お姫様とMGS(保健室編)
「おい。真理峰さんが保健室に行ったらしいぞ」
「え!? 真理峰さんが担架で担ぎ込まれた!?」
「知ってるか? 真理峰さんが不治の病にかかったらしい……」
朝から昼休みまでのほんの2時間程度で、噂はあっという間にただのフィクションになっていた。
週刊誌でも多分、もうちょっとマシな誇張の仕方をする。朝の体育の授業で体調を崩して保健室で寝ているという話だったが、今となってはそれが本当かどうかももはやわからない。
……確認してみるか?
机の下にこっそり出したスマートフォンには、真理峰とのチャット画面が表示されている。
そこに記録されているやりとりは、主にゲームにログインする時間を確認し合うもので、プライベートな情報はなきに等しい。
というか、俺とあいつの間にゲーム以外の共通の話題なんて存在しない。もともとが違う世界の人間なのだ。
って考えると……やっぱなぁ。
なんつーか、越権行為っていうか……所詮ゲーム仲間でしかない俺が、いっちょ前に心配の個チャ飛ばすなんて、ちょっと勘違いしすぎなんじゃねえのっていうか。
それこそ彼氏みたいな振る舞いだし、あいつだってここぞとばかりにいじってくるに違いない。
あのお姫様のことだ、別に俺が送らなくたって、山のようにメッセージが届いていることだろう。
今更そこに、俺の一通を加える必要はない。
本当に病に伏せているとしたら、返信の手間を減らしてやることこそ、本物の気遣いというものではないだろうか。
よし、そうしよう。
一刻も早い快癒を祈念しつつ、俺はこの昼休みを有効に活用して進行中のゲームを少しでも――
「おい! 真理峰さん、今夜が山だってよ!」
「美人薄命とはよく言ったもんだぜ……」
「像を建てよう。二宮金次郎の代わりに、我が校史上最高の美少女の銅像を……」
…………………………………………。
◆◆◆
こちらス●ーク。潜入に成功した。
養護教諭が出ていったタイミングを見計らって保健室に入ると、俺は素早く室内を見回した。
他に人影はなし。
カーテンが閉められたベッドがひとつあるだけだ。
この部屋の主である養護教諭はさっき、娘が手術中の父親みたいにせわしなく廊下を歩き回っていた男子と女子を散らしに行った。しばらく戻ってくることはないだろう。
薄い水色のカーテンが、三つあるベッドのうちひとつだけを覆い隠している。
噂が本当だとすれば、あいつはあそこで寝ているはず……。
どういうわけだかやけに緊張しながら、俺はそのカーテンに歩み寄り、手をかけた。
……一気に開ける勇気がない。
そーっと隙間を開けて、そーっと覗き込みながら、これじゃあまさに覗き以外の何者でもないと気づいたが、後の祭りだった。
真理峰桜は、肩まで布団をかぶって健やかに寝息を立てていた。
「…………すう……」
いつもは幼げなツーサイドアップにしている髪を、今は全部下ろしている。普段、髪を縛るのに使っている白いリボンは、スマホと一緒にサイドテーブルに置かれていた。
顔色は悪くない。
案の定、どうやら風邪か何かだったらしい。
しかもかなり回復していそうだ。
やっぱり心配する必要なかったな。
……いや、別に心配したわけじゃねえんだけど。
あんまりにもあることないこと噂されてるから、真相を確かめてみたくなっただけだ。純然たる知的好奇心である。
ともあれ、目的は達成された。
養護教諭が戻ってこないうちに早いところ教室に戻るか――
――ポロン!
その時、ベッドのサイドテーブルに置かれていたスマートフォンが通知音を鳴らした。
なんだ?
