適性
「さて、いったい何が起きてるんですか?」
「私にもよく分からないんですけど……」
トリシャは事の顛末を説明した。といっても、デニスから聴いた話を繰り返し、薬を打ったがこの通りデニスの症状は未だに治まっていないということくらいしか話せない。
一通り話を聞いたジョーダンは、しばらく考え込んでいたが、やがて諦めたように頭を振った。
「これは一度、本部に連れていくしかないですね。精密に検査をして、それから治療方針を考えましょう」
ジョーダンの言うことも最もだと思うのだが。
「でも、この村を離れるわけには……」
なにせ、デニスの他にも患者が七人もいるのだ。それもデニスと違って、自我を保っているかも怪しい患者たちである。治療しなければいけないというのもそうだが、被害の拡大を防ぐためにもこのまま放置というわけにはいかないだろう。
「ボクが残ります」
きっぱりと宣言したあと、ジョーダンの瞳が翳った。
「と言っても、ボクにできることもあまりないでしょうけど」
トリシャたちがこれまでに遭遇したことのない未知の症状を発症し、その上末期と思われる患者たちだ。医療設備もほとんどない中では、できることなどほとんどないだろう。
それでも、治療を投げ出すわけにはいかないのが〈銀の弾丸〉の医師だ。トリシャたちはその別称に恥じぬよう、"吸血鬼”たちに立ち向かう義務がある。
ジョーダンの心情を慮り、トリシャはその言葉に甘えることにした。トリシャもまた、未知の病を抱えるデニスを見捨てるわけにはいかないのだ。
「それより、デニスくんをどうやって連れていくかが問題です」
ああ、と嘆息してトリシャとジョーダンはデニスを見た。今もこうして普通に会話しているが、彼は未だに狼男の状態だ。まさかこのまま人間の街に連れ出して、普通に列車に乗っていくというわけにもいくまい。
と、思っていたのだが。
「それなら、大丈夫だと思います。朝になれば、たぶん人間に戻ると思うので……」
「はあ?」
おずおずという少年に、ついドスの効いた声で返してしまったトリシャ。状況が落ち着いた今でも、まだ心の余裕を取り戻せていないらしい。
「えと……昨日もそうだったんです」
呆気に取られたトリシャは、しばらくポカンと口を開けて、狼姿で恥ずかしそうに身を
「……何がなんだか」
身体の変異は、死の兆候だったはずなのに。この少年は、けろりとして生きている。喜ばしいことではあるのだが、トリシャの中の常識と余りにかけ離れていて、素直に喜んだり感心したりすることができなかった。
「これは、調べ甲斐がありそうですねー」
苦笑いしながら、ジョーダンは言う。その言葉に、トリシャはデニスが本部の医者たちに実験体にされる未来を見て、少し憂鬱になった。
明け方、少年が人の姿に戻った頃に、トリシャとデニスは急いで村を出発した。行きとは違って馬車は捕まらなかったので、頑張って徒歩で移動し、一時間。それから列車に乗り込んで、首都の本部へとたどり着いた。
疲れているところに酷ではあったが、着いて早々トリシャは適当な医者を捕まえて協力を得た後で、デニスを検査室に放り込んだ。何をきっかけに発症するのかが分からない以上、一刻も早くデニスがどういう状態にあるのかを把握するべきだと思ってのことだ。
それが功を奏したのか、どうか。
「驚くべきことが分かったぞ」
三時間後。
治療ではなく研究の道に進んだ同期のクルーズに呼び出され、トリシャはデニスと連れだって研究者たちの居室へ向かった。古く革の擦りきれそうなソファーを勧められ、あの不味いコーヒーを出される。トリシャは手を出さなかったが、検査の後一時間ほど眠っていたデニスは飲んでしまった。眠気は一気に吹き飛んだようで、目をしばたかせている。
待つこと暫し。クルーズが興奮した様子で検査結果を持ってきた。資料をトリシャに渡し、コーヒーで喉を潤すと、その不味さに顔を顰めながら説明を始める。
「まず第一に、デニー君は新しい型の吸血鬼感染症に掛かっている」
