お姫様と別の女


 その日は、真理峰の予定が合わなかった。


 あいつ、俺が1人でレベル上げすぎると怒るからな。

 いや、怒りはしないんだが、明確に不機嫌なオーラを発するというか。

 妹以外の女子の扱いに慣れていない俺としては、あの雰囲気だけで嫌な汗が流れてきてしまう。


 ということで、気ままに1人で街を見て回り、掘り出し物の武器や隠しクエストなんかを探してみようかな、と思っていた。

 のだが――そんな折に、事件は発生した。


「あのぉ……すいませぇん……」


 庇護欲を刺激するような、か細くてか弱いアニメ声が、俺を呼び止めたのだ。


「経験者の方ですよね……? ちょっとお尋ねしたいんですけどぉ……」


 そのプレイヤーの姿を見て、俺はぎょっとする。

 身の毛もよだつような化け物みたいな姿だった――わけじゃない。

 むしろその逆だ。


 


 このゲームのキャラクリはかなり自由自在で、プレイヤーの想像する通りのアバターを生み出せると思っていい。

 だからもちろん、可愛いアバターを作っているやつはいくらでもいるし、美少女なんておっさんよりもありふれている。


 にもかかわらず。

 そのアバターは、異常な可愛さを誇っていた。


 小学生よりも小柄な体格に非現実的な巨乳をぶら下げた、いわゆるロリ巨乳体系。

 おかっぱ――いや、ショートボブに切り揃えた黒髪が、あどけない印象に拍車をかけている。

さらにその身にまとっているのは、胸元に透け感のある素材を使った青っぽいゴシックロリータで、頭の先から爪先まで、すべてがオタクに媚びるために存在していた。


 中華系ソシャゲでもここまでやらない。

 恥も外聞もない欲望の塊。

 それがボイチェンを使っている気配もないアニメ声を発しているんだから、俺の警戒心は一気にマックスまで引き上がった。


 俺なりの処世術である。

 見た目と声が可愛い女には気をつけろ。


「道に迷っちゃって……冒険者ギルドまで連れて行ってくれませんかぁ?」


 あまりの地雷臭に脳内アラートが鳴りっぱなしだったが、立ち止まってしまった以上は一往復くらいは会話をしなければならないような気がした。

 なので俺は可及的速やかにそれを終わらせることにする。


「それだったら反対側の道をまっすぐ行って大通りを左に進んでいったらすぐです。それじゃ!」


 そして俺はその場から全速で離脱した。


 やっべえ、やっべえ、やっべえ。

 なんだあの女!


 真理峰にゲーム内で話しかけられた時と同じくらいの冷や汗が、俺の全身に流れたのだった。








「――ってことが昨日あったんだよ」

「……へー」


 世間話を終えると、真理峰はどこか冷えたような、いつもより若干低いような気がする声で相槌を打った。

 ん?


「要はものすごく可愛い女の子に話しかけられたと……先輩も男子ですね? そういうので喜んじゃうんですね、意外と」

「は? いやいや……臨死体験みたいなもんだっつうの。実際に対面したら絶対わかるぞ。うっかりついていってたら一瞬でいかれてたね、あれは」

「いかれてたって、何がですか。先輩のハートがですか?」

「名誉とか尊厳とか財布とか自由とか……とにかく危ないんだよ! MMOで男に媚びたムーブしてるやつは!」


 絶対あれは歴戦の姫プレイヤーだ。オタクからレアアイテムを搾取することに生きがいを感じているタイプの人間。

 捕まったら最後、骨の髄までしゃぶられて、挙句の果てに他のオタクとの血で血を洗う争いが始まり、当のあの女はいつの間にか他のパーティーに移籍して新しい獲物をしゃぶり始めているのだ。そうに決まってる。


 ……なんか懐かしいな?

 そういえば、真理峰と初めて会った時も、こうやって警戒したんだっけ。


「はいはい。せいぜい気をつけてくださいね。可愛い女の子アバターに目がない先輩」

「……なんかお前、不機嫌じゃねえか?」

「べつに?」


 俺はしばし考えて、一つの仮説を立てた。


「言われ慣れすぎてあんま気にしてねえのかと思ってたけど……お前、意外と自分の容姿に自信あったのか」


 真理峰のアバターはリアルのこいつを再現したものだ。

 以前には、俺もうっかりそれを可愛いと言ってしまったこともあった。

 その俺が『異常に可愛い女の子アバター』の話をしたもんだから、美少女としてのプライドが傷ついてしまったのではなかろうか。


「でもそれにしたって張り合うなよ。向こうはキャラクリで作った偽物で、お前は天然だろ?」

「別に張り合ってません! ……思ってませんよ、私の容姿と比べたなんて」

「だったらなんで不機嫌になるんだよ」

「……………………」


 返答に窮するような沈黙があった。


「……べつに……先輩が、珍しく女の子の話をしたので……びっくりしただけです」


 なんか『べつに』が多いな、さっきから。


「びっくりしたぁ? 不機嫌になるなよ、そんなことで」

「もういいじゃないですかっ! 私もいまいちよくわかんないんですっ!」


 よくわかんないって、自分の機嫌のことだろうに。


「そんな媚び媚びロリ巨乳女のことなんかより、今日行くダンジョンの話をしましょうよ」

「んー……まあそうだな」


 この話題は本当に続けてほしくなさそうだったので、俺は空気を読んで適当に流すことにした。

 しかし、媚び媚びロリ巨乳女って。

 こいつが他人に対してこんなに辛辣になること、今までにあったか?

