刺青の女(大団円)
「摂津尼崎藩の天野幸之丞は、正月に脱藩し、江戸へ新婚の嫁を連れてやってきた。『思いが正しければ、すべての行動が許され、それは必ず実現する』と頑なに思い込む、直情径行のお手本のような男だった」
浮多郎は、奥座敷の壁にもたれて座る政五郎と、傍らに座るお新、客など来そうにもないのに、店番を兼ねて土間の上がりはなの三畳間に座って半身を向ける与太たちに話しかけた。
「単身の牢人暮らしでも大変なのに、虚無僧として門付けして歩いたところで、稼ぎはたかが知れている。見かねた嫁の小夜が、お静という源氏名で深川の吉備津屋で通いの女郎として働き出した。操を売ってまでも、男の志を支えたいという天晴れな女だ」
「天野とかいう男は、そのことを知っていたのかねえ?」
政五郎が口をはさんだ。
「おそらく、初めは内密だったのでしょう。同僚のお滝が、じぶんと同じ自前のお静の人気ぶりに焼きもちを焼き、いろいろ嗅ぎまわり、また番頭から聞き出して、牢人者の女房と知った。ゆすりにかかったお滝がつきまとうので、天野は女房が吉備津屋の通いの女郎と知ったのでしょう」
「金を渡すからと、お滝を両国橋たもとへ呼び出し、いっしょに回向院へ・・・。待ち受けていた天野が首を絞めて殺し、境内に隠したんで」
両国橋下の乞食や、近隣の店や住人を訪ね歩いて丹念に調べた与太が、自慢気に言った。
「小夜がここへやって来て芝居を打ったのは、殺してから思いついたのか、それとも殺す前から企んでいたのかねえ?」
政五郎が、与太にたずねた。
「えーと、それはですね。・・・小夜がすぐに『写楽命』の刺青を彫辰で彫らせたので、思いついたのは殺しのあとかな。でもお滝から彫辰のことを聞きだしていたので、前から企んでいたのかな?あれっ、分かんねえや」
答えが見つからない与太は頭を掻いた。
「おそらく、彫辰のことは前からお滝から聞いて知っていて、企んだのだろうよ。殺してから『写楽命』の刺青を彫らないと、『お静にも、お滝と同じ刺青がある』と店に知れてしまうのではないかな」
政五郎は答えを知っていて、与太に意地悪をしたようだ。
「それから先は、お前でも分かるな」
政五郎に、先をせかされた与太は、
「へい。小夜はじぶんを怪しい女と思わせておいて、あっしにあとをつけさせ、大川橋からドボン。でも、あっしがあとをつけなかったらどうなります?・・・ああ、大川橋はひとの通りも多いので、ドボンすれば、だれかが気づきますよね」
と、じぶんの問いにじぶんで答えた。
「ご名答だな、与太」
浮多郎にほめられた与太は鼻高々だったが、
「でも番頭さんまで殺すとは・・・どうしてそこまでやるの?」
お新が眉をひそめた。
「番頭もぐる・・・だった?」
与太が素っ頓狂な声を出した。
「いや。売れっ子のお静はそっとしておきたかったので、番頭はぐるではないと思う。われわれが吉備津屋を探っていたので、天野は小夜のことを一番知っている番頭の口を封じたかったのだろう」
浮多郎は、
「それに・・・」
と言いかけてから、しばらく黙った。
「いくら、じぶんを支えるためとはいえ、・・・女郎にまで身をやつした女房が不憫だった。事情をいちばん知る番頭を逆恨みしたのか。あるいは、女中として働きに来た美貌の小夜を、番頭が『女郎のほうが金になる』と無理強いした、と疑ったかも知れない」
天野のことを言いながらも、浮多郎はじぶんを思いやっているのが、お新には痛いほど分かった。
寛政のご改革とやらの奢侈禁止令で、客が高価な櫛笄簪などを吉原女郎に土産として買うのははばかられた。吉原大門すぐの政五郎の小間物屋は、開店休業状態が続き、吉原の三味線芸者として働くお新の稼ぎが、大きな助けになっていた。
―その時、「ごめんくださいまし」の声がかかった。
客と思った与太が、土間に降りると、
「写楽先生にお会いしたいのですが。こちらにお住まいと聞きましたので」
とびっきりの美人が、鬼次の奴江戸兵衛の錦絵を手に、艶やかに微笑んでいた。
(了)
刺青の女~寛政捕物夜話16~ 藤英二 @fujieiji_2020
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