と思っているうちに、ポロン、ポロン、とひっきりなしに通知音が続く。
……これも案の定だったらしい。
お姫様を心配する民の声は、枚挙にいとまがないようだ。
とはいえ、うるせえな。
せっかく寝てんのに、そんなに遠慮なくポロンポロン言わせたら起きちまうだろうが。
……電源、落としといてやるか。
それでなくとも、サイレントモードにくらいはしておいてやるべきだろう。
俺はカーテンの中に身を滑り込ませると、寝ているゴブリンを不意打ちする時のようにゆっくりと、スマホが置かれたサイドテーブルに近づく。
そしてスマホをそーっと手に取ると、サイドのボタンを長押しして電源をオフにした。
よし。これで今度こそ――
「……んー…………」
ベッドの真理峰がうめきながら寝返りを打ち、俺は慌ててスマホをサイドテーブルに戻した。
直後、真理峰がうっすらとまぶたを開ける。
ぼんやりとした目が俺を捉えて、ぼんやりとした声が唇からこぼれた。
「…………先輩……?」
俺は意味もなく左右を見渡して、助け舟を出してくれる味方などいないことを再確認してから、ようやく「よ、よう……」という、挨拶とも言えない挨拶を口にする。
真理峰は依然として、ぼーっとした目で俺を見つめながら、
「先輩……晩御飯はどうするんですか……?」
と、のたまった。
俺は首をかしげる。
「お、おう……?」
「だめじゃないですか……いるならいるって言ってくれないと……素材だっていつでもあるわけじゃないんですから……」
なんだその、主婦みたいなセリフは……。
こいつ、寝ぼけてるのか?
だとしたら、夢の中の俺はどういう立ち位置になってるんだ?
「ん~……」
真理峰は一度寝返りを打ち、俺に背中を向ける。
そして――
「…………ん?」
疑問の声を上げて。
油をさしていないロボットみたいにゆっくりと……。
再び、俺の方に振り返った。
「…………先輩?」
今度は、寝ぼけてる時特有のぼやけた声じゃなかった。
その赤みを帯びた大きな瞳は、確かに現実の俺に焦点を合わせていた。
「い……今……私、何か喋ってました?」
「あー……まあ、少し……」
真理峰は少し顔を赤くして、布団で口元の辺りを隠した。
「……忘れてください……」
「……別にそんなに変なことは言ってなかったけどな」
「忘れてください!」
これだけ恥ずかしがってるのを見ると、ますますどんな夢を見てたのかが気になってくる。
なんとなく気まずくなりながら、しかし帰る流れではないような気がして、俺はベッドの横に置いてある丸椅子に腰を下ろした。
「んーと……調子は、もういいのか?」
とりあえず、当たり障りのないことを言ってみる。
真理峰は口元を布団で隠したまま、ちらりと横目で俺の様子を窺いながら、
「お見舞いに……来てくれたんですか?」
「ま、まあ……通りがけにな」
「ふーん……」
意味ありげな視線から逃れるように、俺は顔を横にそらす。
真理峰は布団から口元を出すと、改めてこっち側に身体を向けた。
「もう全然平気ですよ。ちょっと昨日、夜更かししすぎちゃったみたいです」
「そうなのか?」
「……他人事みたいな顔して。寝かせてくれなかったのは誰ですか?」
咎めるように唇を尖らせて、俺をじっと見つめる真理峰。
……あ、そうか。
「そういや昨日は結構遅くまでログインしてたっけな」
「先輩に付き合ってあげてたんじゃないですか。ゲームとなると体力無限なんですから……」
「……別に付き合ってくれとは言ってねえんだけど」
「ふーん……。そういう風に言うんですか」
「あ、いや……す、すまん」
「ふふ。いいですよ、別に。結局私の判断ですし」
なんだ、からかっただけかよ……。
とはいえ、体調を崩したのが俺の夜更かしに付き合ったせいだと言われると、ちょっと責任を感じちまうな。
なんか見舞いの品を用意した方がよかったのか? アクエリの1本ぐらいは必要だったか――
その時、ガラッ、と保健室のドアが開く音がした。
俺がびっくりして身体を固くしているうちに、足音がカーテンの向こうから近づいてきて、そしてこっち側に声をかけてくる。
