第45話 踊れ、踊れ、フラミィ

 満月の光を浴びながら、巧みに踊る女達の姿に紛れて、フラミィはターンをしくじり振付を一つ飛ばす。

 ようやく流れに乗れたところで、今度は左足を軸にする動きが来る。誰かが余計な提案をして、フラミィだけ右足を軸にする事になったから、皆と左右真逆の動きで悪目立ちしてしまい、ちょっと恥ずかしい。

 それでもフラミィは満月の晩の踊りを踊っていた。

 風が吹いた群集の先に、パパの笑顔がチラリと見える。

 フラミィは、ふと思い付いて舞台の先頭を優雅に踊るママの背を見る。

 ママにもパパが見えるかな、と、思ったのだ。

 けれども、踊りの陣が動いてチラリとママの横顔が見えた時、フラミィはそっと目を逸らした。

 それからとても甘酸っぱい気持ちになってしまって、思わずはにかんだ矢先に転んでしまった。

 ママの長い睫の先では、オウルおじさんが微笑んでいた……。



『相変わらずねぇ!』


 慌てて起き上がって皆の踊りの波に乗ろうとするフラミィの耳元で、突然ルグ・ルグ婆さんの声がした。

 フラミィが驚いて再び転びそうになるのを、ルグ・ルグ婆さんが支えた。

 島の女神が舞台に現れたというのに、誰も反応をしないところを見ると、どうやらフラミィにしか姿を見せていない様子だ。フラミィにすら、老婆は少し透けて見えた。

 フラミィは小声で言った。


「ル、ルグ・ルグ婆さん、私、踊りながらはお話出来ないかも」

『ふん、修行が足りないね。踊りながら罠にハメれる位におなりなさいな!』

「ご、ごめんなさい……」

『まぁいいよ、ちょっと手伝ってあげる』


 ルグ・ルグ婆さんがそう言った途端、フラミィの身体が勝手に踊り出した。


『なんとまぁ、踊りにくい足! 貰わなくて良かった!』

「ちょ、ちょっと、身体を乗っ取って、そんなズケズケ言わないでよ! ご用はなあに?」

『おっとごめんよ。フラミィ、ワラ、さよならを言いに来たの』


 フラミィは、高い岩から海に飛び込む時みたいにヒュッと心を窪ませたけれど、息を吸い込んで囁いた。


「……そう。言いに来てくれて、嬉しい」


 本当は、お別れなんか無しで、会えるか会えないかわからないままの方が、うんと良かったのだけれど、フラミィはそう言った。

 それから、ちょっと気になった事を尋ねた。


「エピリカの姿をしていなかったけど、どうしたの? 早速喧嘩したの?」

『ンフフ。ワラはね、存在した時から老婆の姿だったの』

「……?」


 クワクワ、と、少しだけ乾いた笑い声を上げて、ルグ・ルグ婆さんは続けた。


『なんでワラは踊りの女神なのに、こんなしわくちゃな老婆なんだろって、今まで一億六千万回くらい思った。若い娘達が華々しく踊るのを、たまに憎らしく思った事もあンだ』


――――いいワネェ、誰か若い身体をくれないかしら?


 一度だけ持ち掛けて見た事がある。人間にしておくには惜しい程の美貌と才能を持つ若いルグだった。

 夢の中から遠回しにスカウトしてみたけれど、彼女はまさか女神が自分の身体を欲しがるとは思わなかったので、ルグ・ルグ婆さんを偽物の悪霊か何かと思ったらしい。大騒ぎになって、神様に随分絞られた。神様はいつもは優しいけれど、怒るととても怖いのだ。

