解答篇


 この小説は叙述トリックを使った、ちょっと不思議な後味のファンタジーというあたりを目指しました。多くの人が読んで下さり、多くの解釈が出ました。


 画一的なこれだ、という答えを避けるほうがオープンエンドな拡がりがあって楽しくもあるのですが、中にはやはりモヤモヤする、腑に落ちないという方もいるでしょう。


 ですから、この場で作者の考える、ありえるかもしれない解答のひとつを紹介したいと思います。あくまでひとつの可能性であり、これを読み解けなかったから愚かだというわけではありません。


 むしろ気付かれないように細部に隠したものですし、わたしのような辺境のしがない物書きを作品を穴が空くほど熱心に読めというほうが無理でしょう。


 つまり気付くほうがちょっと変というレベルのものです。でははじめます。


 さて、この小説はいわゆる「信用できない語り手」というカテゴリーに類別される作品でしょう。これは物語をけん引する語り手に故意の言い落しがあり、内容をミスリードさせたり隠蔽したりする、というものです。嘘はついていないものの、あえて言わないことがある、そんな人物によって語られる物語は、真実の姿とはかけ離れたものになります。


 では、語り手である母親があえて言い落していることはなんでしょうか?


 コメントをくださった方とのやり取りにもあったように、なぜ「母親=ライリー」という物語にしなかったのか。そうすればきれいな円環構造になりますよね。ここが焦点です。普通に読めば、ライリーは400年前の人物ですので同一人物とは考えられません。


 それにしては母親とライリーの共通点が多いのが奇妙です。


 文筆業を生業とする夫に対し、「わたしも似たような仕事柄、大抵は家に引きこもりがちだった」とあるように母親も書き物かそれに類する仕事をしていることがわかります。


 これも400年前の作家だったライリーとの共通点ですね。


 母親の実家である田舎に引っ込んできた家族ですが、ライリーたちの暮らしていた村も山あいの小さな村でした。


「わたしにも仲の良い姉がいたから、姉妹の特別な絆については少しはわかるつもりだ」


 母親にもライリーと同じく姉がいたことがわかります。


 そして何より、母親にもライリーと同じく子供の頃、イマジナリーフレンドと交流があったことがほのめかされています。


「昔、お義母さんが言ってたよ。君も子供の頃、しきりと独り言を言う時期があったって」


 これだけ枚挙に暇がないほどの共通点がありながら、母親は決して「ライリーはわたしだ」とは言明しない。つまりここが信用のできない語り手による言い落しの部分なのです。


 そうです。母親とライリーは同一人物なのです。


 となると、400年も生き続けた母親とはなんなのかということになりますよね。


 ヒントを並べてみます。


1「まともに陽の光を浴びない暮らしを続けていると世間が狭くなるのは免れない」


2「そして山あいに滲む夕映えを親子三人でカーテン越しに眺めながら、わたしは言った」


3「愛おしさのあまりかぶりつきたくなる衝動を抑えて、娘の小さな額にそっとキスをする」


 1は書き物暮らしをしているうえに人見知りなので、あまり外出しないタイプなのだろうという述懐ですが、これはレトリックや誇張ではなく、物理的に陽光を浴びていないとも取れます。


 2も同様で、なぜ美しいはずの夕映えをあえてに眺めなければいけないのか。


 3はトドメといってよく、愛情表現であると同時に食欲の表出でもあります。


 はい、そうです。


 400年も生き続けた母親の正体とはヴァンパイアなのです。


 夫はきっと人間なのでしょう。その二人の間に生まれた娘は半吸血鬼ヴァンピールということになります。外で遊んでいた描写があるように娘は太陽の光を浴びても平気な体質であることがわかります。


 夫は妻の正体を知りながら結婚し、子供をなし、静かに世間から身を引くようにして暮らしているのです。


 神秘主義グループから派遣された男と、それをねぎらう母親とのやりとりはこんな感じです。


「遠いところをどうも」

「いいえ、ここはとても魅力的な場所です。一度は訪れてみたいと思っておりました。今回の派遣はまさに渡りに船という感じで」

「何もないところですよ」

「この土地には興味深い伝承がいくつもあります。我々のような者には、まるで宝の山です」


 吸血鬼である母親の実家であり、興味深い伝承に満ちた場所。作者はここをブラム・ストーカーの小説や歴史上の吸血鬼騒動にちなんでルーマニアのトランシルヴァニア地方を想定しております。


 夫はもちろん妻がライリーであることは知っていますが、他者にはもちろん娘にも隠しています。万が一、外部に真実が漏れて、吸血鬼である妻が迫害を受けないためです。


 神秘主義者にブライリッサ・ソフヴィエという作家を知っているかと問われた夫はこう答えます。


「もちろん知っていますとも。とても大好きな作家です。女性としてもキュートですし」


 これはたんなるノロケですね。本人を目の前にして言うのですから、見上げた根性です。で、次のような描写が続くこともさもありなんといった感じです。


『口にしてしまってから夫は伺うようにこちらを見た。わたしはといえば小首を傾げるだけで何も答えないでやった。夫はちょっとだけひるんだ素振りを見せた』


 ――さて、種明かしはほとんど終わりました。


 ネタが割れてしまえば、大抵の手品はしょーもないものでしょう。繰り返しますが、ここに書いたようなことは気付かなくても全然大丈夫な細部です。半ば自己満足のために仕込んだようなもので、100人にひとりくらいがピンと来たらいいなというスタンスでした。


 結論。娘は、幼き日の母親=ライリーとイマジナリーフレンドとして交流していたことになります。ライリーの守護天使とは自身の娘のことでした。


 娘は時を越えて、幼き日の母親に語りかけ、母の姉(つまり伯母)を救ったことになります。ですので、最後に読まれた本の内容は姉が病に倒れることなく無事に成長したバージョンとなっています。そもそもの本の内容は、幼少時に姉を失った作家の自伝小説でしたが、娘の行動によって歴史が変わり、本の内容も書き換えられたというわけです。


 ちなみにライリーの生家の一族が吸血鬼一家というわけでありません。おそらくライリーがある時点でヴァンパイアと遭遇し、血を吸われ、彼女だけが吸血鬼化したのでしょう。ですので普通の人間であった姉はもう現代には生きていません。


 姉の死を目の当たりにしたライリーは作中にあるように「生命の有限性」を憎悪しているので、あるいは自ら吸血鬼になったかもしれません。


『それは夫の本ではあるが、わたしの本でもあった』


 結末近く、上のような一節がありますが、これは、


 それは夫の本ではあるが、わたしの(書いた)本でもあった。


 という意味になります。


 ご視聴……じゃなくてご閲読??


 ともかくありがとうございました。暇を持てあましている方は、この解答篇を一読後に本編を再読されるとより理解が深まるかと思います。


 自作を解説する野暮は承知ですが、もう少しとっつきやすい作品になればとあえて記しました。


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ライリーの守護天使 十三不塔 @hridayam

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