クローン保険

真花

クローン保険

 最新の保険があると言うので話を聞いてみることにした。

 自分でも多少悪趣味だなと思う程大きな肖像画、もちろん私の、が暖炉の上にある広い応接室。約束の時間の五分前に我が家に到着したと使用人から連絡が入ったのでそこで待って貰った。

 定刻に部屋に入ると、上背のある柔和で誠実そうな男性がスーツ姿で気を付けをしている。

「はじめまして、クローン保険の鳴海と申します。本日はわざわざ貴重なお時間を割いて頂きありがとうございます」

 深々と礼をする。

「どうも、遠藤です。どうぞお掛け下さい」

「では失礼して」

 向かい合って座る。鳴海は穏やかな顔をしたまま、もう一度黙礼をする。

「早速、弊社の保険についてご説明させて頂きますが、よろしいでしょうか」

 そのために来たのだ。当然いい。

「弊社の保険は、これまでの金銭による保証と大きく異なる、現物支給を行っております」

 ほう。初めて聞く方式だ。

「例えばスマートホンに保険を掛けたならば、それが壊れた場合には同じスマートホンを。テレビならテレビを。そして家も、掛け金は高くなりますが、可能です」

「つまり、何に保険を掛けるかによって値段が変わると言うことですね」

「そうです。かなりのものに保険を掛けることが出来ます」

「だが、保険金を貰って新しい物を買った方がいい、そう言う考え方もあるんじゃないですか?」

 鳴海は深く頷く。流石聡明でいらっしゃる、と言われたような気がした。

「ですが、元のものの方がいい場合もあります」

 そんな物あるかな。家だって新しく建築出来るならそうして欲しい。あ、一点物とかの場合か。後宝石。どうするんだろう、そう言う場合。

「ただし、世界に一つしかない物などはどう作ってもレプリカになってしまいますので、保険の対象外とさせて頂いております」

「じゃあ、何が、元のものの方がいい場合なんですか」

 鳴海は黙る。営業が黙るときには、必ず意味がある。こちとら百戦錬磨だ、そう言うテクニックで揺れたりはしない。

「今日、遠藤社長をこちらで選ばせて頂いたのは、ここからの話をするためです。失礼ながら遠藤社長の資産などを予め調査させて頂いております。その上で、これから話す保険を考慮頂ける可能性があると考えました」

「つまり、超高額な保険、と言う訳ですね」

「その通りです」

 また黙る。分かっていても少し、引き込まれる。

「それは何なのですか」

「元のものの方がいいもの、それは人間です」

 何を言っているんだ。人間の保険? そんなこと出来る訳ないだろう。

「私達のテクノロジーで、人間の保険が可能となりました。システムはこうです。まず被保険者様から遺伝情報を頂き、クローンを作成します。現在の被保険者様の年齢まで急速育成で追い付かせます。およそ一年で十年育ちます。なので、まず年齢に追い付くまでは保険の免責期間になります」

 今私が四十三歳だから、四年ちょいは待ち時間になると言うことか。

「次に、ここからが弊社の独自のシステムなのですが、ご本人様に半年に一度弊社のセンターに出向いて頂き、クローンに人格と記憶と能力をインストール、及びアップデートして頂きます。これにより、保険適用となった場合に最長で六ヶ月間の空白が生まれると言う点以外は、元の被保険者様と同じ人物を提供することが可能になります。もちろん、より頻繁なアップデートも受け付けております」

「つまり、同じ肉体に、同じ人格やらを詰め込む、それで同じ人間になりました、と言うことですか」

 鳴海は人差し指を、ビッと立てる。

「その通りです。遺伝情報が同じ上にそれらを載せれば、同じ人になります。ただ、空白の時間だけは埋められません。その点はご了承ください」

 遠藤は理論的には合っていそうなこの話に、胸の内がドス黒くなる感触を受けた。それが顔に出たのだろう。鳴海が重ねてくる。

「部分の交換も可能です。例えば腕が吹っ飛んでしまった場合には腕を付け替えることも出来ます。付けるところは医療の技術が発展したので可能になったのですが、付ける元の提供は弊社独自のシステムです。なお、交換した部分についてはちゃんと再育成しますので、多少のお時間を頂きますがご心配には及びません」

