第3話 お姫様とババ抜き


 不覚を取った。


「――でさー。そうそう。マジヤバいよねー」

「……………………」


 俺は今しがた購買で買ってきたパンを手に、教室の入口で立ち尽くす。

 視線の先には自分の席。……だが、今は俺ではない、名前も覚えていない女子が占拠していた。

 おのれ……。

 母さんが寝坊して、弁当を作ってもらえなかったのが運の尽きか――全速力で戻ってきたってのに、わずか数分で俺の安住の地は奪い去られてしまった。


 ……仕方ねえ。

 わざわざ退かせるのも面倒だし、いつもんとこ行って食うか……。


 俺は教室を離れると、階段を降りる。

 校舎を出てぐるりと壁沿いに回っていくと、閉ざされた非常口がある。当然、この非常口は閉ざされているので、人目に触れることはそうそうないって寸法だ。

 校内の喧騒も扉一枚隔てて遠く、ひとり静かに過ごすには絶好の場所だった。


 ったく、よく人の椅子に勝手に座れるよなぁ……。

 まあ、別に自分の席じゃなくても昼飯は食えるし、ゲームもできる。今日は天気も悪くないし、たまには外に出ろってことかあ。


 パンの袋を開封し、青い空をぼーっと見上げた。

 そーいや、あのクエストって天候でクリア条件変わったりすんのかなあ。それともクエスト中は天候固定なのかなあ……。


「――口開いてますよ、先輩?」

「んあ?」


 急に視界に、人の顔の形をした影が入り込んできた。

 っつーか、人の顔だった。

 っつーか、知ってる顔だった。

 っつーか……真理峰桜だった。


「……何してんの、お前」

「先輩のだらしなく開いた口を、しっかり閉めようとしているところです」

「いや、じゃなくて、なんでこんなとこにいんのって話」

「そっくりそのままお返ししましょう。先輩はなんでこんなところにいるんですか?」

「俺は昼飯食ってるだけだけど」

「じゃあ私もそれで」


 じゃあって言った。今はっきり、じゃあって言った。


「ちょっと場所空けてくださいねー、っと」


 真理峰はお尻を撫でるようにしてスカートを畳みながら、俺の隣に座ってきた。俺は慌てて横にずれて距離を取る。

 なんだこいつ。なに普通に隣座ってんだ。

 急にそばに出現した存在感――体温や、呼吸、衣擦れの音、正体不明の甘い香り――に脳が咄嗟についていかない。

 そんな俺のことは露知らず、真理峰は黒いタイツで覆った膝を綺麗に揃え、その上に袋で包んだ弁当箱を乗せた。


「……お前、マジでここで食う気じゃん……」

「そりゃそうですよ。私を飢え死にさせる気ですか?」

「いったい何のつもりだ……? どうしてここがわかった?」

「あは! 逃亡中の人みたいですね!」

「どうしてわかったんだと聞いている……!」

「たまたま見かけたので尾行しただけです。警戒が甘いですね、先輩?」


 ふふん、と真理峰は得意げに笑う。

 警戒も何も、思うか、普通! 学校の中で尾行されてるとか!


「今日は私もお昼一人だったので、どうしよっかな~って思ってたところだったんですよ、ちょうど」

「一人で食えよ……。お前らはホントなんで一人で飯が食えねえんだ?」

「『お前ら』って、勝手に一括りにされても困りますけど。私が一人でお昼食べてると人が寄ってきて面倒臭いんですよ。だからこういうときは、人目につかないところに行くことにしてるんです」


