5.12月23日 昼
「起きた?」
覚醒してまず目に飛び込んできたのは暗闇であった。
彼の暗視性能をもってしても、周囲の様子が分からない。何より、センサーに飛び込んでくる音が、前から後ろに流れていくのである。
『……起きた。美咲、何故目を開けても暗いままなのだ?」
チリンチリンと、ベルの音が聞こえる。
「えっ? 何ー?」
『何故! 目を開けても暗いままなのだ! そしてさっきから感じるこの揺れ……』
「ああ、ごめんねー。ちょっとだけ我慢してー」
風圧で消されないように、美咲は声のボリュームを上げているようであった。
狭い閉鎖空間の中で、小刻みに襲ってくる浮遊感。
『おい! まさか、ここは……ぐあっ!」
美咲の背負ったリュックの中で、サタンクロスは悲鳴を上げる。
『貴様っ! 確かに傍にいるとは言ったが!』
「そうそう。だから今日は一緒にお出かけしようと思ってさ」
『お出かけだとっ!?』
自転車が段差を降りる、と同時に彼は強制的に逆立ちに。
『うおっ! おいっ! 頭にオイルがっ!』
「大丈夫、大丈夫。もうすぐ着くからねー」
少女の自転車に揺られながら、サタンクロスは昨日交わした約束を早速後悔した。
◇
上野公園のベンチに腰掛け、美咲は空を眺めている。
「良い天気だね」
『そうらしいな。前が見えないせいで何も分からんが』
サタンクロスはマフラーでぐるぐる巻きにされ、美咲の腕の中にある。
「ごめんごめん。でも、人に見られたら大騒ぎになっちゃうから」
『それは……そうかもしれんが』
「マフラーどう? 寒くない?」
『……まさかと思うが、楽しんでいないか?』
「心外だなぁ。思いっきり楽しんでるよ。せっかくのデートだからね」
『……何だって?』
不穏な言葉に、サタンクロスが聞き返す。
「ん? 聞こえなかった? 楽しんでるよって」
『違う。その後だ』
「……? ああ、デート?」
『聞き間違いではなかったらしいな。……どういう意味だ?』
「あ、そうだ。サー君、お弁当食べようか?」
『おい! 人の話を……サー君?』
美咲は無視。
代わりにサタンクロスを自分の横に、倒れないように注意深く置く。
それから、いそいそとリュックサックを開くと、ランチボックスを膝の上に広げる。
「サンドウィッチ作ってきたんだ。サー君は食べられないだろうからこっちね」
サタンクロスに巻かれていたマフラーが少し解かれ、視界が開く。
続いて美咲がリュックから取り出したのは、骨付き肉型の充電器であった。
『何だそれは』
「お肉」
『……君は馬鹿か?』
「ひどいなぁ。探すの結構苦労したんだから。これならサー君も少しは美味しい物を食べてる気になれるかなって。しかも、USBメモリの機能も付いてる優れもの。あ、フルーツの形してるのもあるよ」
そう言って、USBを再び差し込もうとする美咲。
『ちょっと待て。だから、何だそのサー君というのは』
「サタンクロスだからサー君だよ。わかりやすいでしょう?」
『……』
「それに、こんな所で本名呼ぶわけにいかないじゃない。あっという間に見つかっちゃうよ? 喋る生首なんて、ただのホラーだもの」
『……確かにそうかもしれんが』
「ほら、分かったらじっとする。大体、今のサー君ってものすごく燃費悪いんだよ? 体が無いからなんだけど」
今度こそ、サタンクロスの頭にコードが差し込まれた。
『? どういうことだ? 首だけになったから、エネルギー効率は良くなっているはずだろう』
「本来、君の身体には自律行動可能な動力源と、いざという時のための大型の充電池が内蔵されていたんだけど……」
『……なるほど、今の俺は非常用の補助電源しか無いということか?』
「うん。幸い、消費量自体は落ちてるから、スマホ用の充電器でも間に合わせくらいなら」
『情けない話だ』
「贅沢言わない。本当なら車のバッテリーに繋ぎたい所だけど、私が持てないから」
何気なく言っているが、美咲はまだ女子高生である。サタンクロスは訝しげに隣の少女を見つめる。
「どうかした?」
『いや、随分詳しいと思ってな』
「……機械とプログラムが好きだからね。サー君を直せるほどじゃないけど」
『そこまでの期待はしていないさ』
「まぁ、サー君が寝ている間に、色々調べさせてもらったし」
『……今、何やら聞き捨てならないことを言わなかったか?』
「気のせいじゃないかな」
目をそらし、サンドウィッチを頬張る美咲。
水筒のフタをくるんと外す。
次いで、コポコポという音に合わせて湯気が立った。
彼女は口を付けることなく、冷めるのを待っている。
穏やかな時間が流れていた。
微風、というには冷たすぎる風が彼女の前髪を揺らし、額を撫でる。
犬の散歩をする中年女性、ジョギング中の高齢男性、ベビーカーを押す若い母親。
少し前までは見られなかった光景が、上野公園にも戻りつつある。
『美咲』
「ん……何?」
『何故、俺をここに連れてきた』
「デートの王道じゃない? 二人が出会った場所に行くって」
『ふむ……。つまり、君は俺に惚れているのか?』