「新しい型?」
「少なくとも〈銀の弾丸〉設立以来見たことのない型だね」
書類を捲るトリシャの横から手を出し、該当するページを示した。そこにはウィルスのスケッチが描かれている。かなり精巧なスケッチだった。短時間でここまで綺麗に描いたクルーズの技量に感心しながら、渡された参考資料に描かれたウィルスの絵と比較する。
「ほらここ。タンパク質に違いがある」
指先で隠れてしまうほど、あまりに小さな違い。トリシャはかろうじて分かったが、デニスなど判らずに首を傾げている。
「
となれば、これまで僕らが見てきたのは
「そして、もう一つ。デニー君は本来なら死んでいてもおかしくない」
予測していたことではあるが。
トリシャも、デニスも、苦々しげに顔を歪めた。二人の周囲の空気がどんより重くなる。
それに気づいているのかどうか、クルーズはまた愉快そうに話す。
「末期症状をみせる段階にまで、ウィルス細胞は変異していた。これはV型でもW型でも変わらないみたいだね」
「じゃあ、デニスはどうして」
未知の病であるから、デニスの症状がこれまで見たことでないものだったことも、トリシャたちの薬が効かなかったことも理解した。けれど、彼一人だけが、あそこまでの身体変化を見せてまだ無事である理由が見つからない。
「これは仮説だけど、デニー君は吸血鬼感染症に対して、何らかの適性か抗体でも有しているのではないのかなー」
「適性」
トリシャはデニスの方に視線を向けた。難しい顔をした少年は、見たところ健康そのもの。傍目には、とても感染しているとは思えない。
やがて息を吐きながら、トリシャは粗末なソファーに沈み込んでいった。
「まあ、そうじゃなければ説明できない、か……」
「そう。そして、それがどういったものなのか特定することできれば、これまで以上の薬ができる可能性があるってわけだ」
ぴくり、とトリシャの眉が跳ねた。身を起こす。
「デニー君には、サンプルを提供してもらうことになるかな。それも継続的に、だ」
「ちょっと、それは……っ!」
腰を浮かしかけたトリシャだったが、
「分かりました。僕で良ければ」
至って冷静にデニスは承諾した。
トリシャは驚いて少年に顔を覗き込む。
「いいの?」
「はい。……だって、身体を切り刻まれるっていう訳じゃないんでしょう?」
今さら不安そうにクルーズに尋ねると、彼はもちろんだ、と頷いた。
その後に、一瞬だけちらりとこちらを見た。否定しようものならこちらが切り刻む、というトリシャの殺気を感じ取ったらしい。
伝わったようで何よりだ。
「定期的に血や粘膜を貰うくらいでいいよ」
「はい。それくらいであれば、構いません」
淡く笑ってデニスは快諾する。本人が良いと言うのであれば、トリシャに言えることは何もない。研究が進んで病が治るようになるのが一番なのは、間違いないのだから。
さて、それではデニスの扱いをどうするか、とトリシャは頭を巡らせる。患者であるのは変わりがないから、やはり入院手続きだろうか。だとすれば、部屋を用意してやらなければいけないのだが、他の患者とまとめるべきか、それとも個室にするべきか。
そもそも、入院費の問題もある。さりげなく両親の事を聞いたとき、はぐらかされてしまったので、恐らくデニスの保護者はもういないものだろう、と推測していた。故郷の村の人間が代わりに払ってくれるとも思えない。彼は村人を襲い次々に感染者を出した、村を荒らした元凶なのだから。
「……あの」
トリシャが必死で頭を悩ませている横で、デニスはおずおずと声をあげた。
「……僕でも、医者になれますか?」
予想外の言葉に、トリシャだけでなくクルーズも驚いて、思わず互いの顔を見合わせた。
「どうして?」
「僕も、この病気のことが知りたいんです。だから、そのためには医者になるのが良いかなって」
と言うが、その真意は、サンプルになる以上は死ぬわけにもいかないから、それなら人のためになるようなことがしたい、ということらしい。
