第37話 人間の未来

『子供たちを助けて!』


 あの日のあの訴えに、ドクター・ニシャールはちゃんと応えてくれた。第七天で得た地位を捨てるってだけじゃなく、落ち着き場所を見つけてくれることだけじゃなく、その後まで、きっちり付き合ってくれた。それはつまり、魂のダウンロードと、新しい器への再インストール。子宮からの声の指示のもと、下層の廃棄場からかき集めた素材や部品で造った身体を、「神の子」の魂の受け皿にするってこと。


 頭の中に響く単語や数式は、私には理解できないことばかりで、通訳するのも大変だったけど。それでも何とか言われた通りの器を作り上げることができた辺り、ドクターもちょっとした天才だ。それほどの頭脳と、心配になるほどのお花畑な理想論。一方で、手際よくテロリストを射殺していった冷静さ――それに、他人のために人生を捨てられる潔さ。その全てが一人の人間に同居してるなんて、世の中はやっぱり分からないことで一杯だ。


 とにかく、それで子供たちは本当に助かった。胎児の魂は、今度こそ自分の肉体を独り占めできるし、「神の子」も人殺しにならずに済んだ。これがほんとの機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ、ってとこね。「神の子」が羊水に浮かびながら考えた理論は見事に成功したって訳だ。それはつまり魂をデータとして解析しちゃったってことで――すごい大事な気もするけど、怖いからあまり考えないようにしてる。うん、私に分かるはずもない、手に余ることなんだろう。


 だから、このアンドロイドこそが私の子、ってことになる。私がこっそりと思い浮かべていたような、天使みたいな男の子の姿。滑らかに動いて子供みたいにお喋りするのは、ドクターの技術が凄いからっていうのもあるけど、本当にいるからだ。お世話になってる下層の人たちにも言ってないけど、出産直後の私を労わって、赤ちゃんに目を細める優しさはプログラムじゃない、本物の感情だ。「生きもの」の定義は何かってことも私には分からないこと。ただ、この子がそうだってことには誰にも文句を言わせない。


 ――赤ちゃん、可愛いね。……私がこの子の中にいたと思うと不思議だけど。


 精神感応テレパスで呟きながら、樹脂の指先がそっと赤ちゃんの頬を撫でた。そうだね、私にとってはあんたの存在も不思議だけどね。実験とか、「神の子」だからとかじゃなくて、自分と同じくらい大事な存在ができたってことが。


 第二天ラキアでちょっとだけ会ったもう一人の「神の子」には、そんな存在がいないのかしら。代理母は手足として乗っ取ってしまって、仮の両親とも多分ちゃんと話をしていないで。私たちが見つかっていないのは、あいつの言葉通り、ライバルを蹴落としたつもりなのか――それとも、見逃してくれてる、なんてこともあるのかなあ? 私の子の、最後の伝言がちゃんと届いていれば良い、と思う。


 だって、病院の事件の少し後で、その騒ぎに隠れるようにひっそりと報道された記事を、私たちは見た。

 代理母のひとりが、第七天から姿を消した、って。病院のテロにも居合わせた女性だから、テロリストのスパイだった可能性や、ショックによる錯乱も疑って捜査中、って。

 情報提供を呼び掛けて、の名前と容姿も公開された。私もはっきりと覚えている、あの可愛らしい顔は階層を越えて人類の活動範囲全体に広報されて、でもまだ彼女が捕まったとか見つかったとかいう話は聞いていない。

 ただの代理母に、それだけの捜索の手を逃れることができるはずはない。だから──代理母を乗っ取ったの意思と思って良いだろう、と私たちは見ている。彼女の主治医でもあったドクターの話によると、あいつの遺伝上の両親は研究者ではない、実業家なんだとか。それも、政界への進出も視野にいれてる、っていう。資金的な援助を得ての実験だったのか、「神の子」を人類のトップに手っ取り早く送り込もうと、どこかの研究者の方からアプローチしたのか。第七天の闇の深さを思うと、眩暈がしちゃう。


 ──あいつは、どうしてるんだろうね……。


 生まれたての赤ちゃんから指先を離して、「神の子」が精神感応で呟いたのは、私の思考を読み取ったらしい。無垢な赤ちゃんに触れながら考えるようなことじゃないもんね、ほんと。


 そうね、あいつはどうしてるのかしら。何不自由なく人類の上に君臨できるであろう立場を捨てて、どこで何をして、何を考えているのかしら。私には祈ることしかできないんだけど。あいつも、うちの子と同じ結論に達してくれれば良い、って。胎児の本来の魂が潰されてしまう前に、どうにかするために出奔したなら、って。それだって、代理母の子にはすごく気の毒なことではあるんだけど。でも、そう考えてくれたなら、「神」の力が悪いように使われることはないんじゃないかしら。

 それに、あいつだって子供だしね。道を踏み外すよりは、人の命の大切さとか──考えるのさえ恥ずかしいけど──思いやりとか優しさを、身に着けてくれれば良いなあ、って。別にあいつに義理がある訳じゃないし、テロを仕組んだのは許せないんだけど。もしかしたらうちの子もあんな風になっていたかも、と思うとちょっとだけ可哀想に思う。それに、あいつが生きてる限り、人類に何をするか分からないって不安もあるしね。まともな感覚を身に着けてもらわないと私たちが困る。


「でも、あんまり考えても仕方ないでしょ」


 考えてると、どんどん黒い渦に巻き込まれてしまうような気がして、気が滅入る。だから、私は疲れを無視してできるだけ明るい声をあえて出した。あいつが何かするなら、それはその時のこと。また会うかどうかも分からないし、無数のもしも、を心配したって意味はない。

 何よりも、私が気に懸けるべき存在が、目の前にいる。私はこの子のことで手いっぱいだし、頭の中も我が子のことでいっぱいだ。


 ――この子の命名は本当の親――イーファたちに任せるのでしょう? 私にも名前をつけてよ。私がマリアの子供なんだから。


 恥ずかしそうな、それでいて思い切った申し出から、温かい感情が流れ込んでくる。声を合成する機能も搭載しているのに使わないのは、疲れてる私を気遣ってくれてるらしい。ああ、何て良い子!