 はあ~……。さすがお姫様。ぼっち飯さえ許してもらえないらしい。


「だったら別んとこ行けよ。ここは俺が先に取ったんだ。お前のことだから、場所はいくつも用意してあるんだろ?」

「よくおわかりで。でもイヤです」

「なんで」

「それはもちろん――」


 真理峰は首を傾げて俺の顔を覗き込み、意味ありげに口角を上げた。


「――先輩と一緒に食べたほうが、面白そうだからですよ?」

「……俺はお前のオモチャじゃねえよ」

「じゃあ私を先輩のオモチャにします?」

「はあ?」


 眉根を寄せて返すと、真理峰はくすくすと軽く肩を揺らした。からかわれたらしい。くそ……。


「じゃあ先輩、ここはゲームで決着をつけましょうか」

「なんだ急に」

「先輩が勝ったら私は消えます。私が勝ったら一緒にお昼食べてください。どうですか?」

「どうですか、って言ってもな……対戦できるようなのは今、持ってねえけど?」

「心配ご無用です」


 真理峰はごそごそとスカートのポケットを漁ったかと思うと、中からケースに入ったトランプを取り出した。


「トランプ……なんで持ってんだ、そんなの……」

「不意に遊びたくなったり、マジックを披露したくなったり、そういうことは誰にでもあるでしょう?」

「ねえよ」


 急に格ゲーがやりたくなったりレースゲームがやりたくなったりすることはあるけど。

 真理峰は俺の許可を取りもせずに、ケースからトランプを取り出し、慣れた手つきでシャッフルする。


「ここはシンプルにババ抜きで勝負しましょう」

「ババ抜きぃ? 二人でやってもつまんねーやつ筆頭じゃん」

「なかなか奥が深いものですよ。何せ最初からクライマックスですからね」

「ジョーカーを引くかどうかなんだから、ただの運ゲーだろ?」

「わかってませんねえ、先輩――相手の顔が見えないネット対戦とは違うんですよ? 表情を読むんですよ、表情を」


 そう言って、真理峰はにっこりと笑ってみせる。

 表情を読む、ねえ――人間って、そんなに心が顔に出るもんなのかね。


「それとも、あれですか、先輩?」


 シャッフルを止めて、トランプを俺との間に置きながら、真理峰は挑発的に笑う。


「怖いんですか? ゲームで私に負けるのが」


 ……安い挑発だ。

 乗ったら負けだとさえ思える。

 だが――


「――ふざけんな。ゲームと名の付くもので俺にできないものはない」

「素晴らしいおイキりですね。それでこそ先輩です!」


 嬉しそうに言うや否や、真理峰はシュバババッとトランプを二つに分ける。本当にマジシャンみたいな手際だった。

 自分の手札を取って、扇状に広げる。

 一見でわかった。

 俺の手札に、ジョーカーはない。

 二人で一組のデッキを分けている以上、俺の手札にない=真理峰の手札にあるということ――この時点で微有利。二分の一の戦いに、まずは勝ったと言えよう。


 ペアになったカードを互いに捨てていく。

 やっぱ二人だと手札の減りが早い。俺が残り3枚、真理峰が残り4枚になったところで、ゲームは開始した。


「先輩のほうが少ないので、先輩からどうぞ」

「ん」


 真理峰が自分の手札を差し出してくる。

 一枚だけ突き出しておくとか、小癪な真似はしてこなかった。俺の目からすると、4枚の手札はどれも完全に同じ。

 ジョーカーを引く確率は4分の1だ。適当に引いたってまず当たりはしないだろう。だが、万が一ってこともある――


 ――表情を読むんですよ、表情を


 ……やってやろうじゃねえか。

 俺は真理峰の顔を窺いつつ、カードに手を掛けた。

 微細な変化を見逃すな。そのつぶらな瞳の向き。長い睫毛の震え。小さな鼻のひくつきに、丸い頬の色づき。そして桜色の唇の開き方に至るまで――


「……………………」


 ――って、いうか、おい。

 これって、このゲームが終わるまで、ずっとこいつの顔を見つめてないとダメだってことか?

 こいつの、ゲームのキャラみたいに整った顔面を、ずっと?