 そう言うことじゃない。

「私は何となく、その保険は遠慮したいですね」

「以前、この保険に入られた方で、息子さんを被保険者とされていました。悲劇の交通事故があったのが免責期間の後だったのが幸いして、五歳の息子さんは、死を越えて再びご両親の腕に抱かれました。そのご両親が涙ながらに『クローン保険に入っていてよかった』と仰られていました」

 脳裏に娘の顔がさっとよぎる。遅く出来た一人娘の優子はその事故の子供と同じ五歳だ。でも。

「帰ってきた子供が、同じ自分の子供と思えるのですか?」

「もし保険に加入されて、アップデートの日の夜に娘さんとクローンを入れ替えても、気付かないと思います」

 そんなことはない。私は優子だけはあの子本人だと分かる自信がある。

「それに、周囲の人はそんなことは気にしないと思われます。例えば遠藤社長が保険によってクローンに入れ替わったとして、周りの方は社長が社長であると言う役職面や能力、そして見た目でそのクローンが本人かどうかを判別するでしょう。周りには何の不便がありましょうか」

「私がクローンと入れ替わると言う想像はするだけで不愉快です」

 遠藤が徐々に語気が荒くなっているのに対し、鳴海は全く姿勢を変えないし、言葉の勢いも変わらない。

「保険は遺された者のためのものだと言う考え方もあります。急に死んでしまった誰かがそのまま鬼籍に入るのと、その人が遺したことの続きを同じ姿、同じ人格、同じ能力で継続出来る人がいるのでは、後者の方が遺された人にとっていいのではありませんか?」

「倫理的にどうなんですか」

「テクノロジーと倫理の間には文化があります。この案件は、まだ文化の入り口に立った段階です。倫理が追いつくまではまだ時間がかかります。そして弊社としては倫理は私達の事業を受け入れるだろうと予測しています」

 絶対に嘘だ。倫理からの規制が入る前に既成事実を積み上げると言う戦略だ。上手く政財界の人間を顧客に出来れば生き残りは容易だろう。特に、機密秘密の多い仕事であればあるほど、話しても大丈夫な刺激的な話題は水を撒くように広がる。一度広がれば、政財界は落ちたも同然になる。何故なら、人間のクローン保険は年単位での準備が必要なもので、既にした投資を無駄にはしたくないからだ、誰しも。

 遠藤は自分の息が荒くなっていることを自覚する。務めて治める。

「魂だ。魂が別の肉体には継がれない。だから、クローンはクローンであり、偽物のそっくりでしかない。そうでしょう?」

「魂の証明は出来ません。もしあるとするならば確かに、クローンには別の魂が入っているか、入っていないか。それでもそれ以外は全て同じです」

「鳴海さんも、自分のクローンが居たら気持ち悪いと思いませんか?」

 鳴海は顔色一つ変えない。

「いえ、私もクローンですので」

「え?」

「私は十五人います。便宜上名前は変えていますが。私は鳴海十三です」

「やっぱりクローンには魂が入ってない。あなたを見れば分かる。他の全てが同じに出来ても、そこだけは替えられないんだ」

「そうかも知れません。でも、証明は出来ません」

「人は、替えが効かないから、かけがえがないんだよ。存在自体にスペアはあり得ない」

「少しの考え方の違いです。どうですか、もう少し歩み寄ってみませんか?」

 遠藤は拳で机を叩く。強い、意志のある音がした。

「帰ってくれ! 何故か分からないが、ひどく穢された気分だ。君には愛などないのだろうな」

「もちろんありますよ。全てが同じなのですから」

「話はおしまいだ。さっさと帰れ!」

 鳴海は一瞬考えて、失礼しました、と頭を下げ、丁寧に素早く退室する。

 彼の姿が視界から消えると、少しずつ興奮が治って来る。どうしてこんなに怒りが沸くのだろうか。自分にスペアがいると言うことでの自分の大切さが減ると言う気持ちなのだろうか。それとも、娘が事故に合うことを、私が死ぬことを前提に話をしたからだろうか。違う。人間に替えがあると言う発想自体に吐き気がするのだ。そしてそれを臆面もなくビジネスにしている神経、しかもその営業がクローンだと言う事実。理論的には受け入れられそうでありながら、感情的に感覚的に、決して承服することが出来ない、飲めない話だ。クローンの人権云々はこの際よくて、私と優子の尊厳の問題だ。いや、それよりももう少し、人間存在自体が脅かされる不快感だったと考えた方がいいのかも知れない。

