第36話 生誕
病院での惨劇と手に汗握る
「痛い痛い痛い……っ!」
話には聞いてたけどほんと痛いのね。こう、身体が骨から軋むような。骨盤でしっかり守ってる胎児を出そうっていうんだから当然なんだけど痛いものは痛い! 思わず泣き言も飛び出すくらい。
「痛いのやだぁ怖いいいぃいぃいい!」
「あんた母親でしょうがしっかりしなさい!」
と、すかさず横からどつかれる。下層のおばちゃんは、容赦ないんだ。
第七天から堕ちてきた私たちが、この下層でそれなりに居場所を得ることができているのはちょっと不思議かもしれない。
「第七天で無痛分娩になるはずだったのにぃ……!」
ホルツバウアー家のそれとは比べるべくもない、硬くて狭いベッドの上でのたうち回りながら、私は呻く。
多分、セックス経験なしでいきなり出産、ってのも良くないんだと思う。あそことか諸々こなれてないってことだから。それは最初から分かりきってたことだけど、最新設備に囲まれて最高のドクターに診てもらうんだから大丈夫だろう、って自分に言い聞かせてた。でも、いざとなるとこの有り様だよ!
経験者のおばちゃんやお姉さん、ドクター・ニシャールの指導の下、ありとあらゆるマッサージやストレッチを試してはきたけど……全然効いてるように思えないんですけど!?
「マリア、落ち着いて。最善を尽くすから」
「まず衛生状態が最善じゃないじゃん!」
主治医は相変わらず第七天で最高の教育を受けたドクター――とはいえ、ここは設備の整った病院じゃない。というか病院ですらない、ちょっと大きくて部屋が余ってるだけの一般家庭だ。ベッドは以前の住人が使ってたのをそのまま使ってるし、薬も器具も、第七点に比べれば全然足りない。衛生状態も、良くない。そりゃ、あの時テロリストの闇医者に堕胎させられそうになったのに比べれば遥かにマシなんだけどさあ。
「馬小屋よりは清潔だろう」
「私は
ドクターってば、冗談でリラックスさせようとでも思ったのかしら。全然効果はないけどね! 痛みを紛らわせるためもあって、不遜な
「しゅ、出血とかしたら……? 絶対大丈夫って言ってよぉおお!」
「……落ち着いて。皆やってることだから。呼吸法を思い出して」
ドクターの呆れた目が突き刺さる。だから処女で代理出産なんて賛成しなかったのに、とでも言いたげ。うん、私が甘かったと思う。予想外のことが色々起こったにしてもこんなに痛いとは思ってなかった。……だからどうにかならない?
えー……色々と聞き苦しい・見苦しいところは割愛します。思い出したくもないからね。私の母親もこの痛みを乗り越えて産んでくれたんだなあ、と思うと、大した思い入れもない相手のことも、ちょっとは尊敬しようかな、って気にもなる。世の中のお母さんって、皆すごいのね。裏を返せば、第七天のエリートさんたちが外注に回したがるのも改めて納得できちゃった。これは命を削るわ。
とにかく。何回かもう死ぬかとも思ったけど。何とか無事に出ました! 玉のような男の子です!
