蹴り殺したい粗大ごみ





 いつになく優し気な朝日と、慣れない体温があたしを揺り起こした。隣で眠り呆けている粗大ゴミの姿を視認して、やれやれどうしたものかと昨晩の行為を思い返す。


 泥酔していたせいか役立たずだったソレは、あたしたちが犯しそうになった過ちを寸前で食い止めてくれた。大人になるってことは、つくづく嫌なことだ。自分たちの感情とは裏腹に、子孫繁栄のための本能がにょきにょきと青い芽を伸ばしたりする。


「……とりあえず窓開けなきゃ。お酒臭い」


 男勝りな性格のせいでガサツに思われやすいあたしだけれど、自室の家具やインテリアには最大限こだわっている。部屋の香りだって然りだ。生涯これだと決めている芳香剤があるし、掃除だって一度始めたら半日は手が止められなくなる。


 こういうのってつまり、巣作りをする母性本能の延長線なのかな? そんな疑問を持ってしまうあたしの脳には、昨晩のアルコールがまだたっぷりと残っているのだろう。


 さてさて、それはさておき──。


「無職の無職の菊間きくまちゃん、あなたのお家はどこですか?」


 商売道具にしているロリ声で口ずさみながら、ベッドの大半を占領している菊間を足蹴にした。いつぞやにWEBミュージック界隈を賑わせた『菊My Lordきくまいろーど』は、一度も愛したことのない女のベッドで健やかな寝息を立てている。まったく、ご立派な社会不適合者に育ったものだ。


「……ん。わりー、Beni子べにこ。ついついお前に甘えちまった」

「黙れクズ男。あたしを二度とその名前で呼ぶな」


 俗に言うショタボイスってやつで、寝ぼけまなこの菊間を罵るあたし。かつて七色の声を持つ少女と持て囃されたBeni子は、遠い昔に死んだのだ。我ながら可愛いこの声音に反して、あたしのはらわたは本気で煮えくり返っている。


「ごめん、朱音あかね。すぐに帰るから」

「そうしてくれると助かる。あたし、今日中にたくRECレコ仕上げなくちゃだから」


 たくRECレコという、いかにもクリエイターな響きに酔えたらどれだけ良いだろう。けれどあたしがこれからり下ろすのは、とある同人作品のアダルト音声である。淫語と放送禁止用語をただひたすらに連呼する、品性の欠片もない破廉恥な音声作品だ。同人ライターが書いたその台本を見ただけで、多くの人は正気を疑うだろう。


「そっか。それならさ、俺にも手伝えることがあるかも──」

「刺すぞ殺すぞ帰れ粗大ゴミ。お前がそばに居たら、喘げるものも喘げんわっ」


 ASMRというジャンルが幅を利かせるようになってから、あたしの作品は売れ行き好調だ。売れ行きっていってもダウンロード販売が主流。運営側がたんまりと手数料を差っ引いていくけど、それでも十分に金になる商売だった。


「……分かった。求人誌を買って帰宅します。昨晩の礼ってわけじゃないけど、お前の作品、適当にいくつかダウンロードしとくから」

「はい? 無職の無職の菊間ちゃん、あなた脳みそ入ってますか?」


 支離滅裂な優しさを見せる粗大ゴミに腹が立って、耳元であざとく囁いてやった。その瞬間、菊間の躰に走った武者震いを、あたしの目は見逃さない。男って生き物は本当に馬鹿で救えなくて、そのくせ愛おしいから時々壊したくなる。


「こ、今度こそ本当に帰るわ。じゃっ」


 徹底的に、壊したくなる。


「……待って。いいよ、付き合って。リアルな演技が出来るように、となりで手伝ってくれると助かるかな」


 骨ばった菊間の手を掴んで、その甲に唇を押し当ててみる。いつの間にか染みついてしまった機械油の匂いが、悲しい現実をあたしに突き付けているようだった。


 大人になるってことは、本当に嫌なことだ。自分の意志で発しておきながら、自分の言葉の何割くらいが嘘なのかを全く把握出来ていない。こうやって望みもしない熱が生まれるから、遠い日の私はBeni子を葬ったのかもしれなかった。


「なんてね。良い子の菊間ちゃんは、ちょっとだけ期待したかな?」


 顔を赤らめながら立ち去る彼を横目に、あたしは消臭剤のスプレー缶へと手を伸ばす。彼の残り香を感じながら仕事をするのも一興だけれど、あたしはまだそこまで堕ちたくないから。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る