第35話 愚かな神
くすくすと笑う
代理母の募集要項に、容姿を問う項目はないはずだ。でも、ホルツバウアー夫妻と同様、こいつを造った研究者も「神の子」に相応しい容姿の「子宮」を探したんだろう。私程度よりも、ずっとシビアな基準で選ばれたのかもね。得意げな笑みを浮かべるこいつの顔は、確かに整ってはいるから。普通にしていれば可愛いとも思うのかもしれないけど、自信に溢れすぎた表情からは傲慢さしか感じない。まさに神様気取りってヤツ。それも、人間の運命を弄んで天上から眺めて楽しむタイプの神様だ。……ムカつく。あんまりムカつくから、ドクターの後ろから顔を出して口を挟んじゃうくらい。
「それで? ここには何しに来たの?」
「別に。どんな気分? って聞きに来ただけだよ。代理母――肉体の入れ物の、その更に入れ物に大分ご執心みたいだったからさ。
人間風情の質問に対する答えは、最初から変わらず嘲りに満ちたもの。でも、それを聞いて私の怒りは燃え上がる――どころか、風船から空気を抜いたみたいに萎んじゃった。
「何……? 何言ってんのよ」
だって訳が分からないんだもの。私と、私の子をバカにしてるのだけは伝わったんだけど。手足の確保、っていうのは自分みたいに代理母を乗っ取っておけば、ってことよね? こいつは、そうやって日頃から好き勝手歩き回ったりしてたのかしら。それは、黙って羊水に浸かってるよりは賢いやり方だったかもしれないけど、どうして私に言うんだろう? 私の子は、そんなことしてないっていうのに。
「だから……ほんとバカだな……っ!」
可愛らしい雰囲気の女の子が舌打ちをする。乗っ取った神の子が意外とガラが悪いのか、この子がもともとそういうタイプの子だったのかしら。ちゃんとした肉体、はっきりした表情がある相手と話すのって、
「私の真似をしてるんだろう? 好きに動けるのが羨ましくて、そのマリアを操ってみることにしたんだろ? でも、遅かった! テロからも、ドクターからも逃げられなかったじゃないか。もっと最初から力を使って、情報を集めてればこんなことにはならなかった!」
――マリア、こいつ勘違いしてるみたい。
戸惑うような胎動が伝わってきた。私のお腹にいる方の神の子が、驚いている。自分と同じような存在に対面したからでも、ハメられたのに気付いたからでもない。というか……今の状況は、ハメられたって言えるの? こいつは、私にも赤ちゃんにも害を加えるつもりじゃない。ただ、嘲笑いに来ただけ、みたい。でも、嗤われても全然悔しくない。だって、こいつが言ってるのは的外れも良いところなんだもの。
「えっと……私、ドクターに頼んでここまで連れてきてもらったんだけど? 無理矢理じゃ……全然、ないわよ? もちろん、あんたのきょうだいも同意の上で、話し合って決めたことよ」
「……は?」
もう一人の「神の子」は、うちの子よりはるかに先を行っていたのかもしれない。力の使い方も、情報の使い方も。さっき、病院で通してもらえたのだってこの子の差し金だったのかもね。私が「保護」されちゃマズイから、計画通り下層にちゃんと抜けられるように、って。でなきゃ、都合良くここに現れることはできないだろう。こいつは、賢いし狡いし色んな意味で優れている、のかもしれない。でも――
「……ふふ……」
綺麗な子の、ぽかんと目と口を開けた間抜け面を見るうちに、思わず、笑い声が唇から零れていた。
うん、そうだね。こいつ、バカだね。勝ち誇ってるつもりかもしれないけど、何て間抜けなことだろう。自分が誰と話してるかも分かってないなんて。自分と同じ存在、自らきょうだいと呼んだあの子の考えを、これっぽっちも分かろうとしないなんて。死んでしまった子まで口に出して……。あの子だって、こいつと同じことができたかもしれないのに。その上で、代理母の意思を尊重したかもしれないのに。
そんなことも思いつかないなんて。やっぱりこいつらは赤ちゃんでしかないのね。知識があって知能が高くても、『神の子』気取りだとしても――
「意外と何にも分かってないのね」
「……なんだよ」
くすり、と。思わず小さく噴き出してしまうと、操られてる代理母の、整った眉が吊り上がった。この子は、自宅ではどんな風に振る舞ってるんだろう。胎児の肉体の、遺伝的な両親のことを、どう思ってるんだろう。『両親』に対しては正体を明かしてる、ってことはなさそうだな、って何となく思った。普通の人間なんて見下して相手にしないで、代理母に対応させてるのはありそうだし、第一、少しでも他人と接していたらこんな幼稚な考え方にはならないはずだもの。あら、そう思うと私ってちゃんと胎教できてたのかも?
