第4話 先輩とログイン状態
横殴りの雨が、したたかに窓を打ちつけていた。
数十分ぶりにシャーペンを手放した私は、イヤホンを耳から外して「んっ……!」と伸びをする。
スマホの画面を明るくしてミュージックプレイヤーを落としてみれば、天気情報には未だに暴風警報と表示されていた。
今日は台風。学校は休み。
喜ぶべきところなんだろうけれど、私の場合、小学生の頃のとある習い事――趣味とも、仕事とも言える――で叩き込まれた習性で、サボるということが苦手だった。だからこうして、台風で休みになった日も、授業でやるはずだった分を予習してしまう。
今し方それも終わり、いよいよ手持ち無沙汰になった。
外に出かけることもできないし、休みと言っても意外とやることがない。
これはみんな同じようで、今もぽろぽろとグループチャットが動いていた。
〈あー、ひまー。だれかかまってー〉
〈今のあたしの推し漫画はこちら!〉
〈あまりにも速い推し活に一同驚愕〉
けれど私は、それに参加するより先に、部屋の中のあるものに目を向ける。
つい最近、とある人に接触するために購入した、最新のゲーム機だ。
……先輩は、こうして手持ち無沙汰になることなんてないんだろうな。
教科書にもスマホにも目をくれず、嬉々としてゲーム機を手にする姿が目に浮かぶようだった。
「……………………」
私はなんとなく、ゲーム機と連携するアプリを立ち上げた。
フレンド登録した相手が今、どんなゲームをプレイしているか、ステータスを表示できるのだ。
すると案の定、《ケージ》という登録名のユーザーが、《マギックエイジ・オンライン》をプレイ中だった。
ここ最近、ゲームの中でだけ懇意にしている、古霧坂里央先輩である。
……容赦ないなぁ、ホントに先輩は。またレベル差開いちゃう。
可愛い後輩に気を遣ってあげるという考えはないんだろうか。ないんだろうなあ。今頃、面倒な奴がいなくてはかどるな、とか思ってそう。
そんな想像をしていると、悪戯心がむくむくと膨れ上がってきた。
ちょっかいかけに行こうかな。どうせ暇だし。うん。雨風吹きすさぶこの状況じゃあ、会いに行けるのなんて先輩くらいだしね。そうそう。仕方ない仕方ない。
と、ゲーム機に手を伸ばそうとしたそのとき。
〈真理峰さーん! いま通話いいですかー? 宿題教えてくださいー!〉
そんなメッセージと共に、泣き顔のスタンプが送られてきた。
……あー、既読つけちゃった。
私は数秒、断る口実を考えたけれど、何も思いつかなかった――当然、『ゲームがしたいので』なんて言うことはできないし。
〈あ! ウチもウチも!〉
〈あたしもあたしも!〉
ここぞとばかりに続いた便乗に私は軽く笑い、〈ちょっとだけね〉と返信した。
……まあ、どうせ先輩は1日中ログインしてるだろうし。
少しは羽を伸ばさせてあげますか。私はいい後輩なのでね。
なんて考えていたのが、2時間も前の話。
『苺~、スタバの新メニューもう飲んだん?』
『飲んでないぃぃ……! 人が宿題で悩んでるときに甘いものの話とかやめてぇぇ……!』
『ヘイ苺ちゃん! 最近気になる男子とかいるぅ?』
『いません~……! わたしレズなんでぇ~……! ……って、なんなんですかみんな! 気が散ることばっかり言わないでくださいよ!』
まあわかってはいたけど、少し宿題の相談を受けるだけのはずだった通話は、すっかり雑談に変わっていた。
メンバーは私含めて4人。
そう、礼菜さんは先輩の妹だ。何を隠そう、礼菜さん経由で、私は先輩のことを知ったのだから。
映像は繋がってないけど、今も先輩は、礼菜さんがいるすぐ隣の部屋で、ゲームに没頭しているはずだ。通話を繋ぎつつスマホ画面に映した先輩のログイン状態が、それを証明している。
『勿体ないよなぁー、みんなぁー』
その礼菜さんが、拗ねたような声で言う。