 こうして『身体を欲しがるルグ・ルグ婆さん』はお伽話として語り継がれ、自分を大切にしないといけないよ、という説法じみた存在となった。

 皆自分の身体で踊る、踊る、踊る――――。そうして謳歌している内に、年老いてルグ・ルグ婆さんの欲しい身体ではなくなっていく。


『だからアターが身体をくれると言った時、ワラは、スッゴクスッゴク嬉しかったんだよ』


 フラミィの身体が、舞台の誰よりも高く跳躍した。左足で着地したら転んでしまう! けれど、鏡の布がふわりと風を捕まえて、フラミィは舞台に難なく着地した。


「駄目だよルグ・ルグ婆さんっ、皆が目を丸くしてる!」

『フフフ! アターは肝っ玉が小さいねぇ。ワラはねぇー、そんなアターの骨探しや泣き言に付き合っている内に、自分が老婆で良かったと思える事が幾度とあったよ』


 この娘よりもたくさん物事を知り、笑い飛ばし、諭し、教えてやれる事に感謝した。

 どうしたんだい? と、泣き顔を覗き込んでやれる、縮んでいる背が嬉しかった。

 皺しわの身体、ぼさぼさの髪でも夕日色に香る花になれる事は、この娘の勇気になったかしら?


 フラミィが親指の骨の無い足を受け入れた時、老婆は悟った。

 ルグ・ルグ婆さんはふわりとフラミィの身体から離れ、彼女の目の前で舞って見せた。


『ワラはわかったんだよ、この姿には意味がある』


 それは老婆の意に沿わず、与えられた時間の内の一瞬の為でしかなかった。けれど、悠久の果てのいつか、目を閉じて眠りにつくときに満足出来る様な意味があるのだと。

 さあ、その一瞬が作用して、島に新しい踊りがきっとうまれる。

 踊りの島の、踊れない者も踊れる踊りだ。


『ワラも、新しい島でもこさえようかしら? なんてね。さよなら』


『風はいつも』と踊って、ルグ・ルグ婆さんは光を細かく鳴らすミラーウィングを翻す。


「私だってたくさんお礼を言いたいのに!」


 慌てるフラミィに、クワクワクワッと笑い声。

 見れば不思議な事に、鏡の布に消えていく老婆の影は、美しい肢体と一目で判る若い女の輪郭をしてる。

 フラミィはその影が、片腕で虹の様なアーチを描いたのを見た。

 ハッとそのアーチの向けられた先を見ると、キキニィキが目に涙をいっぱい溜めて、影へ向かって腕でアーチを描いていた。

 影の胸元では、優しい真珠色の光が仄かに照っていた。



 満月の晩の踊りが終わり、皆が満足と安息を抱いてそれぞれの家に戻るのを横目に、フラミィは誰もいない砂浜へと向かった。

 波打ち際にやってくると、左足の親指を、そっと打ち寄せる平たい波に濡らした。

 時は巻き戻らないのを、よくよく知ってはいたけれど、もう一度あの老婆の女神と出会い直したい気分だ。今夜見る夢の舞台はせめて、マシラ岳が良い。

 波を足先でかき回していると、ててて、と足音を立て、タロタロが息を切らして駆けて来た。


「ネーネ! だからぁっ、狼が!」 

「大丈夫だってば。ルグ・ルグ婆さんにも身体を取られなかったでしょ?」

「そうだけど、それは代りにエピリカがいたからだろ?」

「違うよ、私が『新しい踊りを創りたいから』ってお断りしたら、ルグ・ルグ婆さんは分かってくれたよ。それに、もうお婆ちゃんのままで良いんだって」


 タロタロは「そうかなぁ」と疑わし気に言って、フラミィの足元にゴロンと寝転がった。


「ぜってーたまには、エピリカの姿になって喜んでると思うけど」


 フラミィは「ふむ」と小首を傾げ、エピリカの身体でうっとりポーズを決めるルグ・ルグ婆さんを想像してみる。


「ありえる……」


 でもそれくらいいいじゃないって、フラミィは思う。

 フラミィは左足の骨が返って来た時の喜びを思い出す。でも、寝転んだタロタロのお腹が、息をする度に膨らんだり凹んだりするのを見る方が素敵だ。きっとルグ・ルグ婆さんも、フラミィの『タロタロのお腹』みたいに大事なものがあるんだろう。それでも、やっぱり、『ちょっとだけ』って。

