第17話 お姫様は■をする


「そういうわけで、もうあなたの煽りは効きません」


 性懲りもなく放課後の昇降口で待ち伏せしていた姫乃先輩に、私はきっぱりと告げた。


「先輩からは何も言わないってたかをくくって振られたのを隠してたんでしょうけど、残念でしたね。先輩はあなたの手のひらで転がされるほど簡単な人じゃないんですよ」


 姫乃先輩は少し首をかしげた格好で、静かに私の話を聞いていた。

 きっとこの人は、私のことを可愛いだけのか弱い子供だと思っていたんだろう。だからこそ、私に対して精神的な優位を取ることはできると思っていた。

 それがこの人なりの、復讐だったに違いない。


 だけど私にはもう効かない。

 この人のアプローチに先輩はなびかないし、この人の揺さぶりに私は動じない。

 1年前の一件からずっと抱き続けていた罪悪感も、もはや吹っ飛んだ。


 あなたがそのつもりで来るなら、私もそのつもりでやる。

 私たちはもはや先輩と後輩じゃない。道を違えた敵同士だ。


 私は、もう逃げない。


「……つまんないの。一皮むけた顔しちゃってさ」


 姫乃先輩はため息をつくように言った。


「でもさ、桜――それじゃあ足りないんじゃない?」

「……? 何がですか?」

「勝利宣言には、さ。……だってあなたは、里央くんに助けてもらっただけじゃない」


 喉の奥が詰まった。

 確かにそれは、その通りかもしれなかった。


「よかったね? 里央くんがたまたま意志が強くて優しい人で。でも、もしわたしが先に里央くんと出会ってたら、彼はどうしたんだろうね? 結局あなたは、たまたま里央くんの妹さんと同じクラスで、たまたま仲良くなって、たまたま早く里央くんのことを知ることができただけなんじゃないの?

 ご存知の通り、里央くんは意志が強くて優しい人だからさ――先にわたしと出会って、その敵としてあなたが出てきたら、きっとわたしのほうを優先してくれるんじゃないかな?」


 この人は……なんでこんなに、人が嫌だと思うことを的確に言えるんだろう。

 先輩が私を優先してくれた理由は、先に私と仲良くなっていたから――それは確かに、無視できない程度にはあるかもしれない。

 姫乃先輩じゃ力不足だって、先輩は言ったらしいけど――この女だったら、何かしらずる賢いことを考えて、先輩に認めてもらえるかもしれない。


 同好会時代、何回か人狼ゲームで遊んだことがあるけど……思えば、私はあんまりこの人の人狼を見抜いたことがなかった。

 騙し合いや化かし合いでは、悔しいけどこの人のほうが上なのだ。

 そういうところを、先輩だったら平等に評価するかもしれない。


「運ゲーおつ~って感じ? そんなので勝ち誇られても、わたしには全然効かないよ?」


 嘲るように、姫乃先輩は小さくくすりと笑う。


「勝利宣言がしたいなら、ちゃんと素直に言ってみなよ。なんで里央くんなのか、なんで里央くんじゃないとダメなのか――わたしじゃなくて、あなたのほうが絶対にいいって言える理由を、告白してみなよ。里央くんは、ちゃんとしてくれたよ?」


 先輩じゃないとダメな理由。

 私じゃないとダメな理由。

 そんなの……そんなのは――


「――私はただの、先輩という光に群がった虫のようなものです」


 学校の人たちは、私をお姫様だと褒めそやす。

 苺さんは、私のことを神様が何かみたいに崇めてくる。

 だけど、本当の私はそんなもので。

 変人としてみんなに避けられてる先輩のほうが、私にとってはずっと眩しい。


「自分に特別な価値があるなんて思いません。あるとすれば、それは――先輩に追いついて、その隣に立ちたいっていう……その気持ちだけです」


 もし同じ気持ちを持っている人が他にいたとしても、私はその全員に負けない。

 逃げずに全員、受けて立つ。

 だから私が、誰よりも私が、先輩の隣に立つ。


 ――絶対逃げないし、絶対、逃がさない。


 姫乃先輩は目を細めて、私を見つめていた。

 まるで眩しいものを見るように。

 少し前まで、彼女に感じていた怖さのようなものは、もうすっかりなくなっていた。


「……はあ」


 大きめのため息をつくと、姫乃先輩はくるりと私に背を向ける。

 暗くなりつつある秋の夕空を見上げて、彼女はつぶやく。


「ずるいなぁ……。わたしの居場所を奪ったくせに、そんな綺麗な恋をするんだ」


 ぽつりと静寂に落とされたその言葉が、今までで一番、私の心を深く貫いた。


「こ、恋とか……そういうのじゃないですから」

「嘘つけ」

「本当ですから! そういうのじゃなくて、もっと、こう……信頼というか、なんというか……」


 私の心には確かにあるはずのそれを表現しようとして――だけど、できなかった。


「言葉に……できないんです。だけど、私と先輩は……きっと、そういうものなんです」


 まだ名前のついていない何か。

 もしかしたら、私がそれを知らないだけなのかもしれない。

 でも、そうだったらいいって思う。

 私と先輩の関係は、まだこの世の誰にも、手をつけられていないものなんだって――


 姫乃先輩は首から上だけ振り返り、もう一度私に顔を向けた。

 その顔には――


 ――心の底から嫌なことを聞いたような、しかめっ面があった。


「何それ。キモっ!」


 吐き捨てられたその言葉を聞いて、私は初めて、この先輩の上を行けたような気がした。




◆◆◆




 かつての後輩の気持ち悪い発言を聞いた後、わたしは逃げるように学校を出た。


 あの気持ち悪い美少女に免じて、今日は里央くんに絡みに行くのはやめてあげよう。

 認めてあげる。確かに今回はわたしの負け。

 でもそれはやっぱり、ほとんど里央くんの功績だ。


 わたしの告白に対して、里央くんはわたしじゃ力不足だって言った。

 だけど。

 それだけじゃなかったのだ。

 恥ずかしかったのか、桜には伝えなかったみたいだけど……里央くんは、こうも言っていた。




『俺と真理峰が違う生き物なんだとしても、俺がいつかあいつに置き去りにされるんだとしても――その時は、俺が歯を食いしばって追いつけばいいだけだろ』


『俺はどんなに相手が強くても、捨てゲーだけはしない』


『……せっかく見つけたんだ。そう簡単に逃がしてたまるかよ』




 里央くんは『追いつけばいい』って言って。

 桜は『隣に立ちたい気持ちでは負けない』って言って。


「それって、同じことじゃん……」


 そりゃ捻くれたわたしだって、多少は負けを認めるよ。

 きちんと通じ合ってるんだね。はいはい、えらいえらい。


 里央くんは桜に『逃げるな』と言った。

 だけど、実際にわたしに宣言したのは『逃がさない』だった。


 心の底から、憧れる。

 わたしだってあんな風に言われてみたい。

 こんなにスレて捻くれて斜に構えたわたしを、それでも逃がさないって言ってほしい。


 あんな顔で。

 どこまでも真剣で、どこまでも純粋な、あんな顔で。




 わたしが大好きな真理峰桜を、わたしよりも大好きな人に。




 ――自分と同じものを、同じかそれ以上に好きでいてくれる人を見るのって、嬉しいでしょ?


「……はあっ」


 自分自身の言葉を反芻して、空に短く息を吐く。

 なんでこんなに、生きにくいんだろ。


 どうせ恋をするなら、もっとわかりやすいほうが良かったのに。

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