ドクターのお陰か、お湯を沸かしたり励ましたり、たまにどついたりしてくれた産婆のおばちゃんのお陰か。母子ともに健康、とのこと。ああ、健康って素晴らしいなあ。私にとって五体満足な身体は資産で売り物だったけど。何ていうか切り売りするんじゃなくて生産的なことのために使えたっていう実感がこうこみ上げて……胸が、一杯になる。
「可愛いわねえ」
「こんな綺麗な赤ちゃん見たことないわ」
「さすが『上』のお子様は違うのねえ」
ぐったりと横たわる私の枕元では、近所のおばちゃんやババアやお姉さんが入れ替わり立ち代りやって来ては赤ちゃんをつつき回してる。私は、他人の赤ちゃんなんてろくに見たことがなかったけど――経験豊富な方々も褒め称える可愛い赤ちゃんだってことに、ちょっと誇らしさを覚えている。いや、私の子じゃないんだけど。でもお腹を痛めたってやつだからね。
近所の人たちには、代理母に採用されたと思ったら胎児ごと人体実験をされるとこだった、って説明をしてる。同情したドクターが助けて匿ってくれたの、って。隠し事をする時には真実を混ぜろってヤツで、皆信じてくれてるみたい。それも、皆が親切な理由の一つだし、ずっとここで育てれば良いって言ってくれる人も多いけど――
私は、この子をいずれ本来の両親のところへ返すつもりだ。
病院での惨劇は、沢山の人、沢山の家庭を巻き込んだ。私の前にあの部屋に連れて行かれた代理母の中にも結局亡くなってしまった
ホルツバウアー夫妻は、その中でもある意味一番悲惨な被害者だったかもしれない。あの二人の研究も、そもそもの発端のひとつではあるんだけど、それを割り引いても、お父さんとお母さんとしてとても可哀想なことになっている。だって、彼らの赤ちゃんは私ごと消えてしまったんだから。テロリストに――報道によると、やっぱりドクターも一味ってことになっちゃってるけど――攫われて、生きているのか死んでいるのか分からなくて、でも諦めることもできなくて。
『どんな姿でも良い、あの子を私たちのところへ返して!』
ニュースで何度も流れた映像が頭に蘇る。涙ながらに訴えるイーファさんも、それを支える憔悴しきったアロイスさんも。綺麗な人たちだけにそれは痛々しい姿だった。あの人たちも、結局はただの人間で、ただのお父さんとお母さんだった。そう、分かってしまったから。私のことも、忘れないでいてくれたし。
『マリアは何も悪くないのに!』
もちろん、カメラ向けの演技も多分に入ってはいるだろう、とは思う。テロリストがピンポイントで私を狙ったのは、お腹の「神の子」のせいじゃないか、って想像するのは当然だろうし、もうひとりの「神の子」の両親というか造り主に、詰め寄ったりもしたのかもしれない。きっと、政治的な駆け引きってヤツが、陰では色々あったことだろう。
でも。それでも、赤ちゃんだけじゃなく私に言及してくれたことは嬉しかった。レンタルの子宮としてじゃない、人間としての私がいることを忘れないでいてくれたってことだから。嬉しくて――それ以上にとても申し訳なかった。本当の誘拐犯は、私自身な訳だから。
二人の悲嘆は、演技だけでないと思いたい。実験体、あるいは丹精込めた人造の「神」が失われてしまった嘆きではなくて、我が子を奪われた心からの悲しみだったら良い。それなら、赤ちゃんを返しても、ひどいことにはならないと思うから。この赤ちゃん、下層の女たちがこぞって見蕩れる綺麗な子、肉体的にも頭脳的にもきっと秀でた完璧な子は、それでも優れているだけのただの人間の子だから。第七天の普通がどんなものかは知らないけど、家族が一緒にいられるってことは、それだけで幸せなことだと思う。多分。きっと。
私は、この赤ちゃんを育てるために子宮を貸してただけだ。病院のテロで、誘拐されてレイプされて死んだと思われて、市民IDを失くしてしまった身だから、この子は本当の親のところで育った方が良いんだろう。
テロリストが持て余して捨てたのを、
――マリア、お疲れ様。
ありがと。何とか産んであげられたよ。
頭の中での会話も、もうすっかりお馴染みになった。最初は、私の妄想なのかって疑ったもんだったけど。今では、口を動かさなくて良いなんて楽だわ、なんて思ってる。
――みんな帰ったよ。私にも赤ちゃんを見せて。
言いながらひょい、と私の顔を覗き込んだのは――子供の姿のアンドロイド、にしか見えない存在だった。
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