「どうしました、先輩?」


 口元を華やかに緩ませて、真理峰は言う。

 じっ……と、輝く瞳で、まっすぐに俺を見つめながら。


 ――うぐああーっ!!


 やめろ! 目を合わせるな!

 こんなにまっすぐ見つめ合ったりしたら……なんか……なんか……恥ずかしくなってくるだろうがっ!!


「ふふ……」


 くそっ……これが目的か……!

 俺が人の顔をろくに見られない奴だとわかった上で、顔を見なきゃいけないようなゲームを……!!

 不覚だ。不覚を取った!


「くそっ……!」


 目を逸らしながら、適当にカードを取る。

 幸い、ジョーカーではなかった。自分の手札とペアにして捨て札にする。残り2枚。


「あー、残念。じゃあ私のターンですね」


 真理峰は溜めも何もなく、するっと俺の手札から1枚取って、自分の手札1枚と合わせて捨てた。

 ジョーカーは向こうにある。真理峰が俺から引く分にはノーリスク――表情を窺う必要なんかないのだ。まさかジョーカーもあえて手元に引き込んだんじゃねえだろうな……!


 真理峰の手札は2枚減って、残り2枚。

 今度は2分の1……。

 俺の手札は1枚だから、ここでジョーカーを避ければ勝ちになる。

 俺は真理峰の細い指に掴まれたカードの裏面を、真剣な目で見つめた。が、当然、違いなどない。綺麗に切り揃えられた薄ピンクの爪と、白魚のようなと形容するに足る細い指があるばかりで――って、ああくそ!


「いけませんよ、先輩?」


 くすっ、と笑みをこぼして、真理峰はどこか蠱惑的に言う。


「もっとちゃんと、私の表情を見ないと……ですよ?」


 ……ええいくそ! やってやらぁ!

 俺は視線を上げ、真理峰の顔をまっすぐに見つめた。

 あどけない、人形のような顔。こうして改めて見てみると、年下の女の子なんだってことがよくわかる。顔の輪郭やパーツの造作に未成熟な丸みを帯びているのだ。

 慣れろ。慣れろ。慣れろ。ずっと見てれば慣れるはず。たとえそれが、他に類を見ない、ゲームのキャラメイクでだって作れそうにないほどの、芸術的に整った顔面であったとしても!

 俺は真理峰のカードに手を掛ける


「……これか?」

「どうでしょうねえ」

「こっちか?」

「さてさて」


 くそう……これっぽっちも表情が変わらん……。涼しげにしてやがる……。

 いや、諦めるな。きっと変化があるはずだ。こいつ自身も気付かないような変化が……!

 さらによく表情を読むために、数センチ顔を近付けた。

 ――瞬間、真理峰のほうがさっと顔を横に逸らした。


「ちょっ、先輩……」

「へ?」

「……顔、近いです……」

「あっ……わ、悪い……」


 俺は慌てて身を引く。

 と同時。

 完全にタイミングを合わせて、真理峰がスッと自分の手を下に引いた。


「あ」


 結果――そのとき、指を掛けていたカードが、俺の手に残る。

 くすくす、と小悪魔がさざめくように笑った。


「ご愁傷さまです、先輩♪」


 俺は手に残ったカードを裏返し、その図柄を確認した。

 奇妙に踊るピエロ。

 ジョーカーだった。


「おっ……おまっ! おまーっ! ナシだろ今のは!」

「え~? なんでですかぁ~? ちゃんと引いたじゃないですかぁ、先輩の手で~♪」


 くっ、くそぉ……! こいつ……! こいつマジで……!