 遠藤は暫く思索を巡らせて、自分がいつものお父さんに戻っていることを確認してから、優子のところにひた走った。

「パパ!」

 笑顔でくっついて来る優子を抱き上げ、抱き締め、頬擦りをしていたら涙が止まらなくなった。

 愛おしくて、愛おしくて、優子は一人、ただ一人、世界で一人。優子以上にかけがえのないものがあるだろうか。

「パパ泣いてる」

 その涙の深い理由は伝える必要はないと思う。でも。

「優子が大好きで、こうやっていることが嬉しくて、涙が出ちゃったんだよ」


 夕食時にクローン保険の話を妻にすると、興味深そうに聞いていた。確かに、お話として聞く分には大きな不快感などないのかも知れない。

「私は自分のクローンが用意されているなんて状態には絶対にしたくない。だからお前も優子も、家族の誰もこの保険には入らないことに決めたよ」

 妻は暫く考えてから、でもやっぱり面白い発想だわ、と呟いた。


 二年後、七歳になった優子が車に跳ねられたと言う連絡があったのが夕方の五時で、幸い一緒に居た妻は無傷だったが優子は重体だと言う。部下に指示を出して事情を説明し、一目散に病院に走る。

 駆け付けたときには優子はたくさんの機器に繋がれて、人間と言うよりも生かされている何かのような印象を最初に受けた。いや、あれは優子なんだ。近付いて顔を見るがボロボロで、あの美しかった優子が見る影もない。

「素人目にも分かる。優子は助からないだろう」

 妻にそっと呟くと、沈痛な表情のまま頷く。

 いずれ主治医らしき男性がやって来て、絶望を解説する。

 それでも優子は三日間頑張った。

 希望がゼロでないのなら、それに縋るしかなかった。しかし、日に日に擦り減るそれは、ついにゼロに至る。

「十四時丁度、ご臨終です」

 優子のために集まった人の全てが一気に涙を溢れさせる。最後の三日間にどれだけ泣いたとしても、本当の最期には、もっと極まった涙になる。

「皆さん、ありがとうございました」

 父親としての最後の役目の挨拶を終えて、優子の亡骸にも別れを告げる。色々あるので待っていて欲しいとスタッフに言われ、待ち合いのようなところに通される。

 妻は何も言わない。

 私はその肩を抱いてさする。これからどうやって生きて行こうか。

 すると、スーツ姿の女性が入って来る。

「お悔やみの中申し訳ありませんが、今のタイミングしかないので、少しお話よろしいですか?」

 妻をこれ以上憔悴させる訳にはいかないので、別の場所で私だけが話を聞くことにする。

「で、何でしょうか」

「簡潔に申し上げます。今お亡くなりになった方のクローンを、今なら作成出来ます。いかがされますか?」

 確かにまだ優子の細胞は取れる。

 遠藤は、首を振る。

「その議論は既に済んでいます。お引き取り下さい」

「失礼しました」

 女性は速やかに去る。

 何の話だったか妻は聞かない。そんな余裕はないのだろう。

 待たされる時間だけが積み上がってゆく。優子との思い出がグルグルと巡る。優子との未来が、決して来ない未来が同じようにグルグル巡る。繰り返されることのない過去と果たされることのない未来は、同じなのだ。

