死を悟る沙羅双樹の





「はい今のところまでオッケー。ただし一個だけ気になるところ! 『沙羅双樹』のアウトロで吹き出すトーチ、もう一回り大きくいけるか?」

「問題ないと思います。消防法に関してもクリアしていますし」

「よし、じゃあ出来るだけ盛大に炊いて! 昨日より火力あるから、Roulロウルちゃんは衣装焦がさないようにしてね!」


 舞台監督の青葉あおばさんが、今晩のステージ演出について細かく指示を飛ばしている。少年のような笑顔で前歯を覗かせる彼に、私はひらひらと片手を振って了解の意を示した。厳しさの中にも愛嬌が光る青葉さんは、PAさんや照明スタッフから絶大な支持を得ている。


 多くの人が携わって、たったひとつのエンターテインメントを作り上げていく。自分がその渦の中心に居るのだと思うたび、人知れず小さな溜め息が生まれるのだった。もしかすると、中心に居るのは私じゃなくて、青葉さんのような人たちなのではないかと思ってなおさら──。


「青葉さんってほら、私に無いものを全部持ってると思いません?」


 マネージャーの東條さんの視線に気付いて、私は彼女に問いかけた。


「そうね。たくましい髭や上腕二頭筋。どれもあなたには無いものばかり」

「聞く相手を間違えました。担当シンガーのメンタルケアも業務内容のひとつでは?」

「それは私の役目ではないわ。どう? 成川くんとはうまくいってる?」


 周囲の人目を気にしながら、東條さんは思ってもみない質問を投げかけてきた。理知的なメガネと、悪戯めいた口元の笑みがどこか扇情的だ。


「うまくいくも何も、私はZeRahuゼラフを不採用にしたはずなんですけどね」

「私が全力で推しました。今のあなたにとって、きっと良い刺激があると思ったの」


 そう、成川にはとても言えないけれど、私は彼をのだ。新たな専属ドライバーを選ぶ最終面接に残ったのは四名。事務所の社長と東條さんに同席させてもらった私は、ZeRahuではない他の人間を採用してくれと頼んだはずだった。


「わざわざスキャンダルの種を抱え込んでどうするんです? それさえも利用するつもりですか?」


 元有象無象ProjectのメンバーであったZeRahuが、同じく元メンバーであるRoul B.のドライバーをしている。そんなの、下種の勘繰り何でもござれだ。ありもしない男女関係を捏造されて、ほんの数日間だけお茶の間の主役になれるだろう。


「それも良いかもしれませんね。あわよくば、再結成の噂でも立ってくれないかしら」

「絶対にありえません。私もZeRahuも、それを望まない」


 浴槽に咲いた赤黒い花。

 水で膨れ上がった彼女の最後の姿。

 腐臭。


 あの瞬間。私たちの夢は終わったのだ。


「そうね、本当にそう思うのなら──、あなたは彼を『成川くん』と呼んであげるべきだと思うけれど?」


 東條さんの耳打ちが、私を現実へと引き戻す。そして気が付いた時には、彼女に平手打ちを浴びせていた。食えない女の横っ面へと、思いっきり。


「ご、ごめんなさい!」


 ほとんど条件反射で頭を下げる。手のひらでうごめく鈍い熱のように、腸はまだ煮えくり返っていたけれど。


「良いのよ。きっと今日も、良いステージになるわ」


 くるりときびすを返して、何事もなかったかのように東條さんは歩いていく。今のやり取りに、誰かが気付いていた様子はなかった。おそらく鳴り響いたであろう鮮烈な音を、甲高いエレキギターの音が掻き消してくれたのだろう。


 舞台袖を見やれば、大粒の汗を垂らしながら檄を飛ばす青葉さんの姿。その彼に向けて、東條さんは何やら追加で注文をつけているようだった。


 多くの人が携わって、たったひとつのエンターテインメントを作り上げていく。この渦の中心に居るのが誰なのか、私にはもう分からなかった。




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