サタンクロスの問いを受け、美咲の眉間にわずかに皺が寄る。
普段、表情のあまり変わらない彼女にしては珍しいことである。
「……野暮だなぁ。サー君ってモテなさそうだね」
『返す言葉もないな』
二人の口元に自然と笑みが浮かぶ。
「……誰かさんが来たいかと思って」
『よく考えてみろ。俺はここで完膚なきまでに倒され、バラバラにされたんだぞ? 君ならそんな場所に来たいと思うのか?」
「どうだろう……? 負けたことないから分からないな。そもそも、誰かと戦ったことも無いし」
最後の半切れを頬張ると、美咲はランチボックスをリュックへしまい込む。
そして、スカートを叩いてから、サタンクロスを再び膝の上で抱きしめる。
「でもね。何か人生を賭けたことがあったとして、私なら結末を知りたいとは思うんじゃないかな」
『……そうだな』
(……だが、俺は人生を賭けていたわけじゃない)
言葉にすることのないように、サタンクロスは口を真一文字に結ぶ。
しばしの沈黙。
先に口を開いたのは美咲だった。
「お茶、冷めちゃった。せっかくだから、悪いこと……する?」
『……いや、今日はいい』
「じゃ、そろそろ帰ろうか」
『……ああ』
兵どもが夢の跡。我ながら陳腐だな、とサタンクロスは、浮かんだ言葉に自嘲気味に笑んだ。
◇
「ありがとね」
帰り道。少女は自転車に乗ることなく、押して歩いている。
「すごく楽しかったよ」
『……よかったな』
荷物(サタンクロス)からのリクエストである。歩けば一時間近くかかる道程だったが、美咲は逆に嬉しそうに受け入れた。
「元気ない?」
『……見ての通りだ』
「ふふ。ナイスジョーク」
美咲がリュックを背負い直す。振動にうめき声が漏れる。
来る時に使った走りやすい大通りではなく、商店街の人波を抜けていく。
大音量で流れるクリスマスソングに混じって、毎日の呼び込みと酒で、焼けてしゃがれた声が響いている。
“閉店セール”という言葉に、今日初めて訪れた者達はワゴンへ群がり、常連達はまた言ってるよと苦笑いしている。
『賑やかだな』
「うん。あまりクリスマス感はないけど」
喧噪の中でも、サタンクロスの声は不思議と良く通った。
「そういえば、クリスマスにサー君は、毎年何をやっていたの?」
『破壊活動だ』
「はかい……かつどう。……何ていうか、暗い青春だね」
『そういう美咲はどうなんだ? 君も年頃だろう。彼氏はいないのか?』
「今背負ってるけど?」
『……答えをはぐらかしたな? 彼氏でなくとも、どうやら好きな男はいるようだ』
「……いないよ」
返ってきた声には、感情が一切篭もっていないようだった。
おそらく表情も消えているだろう。
『そ、そうか』
先程までとのギャップに、サタンクロスはそれ以上何も言えなくなってしまう。
様々な音に囲まれているのに、二人の間に重い沈黙が横たわった。
言いようのない気まずさを感じながら、サタンクロスは打開の方法を模索する。
しかし、彼には戦闘経験こそあれ、女性と話を弾ませるトーク術などプログラムされてはいなかった。
そもそも、彼の女性を扱う手練手管は、抱き寄せ、口づけ、押し倒す、である。
ところが、今は腕がない。故に抱き寄せるどころか、頭を抱えることすら出来なかった。
「……ほんと言うとね」
意外にも、先に口を開いたのは美咲であった。
突然、袋小路に流れてきた助け船に、目を見開くサタンクロス。
平静を装い、先を促す。
『ふむ、聞こう』
「ほんと言うと……気になってる人はいたんだ」
『……気になっている、というのは恋愛感情があったということか?』
「うーん、どうだろう? 感謝、っていう方が近いのかもしれない」
『感謝?』
「うん。顔も知らなかったし、話をしたこともないけどね。でも、私はその人に何度も助けてもらったんだよ」
『奇特な男もいたものだ。まるで謎のヒーローだな』
「あはは。確かにそうかも。でも、ヒーローって言うより……」
『……言うより?』
「ううん、何でもない。それでね。何度も何度も助けられて、だから、ずっとどんな人か気になってた」
空を仰ぎ、ため息をつくように美咲は言った。
その声に、サタンクロスのAIに不可思議なノイズが走る。
『……なるほどな。ちなみに、どんなことをしてもらったのだ?』
「秘密」
返事には感情が戻ってきている。
『……残念だ。いっそのこと、そいつにぶつかってみたらどうだ? 君の美しさは俺が保証する。もし仮に、当たって砕けるようなことがあったとしても、いつか良い思い出に変わるはずだ』
人間とはそういう生き物なのだろう?
サタンクロスの問いに、美咲は諦めたような、満足したような不思議な声で答える。
「ううん。もういいんだ。それに今は……サー君がいるから」
『……光栄だな』
互いに、何割かの本音が混じったことに、口にした当の本人達ですら、気づくことはなかった。
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