 ふと、クローン保険のことを思い出す。鳴海十三、名前まで。

 もしあのとき入っていたら、優子のクローン、記憶も人格も能力も同じクローンを、受け入れたのだろうか。考えても仕方のないことだ。優子は優子で、全てだ。

 葬式は家族葬で、最期に来てくれた人だけを呼んだ。

 四十九日が終わり、こころの半分以上が穴のままだったが、私は前を向くと決める。


 それから二週間後、家に帰ると玄関まで妻が迎えに来てくれた。珍しくてちょっと嬉しい。

「あなた。ごめんなさい」

 いきなり土下座をする。

「どうしたんだよ。顔を上げて、説明をして」

「ごめんなさい」

 額を擦り付けながら謝る妻。

「ごめんなさい」

 涙声。肩を震わせている。

「分からない。一体何をしたんだ。浮気でもして、その相手の子供を孕んだとかだったら確かに死んで貰うけど、そんなことをする君ではないだろう」

「浮気とかではありません。でも、あなたの逆鱗に、きっと、触れます。もし死ねと言われれば自害します」

 一体何なんだ。明らかに覚悟の罪だ。

「全然話が分からない。説明してくれ」

 暫く沈黙する妻の色が真っ赤になっているように見えて、たじろぐ。

 正座の形にすくっと起き上がる。

「分かりました」

 妻は振り返ると声を張る。

「優子ちゃん」

 気が触れたのか。

「はーい」

 返事と共に、聞き慣れた足音。

 優子が玄関にやって来た。

 それは事故に遭う前の優子。間違いなく私の優子。

「パパ、おかえり」

 でも、妻の様子からは、これは、保険のクローンだ。私に言わずに、保険に入っていたと言うことか。そして現物支給を受けた。

 理解は冷静で、その事実自体に怒りを感じはしなかった。もしこれが妻の話だけならば激昂したであろう、しかし今目の前には優子。こころの殆どが優子にしか向いていない。

 死んでしまった優子が、ついこの前に納骨をした優子が、生きてここに居る。

 でも、優子は死んだのだ。目の前に居るのはそっくりのコピーに過ぎない。二人目の子供が一人目と見た目に性格に違いがあるのは、そっくりであればあるほど偽物になるからだ。限りなく優子であるこのクローンは、極大に偽物なのだ。

「パパ、どうしたの?」

「あなた、ごめんなさい」

 でも、目の前には優子が。暖かくて喋る優子が居る。こころまで同じならば、優子でいいじゃないか。

 きっと触れてしまえばもう、この子が優子になる。妻を許すことになる。全てはそれで円満だ、それでいいのかも知れない。

 謝り続ける妻と、私を待つ優子のクローンを前に、私はその子を腕に抱くのか、決められない。

 死んだ優子のことが頭から離れない。

 立ち竦んでいる内に、クローンが優子がそうしていたのと全く同じやり方で、私に抱き付いて来た。

 反射的に抱き上げる。

 同じ感覚、同じ。

 でもやっぱり、優子は死んだのだ。

 急峻な確信が遠藤を貫いた。

「ごめんなさい」

「顔を上げて。私は君を許す。でもこの子は優子ではない。この子を育てることはいいだろう。でも、名前は変えなくてはならない。いいかい? それが必要なことだ。これは条件ではなくて、必要なことだ」

 妻はすぐに頷く。

「分かりました」

 遠藤は腕の中の優子のクローンと、初めて目を合わせる。

「いいかい、君は今日まで優子だったけど、明日からは別の名前になる。今夜中に名前は決めるから、明日からは新しい名前で生きるんだよ」

 えー、とか、やだーとか言うかと思ったのに、すんなりと、うん、と頷く。

 戸籍とか色々に関してはクローン保険がやってくれるだろう。またあの鳴海十三に会うと言うのはちょっと怒鳴った手前バツが悪いが、仕方ない。妻が手続きをするのには立ち会おう。そして私のクローンの有無も確かめなくてはならない。

「あなた。ありがとうございます」

「三人で、生きて行こう」

「パパかっこいい」


 優子のクローンは、裕美と名付けた。裕美になったと言っても優子だった頃の記憶はある。だから思い出話もする。でも裕美は裕美であって、優子ではない。時間が経つ程にそれは当然ながら顕著になっていく。

 まるで、魂の所在地が名前にあるように感じる。優子はちゃんと死んで、私達は彼女を送った。私達は裕美に出会い、共に生きている。優子が死んだ後の人生は全部、裕美のものだし、私達は一緒に歩む。

 だから裕美は、優子の記憶と姿を持つ、私達の二人目の子供なのだ。

 きっと親にとっての子供だけが、こうやって受け入れられる可能性を持っているのだと思う。

 もし、私のクローンが私の死後に取って替わったとして、誰もその必要性を感じないだろう。社会の中で必要なのは役割と能力であり、それは他の人が死後は継ぐべきなのだ。

 妻がした選択は信じられないものではある。だが、裕美を抱いていると、彼女への感謝が、滲む。



(了)

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