「はい。次は私ですよ。手札出してくださいっ、せぇんぱい?」


 俺は猛烈な勢いでジョーカーともう1枚の手札をシャッフルして、真理峰の前に突き出した。

 選択肢は2枚。

 ここでジョーカーを引かせられなければ、俺の負け。

 真理峰は「これですか?」「こっちですかね~?」とさっきの俺の真似をして、2枚に交互に指を掛けていく。同じことをやり返したいところだったが、猿真似が通用するような奴ではない。俺は表情を動かさないことだけに努めた。


「顔が固いですよ、先輩? もっと笑ってください」

「……嫌だ」

「先輩はもっと柔らかくなったほうがいいと思いますよ? せっかくいい顔を持ってるんですから」

「……、は?」

「鼻はすっきり通ってて、唇も薄くて。睫毛なんか、羨ましくなっちゃうくらい長いです。隠れイケメンってやつなんですかね? 髪とか、もっとちゃんとすればいいのに――」


 くっ……! 今度はそういう手で来るか!


「――あ、でも、そうしたら、先輩の魅力にみんな気付いちゃいますね? それはもったいないなあ……。もう少しだけ、こうして、私の独り占めにしておいたほうが……」


 思ってもないことをベラベラと……! 俺は騙されんぞ! ジョーカーさえ手放さなきゃいいんだ。ジョーカーさえ……!


「せんぱい?」


 真理峰の細い指が、つつうー――っと、カードの上端をなぞって……。

 右側のカードで、止まった。


「こっち。……妙に、力入ってません?」


 ……っ!!

 しまっ――


「わかりやすいですねぇ、先輩は♪ じゃあもう1枚のほうを――」

「待っ――!」


 思わず顔を上げた。

 瞬間――唇に息が触れた。

 俺のじゃない。

 間近にあった、真理峰の。


「「――あ」」


 束の間、時間が凍る。

 真理峰の大きな瞳に、俺の瞳が映り込んでいるのが見えた気がした。

 そんなわけもないのに、真理峰の心に走る動揺が、そこに映ったように見えて――


 俺の手から、カードが1枚離れる。


「……あ……」


 真理峰の手に、1枚のカードがあった。

 俺から見て右側のカード。

 つまり、ジョーカーが。


 手元が、狂った。

 起こったことを認識した、まさにその瞬間――俺のゲーム回路が、千載一遇の好機を見出した!


「――俺のタァーンッ!! ドローッ!!」

「あっ!!」


 真理峰がジョーカーを手札に加えるよりも早く、俺はもう1枚のカードを真理峰の手から奪い取った。

 そしてすぐさま自分の手札と合わせ、捨て札としてリリース!

 空っぽになった手を挙げて、勝利を宣言した。


「あがりー!」

「いっ……今のはズルいですよっ!! ズルいズルいズルい!!」

「何がだ? ちゃんとお前のターンが終わるのを待っただろ?」

「ずぅーるぅーいぃーっ!!」


 顔を赤くして憤慨する真理峰のダイレクトアタックを、俺は素知らぬ顔でいなす。

 しばらくそうしていると、真理峰はぶすっと唇を突き出して、そっぽを向いた。


「もういいですよ。ズルするくらい私とご飯食べるのが嫌だったってことですよね。ごめんなさい! お邪魔しました!」


 そう言って、真理峰は弁当を持って憤然と腰を上げた。

 俺は――


 ――咄嗟に、その腕を掴んで止めていた。


 真理峰が、拗ねた顔で振り返る。


「……なんですか?」

「あ、いや……なんていうか……」


 ……なんで止めたんだ、俺?

 どっか行ってくれるなら、願ったり叶ったりのはずだったのに……。


「えーっと……その……用が……そう。用があったの、思い出したわ」

「用? 何の用ですか?」

「そうだな……あれだ。《マギックエイジ・オンライン》の、クエストのことで……」


 しどろもどろの俺を見て……真理峰は、笑いながら嘆息した。


「だったら、仕方ないですね」


 浮かした腰を元の場所に戻して、くすりと笑う。


「お昼ご飯くらい一人で食べられますけれど――話ついでに、一緒に食べましょうか?」

「……そうだな。話ついでに」


 もう空は見上げなかった。

 ……なら顔を見てたかっつーと、そうでもなかった。

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