「真理峰ー、調子はどうだ――あ」
カーテンを開けた女性の養護教諭と、俺の目がバッチリ合った。
養護教諭の目は最初は少し驚き、次に訝しみ、最後に真理峰へと問うような視線を投げかける。
「あっ……こ、この人は大丈夫です」
真理峰は少し焦った調子で説明する。
この養護教諭はさっき、真理峰の出待ちを追い払ってきたばかりなのだ。いつの間にか忍び込んでいた俺を怪しんでも仕方ない。
というか、俺自身、なんで俺が大丈夫なのかわからなかった。
目を覚ますなりすぐそばに男がいたんだから、もっと警戒してもよかったようなものなのに。
「……ふーん……」
養護教諭は意味ありげな目で俺と真理峰を交互に見てから、
「ごゆっくり」
そう言って、カーテンを閉めた。
気のせいじゃなければ、その顔がカーテンに遮られる瞬間、口元がニヤついているように見えた。
俺は詰めていた息を吐く。
「ビビった……」
「何ですか、先輩。悪いことをしているつもりだったんですか?」
長い黒髪と白い枕に、幼さの残る頬を押し付けながら、真理峰はくすくすと小さく笑う。
「怖いですねえ。何をするつもりだったんでしょう、この先輩は」
「お前は表の様子を見てねえからそんなこと言えるんだよ。集中治療室の前みたいになってたぞ」
「おでこに触るくらいだったらデコピンで済ませてあげたんですけどね」
「体温計があんのにそんなことするかよ」
また小さく笑うと、真理峰はもぞもぞと布団の中で体勢を変える。
シュルシュルというすべすべした素材特有の衣擦れの音が、どういうわけか妙に気になった。
「……嬉しかったですよ、先輩」
真理峰がいつもより少しだけ優しく口元を緩ませながら、俺の顔を見つめる。
「先輩も、お見舞いとか……してくれるんですね」
「俺を何だと思ってんだよ」
「ゲーム以外には興味のない人だと思ってます」
……合ってるけどさ。
「意外と、心配で授業が手につかなかったり?」
「そんなにできた人間じゃ……ねえよ」
しきりにスマホの通知を確認したり。
普段は気にも止めないクラスメイトの会話をいちいち覚えていたり。
そういうことはあったが……別に、心配なんか、してない。
「そうですか。先輩らしいですね……」
その声にあまり力がないのに気づいて、俺は言う。
「疲れたか?」
「そんなことないですよ……」
「嘘つけ。病み上がりのくせに話し込むからだ」
あんまり長居しない方がいいな。
「今日はゆっくり休めよ。お前のことだし、学校でこんなに気を抜けるのなんてこんな時くらいだろ」
「やです……。休んだら、先輩に、すぐに引き離されちゃう……」
……今は別に、ゲームの話はしてなかったんだけどな。
「俺も今日は、ログインしないから。ちゃんと休め」
不意に、妹が幼い頃のことを思い出した。
あいつが風邪をひいて、俺がその面倒を見ることになった時、活動力の塊のあいつを寝かせるために、部屋から出る時は必ず、おでこの辺りを撫でてやっていた。
――おでこに触るくらいだったらデコピンで済ませてあげたんですけどね
俺の腕が、ピクリと動く。
だけど、持ち上がることも、ましてや真理峰のおでこに伸ばすこともなく――俺はそのまま、ベッドに背中を向けた。
さすがにそれは……キモいって。
カーテンを開けて外に出ると、俺は小さく嘆息する。
それを、デスクの前に座った養護教諭が生暖かい目で見つめていた。
「……なんすか」
普段は自分から教師に話しかけることなんてしないのに、この時ばかりはたまらず、そう訊かざるを得なかった。
「いや?」
養護教諭は腹の立つにやにや笑いでとぼける。
「中学生はいいなと思ってさ」
「……失礼します」
これまた、普段はスッと出てこない別れの挨拶が口から滑り出して、俺は足早に保健室から廊下に出た。
……聞いてんじゃねえよ……。
大人に対する反逆的な悪態を頭の中で吐きながら、俺はそそくさと保健室を離れたのだった。
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