 うん、考えなきゃね。いつまでもあんたなんて呼んでたら可哀想。ドクターにも相談して良い名前をつけてあげよう。あんまり派手なのはヤだけど、ちゃんとした意味とか由来を込めてあげて――


 ――それだとドクターがパパみたいだよ。


 ……たまに変なことを言うのは相変わらずだなあ。私がドクターにしたことって言ったら……あそこもばっちり見られてるし、ゲロ吐きかけたし、陣痛の間も色々言っちゃいけないことを言ったような……あまりよく覚えてないけど。

 まあとにかく、そこから何かあるにはあまりに酷いというか情けない関係だ。


 ――でも、一緒に暮らすでしょう?


 そりゃ、私にはあんたのメンテナンスができないもん。身体が回復して、仕事を見つけるまではお世話にならなきゃだろうし……。

 この子の「肉体」を組み立てたのはドクターだ。私は、精神感応で伝えられる単語を訳も分からず鸚鵡みたいに繰り返しただけ。鸚鵡とか見たことないけど。だから、この先パーツの交換が必要な場合に備えて、私も追々やり方を教わらなきゃいけない。作っているのを傍で見ていた感じだと、私にできるのかとっても不安なんだけど。


 ――うん、それもだけど、近所の人たちの目もあるし。


 あ、それもあったね。


 近所の人やドクターの患者さんからは、この子はドクターが作った何かすごいロボットだと思われてる。実は生きてます、なんて言ってもややこしくなるだけだし――あれ、ということは私もドクターから離れられないのか。この子を放っといて私だけ出ていく、なんてできないしなあ。


 ――まるで聖家族みたいだね。


 あは、マリア様とイエス様、それからヨゼフ様ってこと? まるで第七天の人たちみたいな強気な喩えね!


 ――だって、普通じゃない家族だから。


 家族って……うーん、ママだけじゃなくてパパも欲しいお年頃なのかな? 難しい時期だなあ。

 ま、あんたのパパのことは追々考えるとして。マリア様とか聖家族とか、そんな喩えは止めよっか。


 ――気に入らない? 畏れ多い? マリアがそんなこと言うなんて意外。


 ふふ、自称神の子ほど傲慢にはなれないかな。でも、それだけじゃなくて――


 私は不思議そうに首を傾げる我が子の頬をそっと撫でた。作り物の皮膚の感触。でも、その中にはちゃんと魂が宿ってる。とっても賢いけど、まだまだ子供の魂。だから、私がちゃんとママをやってあげなきゃ。

 私に伝えられるか分からないけど――私の子宮に新しい命を受け入れてから、今日までの間に学んだことを、触れた指先から伝えたいと強く思う。


 地上は人間のものだってこと。


 神様に頼りたくもなるような悲惨な世界ではあるけど、でも、それでも生きていくのは私たちだから。

 代理母になることを選んで、「神の子」を名乗る胎児の声に耳を傾けた。第七天は思った通りの楽園ではなかったし、ドクターの理想論にも、テロリストのふざけた理屈にも腹が立った。その時その時の私の選択、私の思いを、偉い神様なんかにあっさり解決なんてしてもらいたくない。


 ――マリア……親孝行、させてくれないの……?


 ありがと、でもその前に私があんたを守ってあげる。


 人工筋肉で器用に寂しそうな表情を浮かべた子の、今度は髪を撫でてあげる。この子の存在が世間に知られたら、利用されたり狙われたりするんだろう。神の恩恵に与ろうってだけじゃなく、あのテロリストどもみたいに存在自体が許せないっていう連中もいるだろう。


 そんな世界からこの子を守るには――神なんていらない世の中にすれば良い。


 世界を変えるだなんて大事、この子一人が背負うことじゃない。子供のためにより良い世界を創るのは、親のやるべきことだと思う。

 だから、私は聖母マリア様なんかじゃない。ただの人間で、ただの女――ただのひとりの母親だ。でも、愛しい我が子のためだったら。この汚い世界でも生き抜いてやるし、何なら変えてみせたって良い。

 自分さえ良ければ良いと思ってた私が、随分と変わったもんだと思う。でも、悪い気分じゃない。この子と会って、親になって、すごく強くなれたと思うから。お金目当てで始まって、全て私の意思でこうなったことではないけど――


 あんたに会えて良かった。私のところに来てくれてありがとう。


 腕を伸ばして、子供を抱きしめると、ぎゅっと抱き返してきた。金属や樹脂でできた、硬くてひんやりした身体だけど、私にとってはこんなに愛しい。

 この愛しさと幸せ。胸の底から湧き出す温かい想い。この想いとこの子がいれば、この先何があっても前に進めるような気がした。

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マリア様は胎教中! 悠井すみれ @Veilchen

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