ひとり青春ごっこ





【新世代シンガーRoul Bロウル ビー. 渋谷公会堂ワンマンLIVE 2days チケット即日完売!!】


 茹だるように暑い七月の午後、公園の木陰に目をやれば鳩さえもくたばっている。昼休みの終わりを告げるアラームと入れ替わるようにして、スマホの液晶上部に忌まわしいプッシュ通知が流れた。


 俺は投げ捨てるようにイヤフォンを外して、飲み掛けだった炭酸飲料をフィニッシュする。午後の業務が始まる前に、用も足しておかなければならない。


「あー、だりぃ。おしっこさえもだりぃ……」


 さて、今まさに高殿たかどのに昇ろうとしているかつての同僚を見て、俺は何を思うのか。その答えは『クソくらえ』だ。俺は四六時中、彼女の不幸を願っている。何らかの不幸が、彼女を見舞えばいいのに、と。


 そうだな、それもくだらないやつがいい。決して世間の同情を誘わない、しょうもない恋愛スキャンダルだとかがベストだ。ドラッグ疑惑なんかも強烈だけれど、あいつはそういうのやらない性分タチだから。


「クソくらえだ。裏切り者が」


 小便をしてすっきりしたところで、公園を跨いで職場へと戻る。とある自動車メーカーの下請けの下請け、小さくて不衛生で喧しい工場だ。どのくらい不衛生かといえば、公園の公衆トイレが清潔に感じるほどに不衛生。


 金属の粉と騒音に塗れながら、何も考えないように単純作業をこなしていく。とにかく意識を現実から切り離すのがコツだ。この劣悪な環境が、俺の聴力や喉に与える悪影響を考えてはならない。


「おー、なんだ金城かねしろさん。今のそれ、ホントの話か」

「もちろんマジもんのマジよ。ロールビー? だっけな。俺の狙ってた飲み屋の姉ちゃんがそいつのチケット欲しいって言うもんだからよ。ダメ元で応募してみたら当たっちまってよ」

「それってアレじゃねーか? お持ち帰りのフラグが立ったってやつじゃねーか」


 工場のおっさんどもの下世話な話が、俺の意識を現実へと引き戻した。それも、かなり最悪な現実へと。あー、やっぱりクソくらえだ。このまま聞き流せない俺も、どうかしている。


「金城さん、ちょっと良いッスか」

「なんだよキク、チケットなら譲らんぞ」


 金城さんが訝しそうに眉根を寄せた。彼はこの工場の古株。歳は40半ばくらいのはずだけど、日焼けとシワがひどいせいで下手したら50代後半に見える。


「ロールビーじゃなくて、ろうる、びーッスよ。年齢は今年で24。元々、有象無象Projectっていう歌い手の集団があって、その中の『ろうる』って娘がソロになったからRoul Bロウル ビー. ッス。お目当ての子の前で恥を掻かないように、基本だけは押さえといたほうが良いと思いますけど」

「おいおい、ここにもファンが居たのか。なかなかの人気だな」

「ってかよ、あのキクが饒舌に喋ってら。おもしれーな」


 不愉快になる要素が満載過ぎて、俺は会話に割って入ったことを後悔した。特に腹が立ったのは『ファン』って言葉だ。この俺が──かつて有象無象Projectの楽曲の多くを手掛けていたこの『菊My Lordきくまいろーど』が、『ろうる』ならともかく『Roul Bロウル ビー. 』のファンになんてなるはずがない。


「ファンとかやめてください。あんなクソみたいな楽曲、代筆ゴーストのほうがマシですよ」


 無味無臭の工場ライフに亀裂が入ることを承知の上で、俺は金城さんにそう言い放った。三秒後に怒鳴り散らかされている俺の姿が脳裏に浮かぶ。金城さんの目的は何であれ、俺は彼が行く予定のLIVEをクソだと言い切ったのだから。


「んーっと。クソってのはあんまりだよなぁ。そうだろ、キクよ」

「……はい」


 にたにたと笑う金城さんの迫力は、俺の想像を軽く超えていた。怒鳴り散らかされるどころか、げんこつの一つ二つくらい浴びせられるかもしれない。


「お前がクソだと思うのは勝手だがよ、実際、そのロールちゃんは売れてるんだろ? だったらよ、お前の耳がクソなんだよキク。残念だけどな、お前の感性が時代遅れってほうが道理なんだわ」


 思いも寄らない指摘に、さーっと血の気が引くのが分かった。いつの間にか金城さんの周りには、取り巻きのおっさん共が集まっている。「そうだそうだ」と、しきりに頷くおっさん共。黙れ、クソが。お前らに音楽の何が分かる。そもそもろうるのことすら知らなかったくせに。


「……辞めます」

「は? キクよ、お前今何て言った?」

「辞めます。今日限りで、俺はこの職場を」


 俺は罵倒も制止も振り切って、逃げるように工場を駆け出した。もうすぐ27になるってのに、ダサくて救いようのない行動だ。ほんの少し走ったところで、金属の味をした痰がせり上がってくる。なんだよ、良い機会じゃないか。このままあの職場に居続けて、俺は金城さんたちみたいになりたいわけじゃない。


「あー、だりぃ。だったら一体、何になれるんだよ」


 スクランブル交差点、長い赤信号に掴まったその瞬間、ふいにろうるの顔が浮かんだ。それは今現在のけばけばしいメイクをした彼女じゃなくて、飾らずとも美しいあの頃の彼女だった。




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