村人を手に掛け、自身のウィルスを他人に移してしまった少年が、ずっと罪の意識に駆られていたのは、トリシャも知っていた。その償いの方法として、彼は医者になることを選択したらしい。さっき自分で拒否していたが、自暴自棄に死を選択しなかったのは、良かったと思う。
けれど、じゃあそうしなさい、とトリシャは素直に言うことができなかった。
「医者って、簡単になれないよ。医療の知識、薬の知識、人体の構造。僕も彼女も、みんなみんな苦労して、何年も掛けて努力して、ようやく入口に立ったところだ。付け焼き刃でできるものじゃない」
「はい……」
容赦なく指摘に、デニスの身体が縮こまる。とはいえ、トリシャもデニスをフォローはしない。気持ちだけでなれないのは、クルーズの言うとおり。そして〈銀の弾丸〉は、過酷な勤務になりがちな医者のなかでも、さらに過酷な状況にさらされる。
あとでこんなはずじゃなかった、と言われるくらいなら、今ここで厳しいことを言って諦めてもらうほうが――。
「だから、まずはお勉強。トリシャに教えてもらうと良いよ」
「は!?」
思わぬボールが飛んで来て、素っ頓狂な声が出る。
「ちょっと待って。なんでそんな話に」
医者の厳しさを教えるのではなかったのか。予想とは違う流れに、トリシャはただただ戸惑った。
「だって、医者になりたいっていうんだから、きちんと機会は作ってあげたいじゃない。でも、彼は学校に通わせるわけにはいかないでしょ? だから、君が教える」
「話の前半は分かったけど、だからってなんで私が」
トリシャは往診医だ。本部の命令で、あちこち飛び回り、一処に長くはいない。本部にずっといるわけでもないのに、新人教育ができるはずもない。
そもそも、教育係を決める以前に、デニスに医学を教えるかどうかをトリシャたち下っ端医師が決められるはずもない。
だが、その辺りを失念しているらしく、クルーズの追及は止まらない。
「嫌なの?」
「う……っ」
その尋ね方は、まるでトリシャがデニスを理不尽に拒絶しているかのようで、胸にぐさりと刺さる。
デニスもほら、泣きそうな眼でこちらを見てくるし。
「……………………別に、嫌じゃないけど」
デニスの視線に屈した形で、そう答えてしまった。ぱああ、とデニスの表情が明るくなるのが見ていられなくて、トリシャは視線を逸らす。
「はい、決定! 良かったな少年」
クルーズが意地悪く笑ったのが目端で見えた。――この男、全てを分かったうえで遊んでいたのだ。
悔しくて、トリシャは口をつけていなかった自分の分のコーヒーを無理やりクルーズに飲ませた。
同期の医師が噎せて咳き込むのを横目に、トリシャはため息を吐いた。こいつといい、ジョーダンといい、どうも身の回りにいい加減な人間が多い気がする。それでも、ジョーダンのほうは尊敬できる先輩だからまだ良いが、クルーズの場合は質が悪い。
そのクルーズの思惑通りになりつつあるのだから、トリシャとしては非常に遺憾だ。
……遺憾だが。
「よろしくお願いします、トリシャさん」
生きることになんとか希望を見出だしているらしい、感染者としては未知の存在であるこの少年を前にして、とてもそんなことを言えるはずもなく。
まあでも、そもそもこれは上が決めるのだから、とトリシャは軽く構えることにした。珍しい症例を抱えたサンプルとはいえ、デニスは患者だ。きっと止めてくれるに違いない。
彼には少し可哀想だが、そのときに諦めてもらえばいいや、と返事は軽く流して、トリシャはこの件に関して考えることを放棄した。
――パトリシアの予想が大いに外れ、デニスが彼女の助手として往診についてくるようになって。
吸血鬼と戦って旅する女医と人狼の少年の噂が世間に広まりだしたのは、その数ヵ月後のことだった。
吸血鬼専門医トリシャの往診カルテ 森陰五十鈴 @morisuzu
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