第10話 先輩と埃一つないモニター


「じゃあねー、気をつけて帰ってねー」


 礼菜さんに見送られて、私たち3人は古霧坂家を後にした。

 夕焼けの中を歩きながら、私たちはドラマの感想を語る。


「さすがにおもろかったなぁ。早めに次見たいわ」

「次は明後日かぁ。もどかし~~~っ」


 ドラマも面白かったけど、私にとっては先輩と話せたことのほうが大きかった。

 先輩……何にも気にしてなさそうだったなぁ。

 私のことをどこまで聞いたのかはわからないけど……聞いていたとしても、先輩は別に変わらないような気がする。


 私のことなんか、大して重要視してないだけかもしれないけど。

 だったら、だからこそ、私としては心地いい。


「……真理峰さん?」


 苺さんが私の顔を覗き込んでいた。


「そんなにお気に召しました?」

「……ん? え? な、何が?」

「なんだか機嫌がよさそうなので」


 え? そんなに顔に出るくらい?


「ご、ごめん。ちょっと思い出し笑い」

「いえいえ! 思い出し笑いする真理峰さんも美しいです!」

「何でも褒めるやん」


 なんとか誤魔化して、ふたりと手を振り合って別れる。

 苺さんと椿さんは小学校からの付き合いで、家も近いらしい。


 そして家に帰り着いた私は、リビングにいたお母さんに「ただいま」と一声かけると、自分の部屋に入ってブレザーを脱ぐ。

 とりあえず着替えよ。

 そのままブラウス、スカートを脱ぎ捨てると、壁際の姿見には薄いピンク色のブラジャーとパンツだけをまとった私が映った。


 大人のそれと同じ形のブラジャーをつけるようになったのは、中1の秋くらいのことだった。


 他の子がどのくらいからつけ始めるのか、私は知らないけれど、それまではカップのついたタンクトップを肌着にしていた。

 だけど、胸が本格的に膨らみ始めて、お母さんと一緒に下着売り場に行って初めてのブラジャーを選んだ。なんだか試着しただけで大人になったような気がして、テンションが上がったものだ。

 そのとき買ったブラジャーは、身体からだの成長もあってきつくなってしまい、今ではあんまりつけていない――そろそろBカップにしてもいいかもね、なんて、お母さんにからかいまじりに言われているところだった。


 そう……あの頃は、ただ嬉しかったんだ。

 自分が、普通に大人になれていることが。

 自分が、普通の人間になれていることが。


 私は何もわかっていなかった。

 自分がどういう星の元に生まれた人間なのかを、全然、わかっていなかった――


 はしたなく下着姿のままクローゼットを漁り、部屋着に着替える。

 それから、ふと、クローゼットの横の棚を見た。


 ガラス窓が付いている戸の中には、ボードゲームやカードゲームの箱が積み上がっている。

 小学生の頃、お父さんから譲ってもらったり、お小遣いで買ったりしたアナログゲームの数々。

 この箱の蓋を前に開けたのは……いつのことだろう。


 そしてもう一つ……部屋の隅っこに置かれた、四角いそれ。

 埃で灰色がかった紫色の布をかぶされた、4脚の将棋盤。


 捨てられないのは、値段が高いからってだけじゃない。

 私の心が、まだそこに置きっぱなしになっているような、そんな気がするからだろう。


 まだ、楽しかったあの頃に。

 まだ、何も考えなくてよかったあの頃に。


 それから私は、まだ埃一つないパソコンのモニターを見る。


 ――先輩。


 先輩は、きっと大丈夫ですよね?


 先輩は、私と遊んでくれますよね?


「……先輩……」


 先輩、わかってますか?

 私には、もう――先輩しか、いないんです。




◆◆◆




 俺は、翌日にはすっかり忘れていた。

 図書館で謎の地味巨乳と楽しく談笑したことも、その日の放課後に家を訪れた真理峰の様子が最初、ちょっとおかしかったことも。

 授業の合間にゲームをやっているうちに、すっかり脳の端っこに追いやられていた。


 さて……授業も終わったことだし、今日は何をするか。

 昨日は結局、真理峰はログインしてこなかったが、今日は来るのか?

 ベータテストの期間は限られてるんだ。できればどんどん進めていきたいんだけどな。


 そんなことを考えながら、校門を潜り抜けたとき――


「ん?」


 校門の柱のところに、見覚えのある女子生徒が背中をもたれさせていたのに気がついた。

 もう3歩ぐらい校門を出てしまっていたので、振り返って確認する。

 野暮ったいメガネをかけたそいつは、ちょっとほっとしたように微笑んだ。


「よかった。気づいてくれた。普通にスルーされたから焦ったよ」


 昨日、図書室で会った地味巨乳だった。

 巨乳という特徴がなかったらたぶん気づかなかったと思う。


「まさかとは思うが、俺を待ってたのか?」

「そのまさか」

「なんで?」

「またおしゃべりしたいなって。ダメ?」


 ことりと小さく首をかしげて、彼女は少し不安そうに言ってくる。

 昨日だったらその表情に申し訳ない気持ちになっていたかもしれないが、今となってはそうではない。


「あんたさ……この前、ゲーム内で俺に話しかけてきただろ」


 真理峰に初めて話しかけられたときと同じか、それ以上の警戒心を、俺は目の前の地味な女子に抱いていた。


「通りすがりの初対面みたいなふりしてたけど、俺だってわかってたんじゃねえの?」

「ありゃ。気づいたんだ?」

「声でな」

「その割には、図書室では全然気づいてる風じゃなかったけど」

「その後思い出したんだよ」

「思い出してくれたんだ?」


 彼女は少し嬉しそうな声で言って、ちょっとからかうような目つきで、メガネの奥から見つめてくる。

 俺は思わず鼻白んだ。

 やっぱりこいつ、ちょっと真理峰と似てるような気がする……。

 俺はさりげなく目をそらしながら、


「いったい何の用なんだよ……。ストーカーだからな、普通に」

「ごめんね? 怖がらせるつもりはないんだけど」

「だったら急にリアルで人のプレイヤーネーム呼ぶんじゃねえよ」

「そうでもしないと、ケージ君の気を引けないじゃない?」


 ……真理峰とまったく同じことを言いやがる。


「とりあえず、学校でプレイヤーネーム使うのやめろ。古霧坂だ。古霧坂里央りお

「じゃあ里央君だ」


 また警戒心が一段階上がった。

 大して仲良くもない異性を馴れ馴れしく下の名前で呼ぶやつは、それだけで警戒対象である。


 怪しい地味巨乳の女子は、長い髪とスカートの裾とスクールバッグを軽く揺らしながら、あと一歩のところまで近づいてくる。


「わたしの本名は、園倉そのくら姫乃ひめの


 真理峰とよく似た、少し腰をかがめて、下から覗き込んでくるポーズで。

 園倉と名乗った女は言う。


「里央君。わたしと今から、デートしよ?」

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