 ……いや、あったな。俺に対してはいつも辛辣だ。








 たまには図書室でゲームをしたっていい。

 昼休み、速やかに弁当を平らげた俺は、静かな環境を求めて図書室に足を運んだ。


 図書室でゲームをしていいのかどうかは知らないが、まあイヤホンをつけてれば問題ないだろう。

 俺はそう当て込んで、閲覧スペースに座ると、イヤホンを耳に突っ込んでゲーム機を起動した。


 しばし、作品世界に耽溺する。

 これ、戦闘システムがいいよな。弱点を突けば行動回数が増え、逆に突かれると敵が永遠に動く。リスクとリターンをしっかり作るのがゲーム性だって桜井さんも言ってたし――


「――あの」

「うおっ!」


 突然、イヤホンを貫通して耳元から声がしたので、俺はびっくりして振り返った。

 そこには、いかにも図書委員然とした、野暮ったい黒縁メガネに姫カットの女子生徒がいた。

 女子にしてはちょっと背が高めで、座っている俺からは見上げる形になる。

 だから目に入ってしまっただけだと、先に言い訳しておきたいんだが――


 ――でかい。


 でかかった。制服の上からでもわかるほど。

 本当に中学生か? いや、高校生だとしてもでかすぎる。それこそ中華系のソシャゲみたいなでかさだった。

 何がって?

 皆まで言わせるな。座った状態から立った人間を見上げて目に入るものなんて一つしかない。

 なんか最近、妙に巨乳と縁があるな。


 しかしそれに見とれている場合ではなかった。


「あ、す、すいません」


 俺はイヤホンを取って、言葉を詰まらせながら謝る。


「やっぱダメっすよね。すぐやめます、すぐに」

「あ、いやいや、そういうのじゃないんです。わたし、図書委員とかじゃないですし」


 黒縁メガネの図書委員――じゃない女子は、大きくブレザーを持ち上げた胸の前でパタパタと手を振った。

 なんだ、そうなのか。こんなに図書委員っぽいのに。

 ……じゃあなんで話しかけられたんだ? しかもあんな耳元で――いや、それは俺がイヤホンしてたからか。


「それって、最近話題のRPGですよね?」


 黒縁メガネの女子は、俺の肩に顎をぶつけるような勢いで腰をかがめて、ゲーム画面を覗き込んできた。

 俺は思わずのけぞる。

 ふわりと揺れた、少し茶色がかった黒髪から、爽やかな、だけどちょっと甘い匂いがした。


「買おうか迷ってたんです。でも、こういうのにアンテナ張ってる友達いなくて……。面白いですか?」

「お、おう……。図書室でやりたいくらいには」

「ふふ。そうですよね」


 黒縁メガネ女子は微笑むと、隣の席の椅子を引いてそこに腰を下ろした。

 え? 座るの?


「わたし、そのゲームのスタッフの前の作品が好きなんです」

「えっと……渋谷が舞台のやつ?」

「そうですそうです。それそれ。でも今回のはだいぶ設定が違うみたいだから」

「いやまあ、でも、実質的には同じっていうか……システムにもだいぶ引き継いでるところがあるし」

「でも舞台が異世界に変わったんですよね?」

「だけど、世界観はだいぶモダンな雰囲気だし、明らかに現代日本を意識して作っているところもあるし……」

「へえーっ!」


 女子はメガネの奥で目を輝かせて相槌を打つと、それから遠慮がちに肩を縮まらせて、


「あの……少しだけ見せてもらうことって出来ますか?」

「まあ……いいけど」

「やったっ」


 小さな声で喜んで、女子は椅子を少し俺のほうに寄せた。

 俺がそれに鼻白んで逃げる前に、肩を寄せて画面を覗き込んでくる。

 長い髪から覗く白い耳が、穴の中が覗けるくらい間近にあった。


 距離が近い……ような?

 いや、見るからにゲーム好きのオタク女子って感じだし……男との距離感がわかってない……的なあれだよな?

 中学生にとって、ゲーム一本買うのは大きな勇気のいることだ。必死に見定めようとするのはおかしいことじゃない。

 俺はメニューからゲームシステムを順番に見せていく。


「あのゲームが好きなんだったら、この辺の要素は見慣れてるんじゃ……」

「あ、本当ですね。完全に同じです」

「育成のシステムはこんな感じだ。ジョブを結構自由に組み合わせられて――」

「ふむふむ。自由度が高くて妄想が広がりますね」

「だろ?」


 わずかな疑念はいつの間にか忘れて、名前も知らぬ女子とゲーム談義に耽ってしまった。

 なかなか話せるやつである。

 ゲームの面白いポイントを的確に捉えてくるので、こっちとしても説明のし甲斐がある。


「ありがとうございました。プレゼン上手ですね? もうすっかり欲しくなっちゃいました」

「売り上げに貢献できたなら良かった」


 メガネの女子は微笑んで、席から立ち上がる。


「もうお昼休みも終わるので、行きますね。お楽しみのところすみませんでした」

「いや……俺も久しぶりに他人とゲームの話をした。面白かったよ」

「いえいえ」


 にこやかにそう言って俺から二歩ほど離れると、黒縁メガネの女子は振り返って、微笑みの質を少しだけ変えた。


がどんな人なのか、ちょっと知りたかっただけですよ――ケージ君」


 ……?

 今の先輩?


 言葉の意味を咀嚼し損ねている間に、女子はスカートの裾を膝の下で揺らしながら、図書室を出ていった。


 どういう意味だ、今の?

 …………あれ?

 っていうか…………。


「…………なんで、俺のハンドルネーム…………」

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