 微笑んで見詰めてくるフラミィに、タロタロは不思議そうな顔だ。


「なに?」

「タロタロが、海から戻って来て良かったって思っているの。クジラに乗ったタロタロも、新しい踊りの振付に入れてあげるね」

「ほんと?」


 タロタロは勢いよく起き上がり、目をキラキラさせて喜んだ。


「いつできるの?」

「わかんない。たまに、ずっと出来ないんじゃないかなって心配になるの。ねぇ、聞いてタロタロ。ネーネは最近悩んでんのよ」

「なにを?」

「うん、あのね……一生懸命踊りを練習しているとね、ああ、もう少しで掴めそうって時ない?」

「おー、あるある」

「あるよね? でも、そんな良い時に限って、影が勝手に踊り出すの!」


 しかも、その影は飛び切りヘンテコな動きをする。今まで見た事が無い様な動きや、身体の使い方を、フラミィに見せるのだ。

 ヘンテコな動きばかりして、フラミィは自分の影なのにどうしても真似する気が起きない。そもそも、影の方がフラミィを真似なきゃいけないのに!

 タロタロはフラミィの話を聞いて、お腹を抱えてゲラゲラ笑った。

 やっぱりおかしいんだと思うと、フラミィも笑えてきて一緒に笑い出した。

 けれど、その内顔が歪んで泣き出した。


「どうしよう、ルグ・ルグ婆さんに身体を捧げるのを断って、やると決めたのに。パーシィとも約束したのに……」


 タロタロは慌てて手で口元をギュッと押さえると、めそめそし出したフラミィの頭を撫でた。


「あ~……ネーネ、笑い過ぎてゴメン」

「いいの。おかしいよね」

「あのさ、一度真似してみたら?」

「い、いやだよ、あんなの、私の影じゃないもん」

「そっかな~、案外、ネーネの本当の影かも。身体はもう新しい踊りを踊れてンのにさ、上手くいきっこないって心だけが思ってンのかも」 


 フラミィは溜め息を吐いて、


「でも凄く変なの」

「見せてみろよ」

「えー、じゃあ、タロタロも一緒に踊ってくれる?」

「よっしゃ、やったろ」


 二人は立ち上がって、向き合った。

 諦め悪くもじもじするフラミィに、タロタロが言った。


「大丈夫だって! 自分の影なんか怖がるなよ! ほら、踊れ、踊れ!」


 フラミィは鼻を啜って頷くと、自分を悩ます影の動きを思い出しながら構えた――――。

『どうして?』と足りないものを疑問に思わなくなっても、まだ他の人が羨ましい。周りが素敵過ぎるのだ、と、彼女は思ってみる。ちっとも慰められないけれど。

 けれど、踊りたいのだから、踊るしかない。

 影が言ってる。


『だって誰も見た事のない、新しい踊りを踊るんでしょ?』


 フラミィは天を仰ぐ。

 夜空を横切る星の大河が、瞳の中でキラキラ弾けた。

 やってみよう。

 レインツリーだって傘の下で雨を降らすなんてヘンテコな事するじゃない。それでも、私はあの木が大好き。

 ほら、影が踊り出す。


『新しい島が生まれたら

 そこはどんな島かしら?

 きっと八つの島が全部集まって

 お祭りみたいよ

 その島はおばあちゃんの形をしてるの

 痛くないクセに

 腰が痛いと文句を言って

 海に寝そべっているのよ』


 海の沖の方では短い月の道が出来ていて、波にゆらゆら揺れている。

 そこから吹いて来る風は、背の高いヤシの木の葉とフラミィを分け隔てなく撫でて行く。

 島で起こるあらゆる音は、優しい静寂に向かって独り言を囁いている。

 群青と金色に染まる空気の中、昼間の熱を忘れたがらない砂浜の砂は、時の流れを知っているのだろう。

 昨日を惜しみながら再び熱せられる朝を待つのは、きっと楽しい。

 朝が来たらもっと楽しくて、島中にクワクワ鳥の鳴き声がクワクワ響くことだろう。

 この美しく優しい島は、世界で最も純真な泡の様にぷかりと海に浮きながら、泡が弾けるのを密やかに待ってる。

 踊りたい者は、踊って良いと、夢を見て。



 おしまい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

踊れ、踊れ、フラミィ 梨鳥 ふるり @sihohuuka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