とにかく、このお子様にはひと言言ってやらないと気が済まない。私はドクターの後ろから足を踏み出すと、さっきの相手さながらに余裕の笑みを浮かべてやった。
「私は私よ。あんたが入れ物って言った、代理母のマリア・チャーチ。あんたのきょうだいじゃないの。私は私の意思で、子供たちを助けるために天国から逃げ出すの。っていうか、この子こそ私を説得したの。赤ちゃんの命のために、って。あんたみたいに私を操ることができたのに、そんなことは思いもしないで! どう? 良い子でしょう?」
――マリア。
「マリア。刺激しない方が良い」
子宮から頭に響く声と、鼓膜に届くドクターの声。ふたりの声に宥められる。頭の隅に、これはヤバいかな、って不安が過ぎる。テロリストを怒らせた時みたいに、ちょっと自分を抑えられなくなっちゃったかも。
今回は、銃を向けられるのでは済まないのかもしれない。「神の子」たちの普通じゃない能力がどれほどのものか、全容は分かっていないのだし。癇癪でも起こされたら、赤ちゃんが泣き喚くのと同じって訳にはいかないだろう。代理母の身体にどこまで深く――って表現が適当かは分からないけど――入り込んでいるのか、顔を赤くして唇を歪める相手と向き合うと、お腹を庇う手にも力が籠る。
「……そんなの、ただのバカだ。思ってた以上の! わざわざ好き好んで下層に行くのも、入れ物の命を気にするのも! そんなの……負け惜しみだろ? 私にしてやられて悔しいんだろ!」
ああ、でも、足を踏み鳴らすこいつの姿はまさに子供の地団駄でしかない。私や子供たちに何かするって発想すら浮かんでないみたい。追い払った相手を嘲笑おうってつもりでしかなかったものね、この子の浅い経験では、予期せぬ事態には対応できないってことかしら。
「……今の気分を知りたいから来たんだったよね? 答えてあげたから通してくれる?」
じゃあ、混乱から立ち直られる前に行かなきゃ。後ろからは追手も迫っているかもしれない。こいつも、怒りに任せて私や赤ちゃんに何かしようって、思いついちゃうかもしれない。
「マリア。私が先に行く。後ろへ」
ドクターも、我に返ったかのように私の腰を抱くと、そろそろと通路を進む。お腹の胎児は大丈夫か心配になるくらい、顔を真っ赤にして全身を震わせて立ち尽くす、見た目は綺麗な女の子の横を、抜けて。
「お前はバカな負け犬だ。最下層で野垂れ死ね……!」
通り過ぎる瞬間、吐き捨てられた言葉こそ負け犬の遠吠えだったんだろうけど。もちろん、わざわざそんなことは指摘する気になれなかった。
――マリア。あいつに、私からの言葉も伝えてくれる……?
ええ、一応はきょうだいみたいなものでしょうからね。でも、通路を曲がってあいつの姿が見えなくなる、最後の最後のギリギリの瞬間に、ね。それでも安心かは断言できないんだけど、あんたが言いたいことも分かるから。
「私の神様からの伝言よ。代理母と胎児の命を助ける道を考えてあげて。神様を名乗るつもりなら、人間のひとりやふたりくらい救いなさい、って。……できないなら、あんたは私が知ってる『神の子』の中でも一番のバカよ。うちの子や、死んでしまった優しい子よりも、ね」
ドクターの腕の中で身を捩って、私はかなりの距離の向こうにいるそいつに告げた。もう、振り返っても表情は分からない。でも、とりあえず私たちを追いかけようとはしていないようだった。
「バカ……! さっさと行ってしまえ……」
ええ、もちろん。私たちは行くの。あんたの声がどこか寂しそうだからって、戻ってあげる義理はないわ。私の子供は、この子だけなんだから。
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