『桜ちゃん筆頭に、みぃーんな可愛いのにさーあー。男っ気が全然ないんだもんなー。あ、女っ気でもいいんだけどー。中学生なんだから、恋愛くらいしなよぉー』
『お前が言うなっちゅうやつやんな』
関西弁で突っ込むのは椿さん。
『誰やったっけ? この前、誰かフッたって聞いたで?』
『あー、それわたしも聞いた! でもフラれた男子は1週間後くらいに別の女子と付き合い始めたって! 不潔!』
「うわ……礼菜さん、またやったの?」
苺さんからもたらされた情報に、私が呆れ気味に訊くと、礼菜さんは『へへー』と笑って、
『だってさあ! その男子、小学校から腐れ縁の幼馴染みがいたんだよ!? ポッと出のあたしなんかに靡いてる場合じゃないよって話! 幼馴染みが涙を呑む展開はあたしの主義に反するわけ!』
あの兄あればこの妹あり。
先輩に負けず劣らず、礼菜さんも相当な変人だ。
先輩とは正反対に人当たりがいいから、私なんかよりもよっぽど男子にモテる。モテるけれど、告白してきた相手に例外なく別の相手を宛がおうとするのだ。自分が彼氏を作るより、他人をカップルにしてそれを眺めるほうが、よっぽど楽しいのだという。
『なんなん? その性癖は。恋愛するんがめんどくさいん?』
『いやいや違うよ。そんなこと言ったら、他人に恋人を作らせるのだってすごいめんどくさいし! あたしはシンプルに、外からカップルを眺めてるほうが幸せなの! そういう星の下に生まれたの! 自分が恋愛とか、正直想像もつかないなあ』
「まあ……わからなくもないね」
私が相槌を打つと、『でしょー!?』と礼菜さんが嬉しそうにする。
『ホンマ? 桜ちゃんもそっち派? 確かに彼氏作らへんもんなあ。作ろうと思えば無限に作れんのに』
「無限って」
『真理峰さんは高潔なの! 男なんか相手にしないの! 汚すようなこと言わないよね椿!』
キンキンした声で怒鳴る苺さんは、ちまっとした小柄で見るからに『可愛い!』って感じの女の子で、男子からの人気もすごく高い。
けど、そのせいか小学校の頃にずいぶんと男子に困らせられたみたいで、男子嫌いをこじらせてレズを自称していた。たぶん言葉の意味はよくわかってないと思う。
椿さんとは小学校から一緒の幼馴染みで、砕けた話し方なのはそのためだ。私にはなぜか敬語なのに。
「別に相手にしてないとか、そういうわけじゃなくて……想像ができないっていう話。男の人を好きになるとか……漫画とかドラマで傍から見るだけならわかるけど、自分がするってなると、よくわかんないなあ」
『えー? ほな桜ちゃんは初恋もまだなん?』
「そういうことになるのかな」
『桜ちゃんレベルになるとさー、傍から見てても相手があんまり想像つかないんだよねー』
『お姫様やから、王子様とか?』
『あはは! それじゃウチのお兄ちゃんになっちゃうじゃん!』
心臓が軽く跳ねた。
『え? どういうことです?』
『礼菜ちゃんのお兄ちゃんな、学校でずーっとゲームしとるから、《ゲーム王子》って呼ばれてんねんて』
『え! 不良じゃない! なんで《王子》なの?』
『さあー? なんでだろねー? なんかオーラが出てるからじゃない?』
『オーラ?』
『触っちゃダメな感じがするんだよねー、ゲームしてるときのお兄ちゃんって』
そう。
ゲームに没頭しているときの先輩は、ある種の聖域だ。
自分みたいなのが入ってはいけないと感じる。邪魔をしてはいけないと感じる。
そのくらい――ゲーム中の先輩は、楽しそうなのだ。
……私も、あんな顔がしたかった。
あの顔を、私にも分けてほしかった。
でも――私は、先輩のログイン状態を見る。
先輩は、別に、私がいなくても――
「――あっ」
『どうしました?』
視界の変化に思わず声を漏らすと、苺さんに聞かれてしまった。
ど、どうしよう。なんて答えよう?
