第34話 ふたりの神の子
例によって、
「マリア、降りて――歩けるか?」
「大丈夫です」
だから私は、とりあえずの目的地に着いたのをドクターがドアを開けたことで知った。
――マリア、本当に大丈夫?
初めて第七天の外に出たことになる「神の子」は、さすがに好奇心より不安が勝ったのかもしれない。私を気遣う声はちょっと弱々しく、怯えてるのかな、って感じがした。だから、私は強気なところをみせて励ましてあげる。そっと、お腹を撫でながら。
大丈夫だってば。大きいお腹は歩きづらいし、転びでもしたらどうしようっていう緊張も、病院での銃撃戦からの心身の疲れもそりゃあるけど。私にとっては、この辺のちょっとくたびれた感じの方が落ち着くの。それに、あんたと、あんたが押し潰しちゃうっていう赤ちゃんの魂を助けるためには、こうするしかないんだから。黙って運ばれてなさいな。
といっても、私もドクターに従って進むしかないんだけど。
「『裏』のルートって、どういうことですか?」
階層エレベーターも、第七天とこの辺りじゃ綺麗さが違う。全体的にくすんだ雰囲気の廊下を、私の手を引っ張って早足に進みながらドクターは短く答える。
「流通用の巨大エレベーターがあるだろう。それに便乗させてもらう。もちろん、検査で見つからないように話を通しておく必要があるが」
「賄賂みたいなこと? そんなこと、できるんですか……!?」
「あちらにも後ろ暗いことがある訳だからね。聞いてもらうさ」
地球上に積み重ねられた階層を行き交うのは、もちろん人間だけじゃない。食糧や燃料なんかも、余ってるところから足りないところへ、生産地から消費地へ運ぶ必要がある。それぞれの階層での、平面での流通に加えて、階層の間でも大規模なモノの移動が、上下方向に行われているはずだ。その巨大エレベーターの運用に従事する人たちだっているし、中には密入国の幇助に手を染めようって人もいるだろう。入国というか、入層とでも言った方が良いのかな、今の時代は国境の概念はあんまり意味がなくなってるから。どの国も、下の方の管理は適当で、下は下でのルールがまかり通っているから。
とにかく──病院を襲ったテロリストどもも、もしかしたらそうやって第七天に上がってきたのかもしれない。
「ドクターもやったことがあるの? 伝手があるとか?」
「いや、私は正規の方法だったが。――教えてくれた存在が、いる」
私たちは今、関係者向けっぽい、施設の壁の裏側の通路に入り込んでいる。
そっか、ドクターは裏のルートなんて使う必要なかっただろうね。 でも、存在って? 人じゃなくて存在って、どういうことだろう。それって、ドクターに「神の子」を造り出す実験を教えたのと同じ人なのかしら。テロリストなんかじゃないのは分かってるけど、この人の情報源も気になるところ。落ち着いたら、聞いてみたいけど――
「そう。『私が』教えてあげたんだよね。」
「え?」
ドクターじゃない声が答えて、私は思わず間抜けな声を上げてしまった。
顔を上げると、私たちの前に人影が立ちはだかっている。見つかった、って身体が竦んだのはほんの一瞬のこと。人影の細さ、声の穏やかさに違和感があって、私は目を凝らす。女性がこういうところにいるはずはない、って思ったら偏見かもしれないけど。この声、前にも聞いたことがなかったっけ?
「君が――君も、そうだったのか」
私の一歩前を行っていたドクターが足を止めたから、背中にぶつかりかけてしまう。ドクターの陰から顔を覗かせて、声の主をしっかりと目に入れようとする。すると――声だけじゃない、その姿もまた、私には確かに覚えがあった。
「ドクター・ニシャールにはこの子とこの身体がお世話になったよね。そこの、私のきょうだいも。最後になるだろうから、挨拶を、って思ってさ」
ありがとう、と。その子は笑って言った。大きなお腹に目を落として、膨らみをそっと撫でる姿は、慈愛に満ちた聖母のそれにも見えたかもしれない。でも、絶対に違う。そんな綺麗な図じゃないのを、私は知ってしまっている。
「あんた……!」
だってこいつ、病院で私に絡んできた子だもの! 雇い主が知り合い同士だからって馴れ馴れしくお腹に触ろうとなんかしてきた。つまりは、私と同じく子宮に「神の子」を植え付けられた子だ。後から聞いたことだと、あの失礼な態度の時は、お腹の中の子供に操られていたらしい。
じゃあ、今だってそうじゃないの? 偏見だろうけど、代理母になるような子って大体こんなにしゃきしゃき喋らないし。私のきょうだい、って。同じように「神」になるべく造られた存在、って意味なのかしら。
ドクターが軽く手を広げて、私とその子の間に立ち塞がる。そうだよね、こんな第七天から大分下ったところに、それも先回りでいるなんておかしい。顔はにこにこ笑ってても、友好的な相手かどうかなんて信じられたもんじゃない。そこら辺の女の子にしか見えない姿は見た目だけ、こいつの微笑みは、イーファ女史にそっくりだ。相手を自然に見下して、上からお言葉をくださる態度だ。それを、私だけじゃなくドクターに対してもしているからこそ、こいつも「神の子」なんだと理解させられる。
「……研究者の間でも競争関係があるんだと思っていたよ。私が下層に目を向けてるのは察している者も多いだろうし。ライバルの研究成果を、盗ませようとしているのかと」
「テロリストたちもそう思ってたみたいだね。だからまんまと私が流した情報に乗った。でも、ドクターにとっても良いチャンスだったでしょ? 貴方ならヤツらを出し抜くだろう、脱出の機会を見逃さないだろうと信じてたよ。だから教えてあげたルートの先でこうして待ってたんだ。わざわざ通信の傍受までしたんだよ?」
身構えながらドクターが言ったのは、私への説明でもあったんだろう。こいつが、ドクターの情報源で、でも、自分が何者かは言ってなかった、ってところ? ドクターは私に対するのと同じようにこの女の子だかその子を乗っ取った存在だかを診察したこともあるんだろう。
ドクターと話す機会がなかったことが本当に、本当に悔やまれる。こいつも
「……なんで、そんなことをしたのよ」
そして――こいつは、テロリストに対しても同じことをした。私の存在を教えて、奴らの狂った正義感を煽り立てた。あいつらが撃ち殺されたのは自業自得かもしれないけど、女の子たちや赤ちゃんたちについては違うはずだ。第七天の研究者の間で、どんな競争があるのかは知らないけど――人の命を奪う理由になるとは思えない。
思いっきり睨みつけて、低い声で問い質してやったのに、相手が怯んだ気配はなかった。それどころか、私の反応が愉しいとでも言うかのように唇がきゅっと弧を描く。
「私にとってもライバルだからね。神は唯一にして絶対って言うでしょ? 同じレベルの存在が何人もいたら邪魔くさいじゃない」
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