『……なるほど、今の俺は非常用の補助電源しか無いということか?』

「うん。幸い、消費量自体は落ちてるから、スマホ用の充電器でも間に合わせくらいなら」

『情けない話だ』

「贅沢言わない。本当なら車のバッテリーに繋ぎたい所だけど、私が持てないから」


 何気なく言っているが、美咲はまだ女子高生である。サタンクロスは訝しげに隣の少女を見つめる。


「どうかした?」

『いや、随分詳しいと思ってな』

「……機械とプログラムが好きだからね。サー君を直せるほどじゃないけど」

『そこまでの期待はしていないさ』

「まぁ、サー君が寝ている間に、色々調べさせてもらったし」

『……今、何やら聞き捨てならないことを言わなかったか?』

「気のせいじゃないかな」


 目をそらし、サンドウィッチを頬張る美咲。


 水筒のフタをくるんと外す。

 次いで、コポコポという音に合わせて湯気が立った。

 彼女は口を付けることなく、冷めるのを待っている。


 穏やかな時間が流れていた。

 微風、というには冷たすぎる風が彼女の前髪を揺らし、額を撫でる。


 犬の散歩をする中年女性、ジョギング中の高齢男性、ベビーカーを押す若い母親。

 少し前までは見られなかった光景が、上野公園にも戻りつつある。


『美咲』

「ん……何?」

『何故、俺をここに連れてきた』

「デートの王道じゃない? 二人が出会った場所に行くって」

『ふむ……。つまり、君は俺に惚れているのか?』


 サタンクロスの問いを受け、美咲の眉間にわずかに皺が寄る。

 普段、表情のあまり変わらない彼女にしては珍しいことである。


「……野暮だなぁ。サー君ってモテなさそうだね」 

『返す言葉もないな』


 二人の口元に自然と笑みが浮かぶ。


「……誰かさんが来たいかと思って」

『よく考えてみろ。俺はここで完膚なきまでに倒され、バラバラにされたんだぞ? 君ならそんな場所に来たいと思うのか?」

「どうだろう……? 負けたことないから分からないな。そもそも、誰かと戦ったことも無いし」


 最後の半切れを頬張ると、美咲はランチボックスをリュックへしまい込む。

 そして、スカートを叩いてから、サタンクロスを再び膝の上で抱きしめる。


「でもね。何か人生を賭けたことがあったとして、私なら結末を知りたいとは思うんじゃないかな」

『……そうだな』


(……だが、俺は人生を賭けていたわけじゃない)


 言葉にすることのないように、サタンクロスは口を真一文字に結ぶ。

 しばしの沈黙。

 先に口を開いたのは美咲だった。


「お茶、冷めちゃった。せっかくだから、悪いこと……する?」

『……いや、今日はいい』

「じゃ、そろそろ帰ろうか」

『……ああ』


 兵どもが夢の跡。我ながら陳腐だな、とサタンクロスは、浮かんだ言葉に自嘲気味に笑んだ。



「ありがとね」


 帰り道。少女は自転車に乗ることなく、押して歩いている。


「すごく楽しかったよ」

『……よかったな』


 荷物(サタンクロス)からのリクエストである。歩けば一時間近くかかる道程だったが、美咲は逆に嬉しそうに受け入れた。


「元気ない?」

『……見ての通りだ』

「ふふ。ナイスジョーク」


 美咲がリュックを背負い直す。振動にうめき声が漏れる。


 来る時に使った走りやすい大通りではなく、商店街の人波を抜けていく。

 大音量で流れるクリスマスソングに混じって、毎日の呼び込みと酒で、焼けてしゃがれた声が響いている。


“閉店セール”という言葉に、今日初めて訪れた者達はワゴンへ群がり、常連達はまた言ってるよと苦笑いしている。


『賑やかだな』

「うん。あまりクリスマス感はないけど」


 喧噪の中でも、サタンクロスの声は不思議と良く通った。


「そういえば、クリスマスにサー君は、毎年何をやっていたの?」

『破壊活動だ』

「はかい……かつどう。……何ていうか、暗い青春だね」

『そういう美咲はどうなんだ? 君も年頃だろう。彼氏はいないのか?』

「今背負ってるけど?」

『……答えをはぐらかしたな? 彼氏でなくとも、どうやら好きな男はいるようだ』

「……いないよ」


 返ってきた声には、感情が一切篭もっていないようだった。

 おそらく表情も消えているだろう。


『そ、そうか』


 先程までとのギャップに、サタンクロスはそれ以上何も言えなくなってしまう。

 様々な音に囲まれているのに、二人の間に重い沈黙が横たわった。


 言いようのない気まずさを感じながら、サタンクロスは打開の方法を模索する。

 しかし、彼には戦闘経験こそあれ、女性と話を弾ませるトーク術などプログラムされてはいなかった。


 そもそも、彼の女性を扱う手練手管は、抱き寄せ、口づけ、押し倒す、である。

 ところが、今は腕がない。故に抱き寄せるどころか、頭を抱えることすら出来なかった。


「……ほんと言うとね」


 意外にも、先に口を開いたのは美咲であった。


 突然、袋小路に流れてきた助け船に、目を見開くサタンクロス。

 平静を装い、先を促す。


『ふむ、聞こう』

「ほんと言うと……気になってる人はいたんだ」

『……気になっている、というのは恋愛感情があったということか?』

「うーん、どうだろう? 感謝、っていう方が近いのかもしれない」

『感謝?』

「うん。顔も知らなかったし、話をしたこともないけどね。でも、私はその人に何度も助けてもらったんだよ」

『奇特な男もいたものだ。まるで謎のヒーローだな』

「あはは。確かにそうかも。でも、ヒーローって言うより……」

『……言うより?』

「ううん、何でもない。それでね。何度も何度も助けられて、だから、ずっとどんな人か気になってた」


 空を仰ぎ、ため息をつくように美咲は言った。

 その声に、サタンクロスのAIに不可思議なノイズが走る。


『……なるほどな。ちなみに、どんなことをしてもらったのだ?』

「秘密」


 返事には感情が戻ってきている。


『……残念だ。いっそのこと、そいつにぶつかってみたらどうだ? 君の美しさは俺が保証する。もし仮に、当たって砕けるようなことがあったとしても、いつか良い思い出に変わるはずだ』


 人間とはそういう生き物なのだろう?


 サタンクロスの問いに、美咲は諦めたような、満足したような不思議な声で答える。


「ううん。もういいんだ。それに今は……サー君がいるから」

『……光栄だな』


 互いに、何割かの本音が混じったことに、口にした当の本人達ですら、気づくことはなかった。

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