「ええっと――」
『あ。ちょっとごめん!』
そのとき、ちょうど礼菜さんがそう言って、声が遠くなった。
『どしたんやろ?』
椿さんが言って、注意がそっちに向く。
こっそり胸を撫で下ろした。これでうやむやになってくれそうだ。
今、私の視界で起きた小さな変化。それは――
『――お兄ちゃん! なぁにー?』
『お前、昼メシ食った?』
『とっくに食べたよ! お兄ちゃんまだ食べてないの?』
『完全に忘れてた……』
『冷蔵庫にうどんあるよー』
遠くから聞こえてくる声。
それは今し方、ログイン状態が《プレイ中》から《一時退席中》に変わった、先輩のものだった。
家の中の先輩。
ゲームをしてない先輩。
家族と話している先輩。
知らない先輩が断片的に伝わってきて、その姿や顔を、想像してしまう。
まだ寝間着だったりするのかな。
髪には寝癖が付いてるのかな。
パジャマはどんなのかな。スウェットとかなのかな。意外と可愛いやつなのかな。
『ごめんごめん。噂をすればだったー』
礼菜さんの声が戻ってきた頃には、先輩の気配は綺麗さっぱりなくなっていた。
『礼菜ちゃん、お兄ちゃんと結構仲ええねんな』
『普通だよ普通! まあ、お兄ちゃんはあれで意外と、面倒見いいところがあるからね。そういうところを推していけば、きっと彼女もできると思うのになぁ』
『礼菜ちゃんが彼氏の妹になるって、結構大変やと思うなぁ……』
『え? なんで? あたしほどサポートする妹いないよ!?』
『せやからやろ』
『――真理峰さん?』
思わず、礼菜さんの声の後ろに意識を向けてしまっていると、苺さんが心配そうに話しかけてきた。
『どうしました? さっきから気配消えてますけど……』
「あ、あー、ごめんね。ちょっとぼーっとしてた」
『大丈夫ですか? 風邪ですか? でしたらぜひ今からお見舞いに――!』
『やめぇ。台風やっちゅうねん』
「風邪じゃないから、絶対外出ないでね……」
……なんであんなに、先輩の声に気を取られたんだろう。
私は……ゲームをする先輩に興味を持ったのに。それ以外は、関係ないはずなのに。
それから20分くらいして、先輩のステータスは《プレイ中》に戻った。
扉を開け閉めする音が、ほんのかすかに、本当にかすかに、礼菜さんの声の後ろから聞こえた。
さらに1時間くらいして、私は通話を切る。
イヤホンを外して一息つくと、スタンドに立てていたスマホを持って、ぼふっとベッドに倒れ込んだ。
顔を横に倒すと、そこには真新しいゲーム機があった。
――私には、大きなトラウマが二つある。
一つは、『遊び』に関するもの。
もう一つは、『人間関係』――いや、『男女』に関するものだ。
良くも悪くも今の私を形作っているそれらのうち、先輩に接触を図らせるに至ったのは、前者のほう――『遊び』のトラウマだと思う。
先輩なら、胸の奥にこびりついている、この怯えのようなものを取り去ってくれる――そんな気がしたから、私は話したこともない先輩に、仲間にしてほしかったんだと思う。
決して、先輩が私のことを好きになってくれそうだったから声をかけたわけじゃない。
もしそうだったら、むしろ私は、全力で距離を取っていたことだろう――先輩は、私のことを好きにならないからこそ、私にとって都合のいい存在なんだから。
……でも、仮に。
仮にの話。
その逆って、……起こりうるものなのかな。
つまり、私が、先輩に――
「……………………」
やっぱり、想像がつかない。
先輩って、口下手だし、ビビりだし、すぐイキるし、初心者相手にも負けず嫌い発揮するし――でも、なんだかんだ言って、突然現れた私に、付き合ってくれるし。
「……………………」
やっぱり、想像がつかない。
つかないけれど……とりあえず、ログインするのはもう少し待とう。
《プレイ中》。
先輩は逃げないんだから。
……逃がさない、とも言うけど。
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