1.12月21日

 上野公園の片隅に生首が転がっている。


 短髪の精悍な男の首だ。目は開いたまま固まっているが、漆黒の瞳に輝きはない。

 ひっそりと、茂みの中にうち捨てられている首。

 かれこれ、二週間ほど誰にも知られず、そこにあった。


 その存在に気づき、歩み寄る影が一つ。


「生きてるの?」


 色々な感情が褪せてしまったような、乾いた声音である。

 透き通ったアルトの問いかけに、ブーンという低い電子音が答えた。


 光を失っていたカメラアイが焦点を結び、声の主と視線が交錯する。

 やがて、彼の瞳は自らを見下ろす相手を観察するように上下する。


 雪のように白い脚はブラウンのプリーツスカートから伸びている。上はグレーのダッフルコート。わずかに袖口から紺のブレザーが覗く。口元を赤いマフラーで隠しているため表情は読めない。茶色掛かった髪は肩で切り揃えられ、右のこめかみの辺りをピンで留めている。目は髪と同じ色で、冷たく澄んでいる。


 女子高生、だろうか。


『……状況確認。生キている、というのガ……正しイ表現か分からんな。だが、マぁ……とりあえずAIは動作していルようダ』


 返事には時折テレビの砂嵐のような、不況和音が混じっている。


「やっぱりロボットだったんだね」

『よく気づいたナ』


 自らの声から、彼は自身のエネルギーが尽きかけているのを自覚する。

 とはいえ、打てる手段はいくらもないだろう。


 何しろ、首から下を失っているのだ。文字通り、手も足も出ない状態にある。

 電力消費を可能な限り抑えるため、茂みの中でスリープモードに入っていたのだった。


『……ふむ、こレは僥倖』

「どうしたの?」

『隠してモ仕方のないことだかラ、言っておコう。俺の目ハ、暗闇でも周囲ヲ容易に知覚スる機能がある。映画で暗視ゴーグルといウのを見タことがあるか?』

「……全部緑色になって、暗くても見えるやつ?」

『ウむ、もっと鮮明に見えてイるがな。例えバ……俺を見下ろしている君ガ、背負っている夜空の……輝く星の一ツ一つまで鮮明に見えていル』


 制服姿の少女は、垂れて左頬にかかった髪を耳にかけると、興味深そうに男を覗き込む。


「……それで?」

『君はさっきかラ、実に扇情的な光景ヲ提供してくれているナ。平たく言えバ……白と黒のカービングレース。中々に大胆な装いダ』

「へぇ……? ロボットでも下着に興味あるんだ?」

『こんななりになってモ、一応は男だかラな』

「ふふふ。興奮しても何も出来ないね」


 跪いた少女の手が、男の頬に触れる。


「ねえ、貴方ニュースで流れてるやつでしょ? 何だっけ、……バブ、……バビ」

『バベルだ』

「え?」

『悪の秘密結社バベル。俺ハその大幹部にして、戦闘部門を任さレタ……オイ、何をしてイル?』


 彼女は答えず、首を抱き上げる。


「よっ……と。思ったより軽いね」

『何を勝手ニ…… む? これハ……」

「? 何?」

『悪くなイ。いや、実に素晴らしい。君は同世代の女性に比べ、発育著しいようダな』


 頬に押しつけられた弾力に、男は満足げに笑う。


「気に入ってもらえたなら何より。でも、こんなの邪魔なだけだよ」

『誇ってモいいと思うがナ』


 少女はありがと、とだけ答えて話題を変えた。


「号外で見たよ。正義のヒーローに負けたんでしょ? バベル? は事実上の壊滅だって」

『……当然だナ。俺は組織の有スる最高戦力だっタ。俺ノ敗北は、バベルの崩壊を意味すル』

「……そっかぁ」


 少女の口から白いため息が漏れる。


『残念そうだナ』

「……そう?」

『俺たチの名を曖昧とはいエ覚えていたのに、ヒーローの名にハ全く興味が無さそうだったカラな」

「そりゃね。応援している方を覚えるでしょう? まぁ、負けちゃったみたいだけど」

『……これはすまなカった』

「いいよ、別に。期待してたわけじゃないし」


 少女はコートの袖で、男の頬の土をぬぐい取る。


「で? 負けた貴方がなぜこんなところにこんな姿で転がってたの?」

『さてナ。基地ごと自爆シた衝撃で飛ばさレたノだろう』

「自爆? 貴方爆発するの?」

『恐れルことはナい。今の俺には家一軒吹っ飛ばスのがせいぜいダ」

「……なら安心だね」

『情けナいことダ』


 男は口元を自嘲気味に歪ませる。


「自爆したのに、なぜ生きてるの?」

『俺には小規模のバリアを張る力があル。まぁ、大人一人分程度のスペースだがナ』

「それで自分を守ったんだね」

『……そんなつもりはなかっタ。理由ハ分からんが、誤作動かモしれン』

「死にたくなかったの?」


 男は答えなかった。少女はそれ以上聞かず、別の言葉を続ける。


「どうせなら、全身守ればよかったのに」

『もとヨり、永らえるつモりもなかっタのだ。言っても仕方ノないことだろウ』

「負けて生き残るより、名誉の戦死をってこと?」

『そんな大層なものじゃなイ。敗北した場合、自動的に自爆スるようにプログラムされているだけダ』

「……そうなんだ」


 表情は変わらない。

 が、一瞬少女の腕に力がこもるのを、男は感じた。


『……あー、とこロで一つ、頼みガあるのダが』

「なに?」

『そろそろエネルギーが心基無くてナ。よケれば、充電させて欲シい。ついでに、電話も貸しテもらえると助カる』

「いいよ」


 即答だった。


『……いいノカ?』


 まさか、正体を明かした上で受け入れてもらえるとは思っていなかった。男は訝しげに聞き返す。


「うん。困った時はお互い様、でしょ?」

『……感謝すル。そうイえバ、まだ名前を聞いテいなカったナ。俺はサタンクロス……君ハ?」


 少女はきょとんとした後で、小さく吹き出す。


「ふ……くく。そっか。サタンクロスかぁ」

『どうしタ? 何がおかしイ?』

「ううん。何でもないよ。私は美咲」

『そうカ。では美咲。俺は一端落ちル。後を頼むゾ』


 返事を待たず、再び男の目から光が消える。


 美咲はサタンクロスの瞼をそっと下ろすと、自分のマフラーを外し、彼に巻き付けていく。

 そうして、中身が見えなくなったのを確認してから、小さく一つ頷いて、踵を返した。

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